EP272:伊予の事件簿「霊験の水精(れいげんのすいせい)」 その1
【あらすじ:美味しくて薬効もあるし、縁結びの御利益もあるという『霊験の水』が大流行りしてるらしい。気になるのはその販売方法が胡散臭いこと。銭に目がくらんで友人に商品を売りつけまくると関係にひびが入るのも必定。時平様のご正室にお許しをもらうため、私は今日も知恵を絞って、心に響く言葉を紡ぐ!】
今は、899年、時の帝は醍醐天皇。
私・浄見と『兄さま』こと大納言・藤原時平様との関係はというと、詳しく話せば長くなるけど、時平様は私にとって幼いころから面倒を見てもらってる優しい兄さまであり、初恋の人。
私が十六歳になった今の二人の関係は、いい感じだけど完全に恋人関係とは言えない。
何せ兄さまの色好みが甚だしいことは宮中でも有名なので、告白されたぐらいでは本気度は疑わしい。
兄さまが抱きしめる腕を緩め、
クイッ!
私のあごを摘まみ、上を向かせた。
指で押し下げ、唇を開かせ、唇で口を覆った。
弾力のある、しなやかな、熱い舌が入る。
掻きまわされ、絡めとられ、吸い尽くされる。
「っぅんんっっ!」
喉の奥から声が、大きく漏れた。
影男さんに聞かれる!
恥ずかしいっっ!
焦って、兄さまの胸を押し、唇を離そうとした。
グイッ!
腰を強く引き寄せられ、余計に強く抱きしめられた。
下腹部が密着する。
衣越しの、荒い動きにさえ、敏感に反応しそうになった。
このままじゃダメっ!
グッと腕に力を入れ、兄さまの胸から体を離した。
兄さまがやっと唇を離してくれて
「影男、伊予はあとで私が内裏まで送る。今日はもう帰っていいぞ。」
瞳の奥をギラギラと輝かせて、私を見つめながら、影男さんにそっけなく言い放った。
影男さんが静かな、かすれた声で
「二人の関係が続いてることがご正室に伝わったら、今度は自殺未遂で済まないのではないのですか?伊予どの、いいんですか?ご正室が死んでも。」
一語ずつ、ゆっくり、言い聞かせるように呟いた。
ハッ!として、
ゴクリと息をのんだ。
背中を冷たい汗が流れた。
ゾッと背筋が寒くなった。
廉子様が、命を絶つ?
私のせいで?
私が殺す?
兄さまの正妻を?
愛した人を?
怖くなって息苦しくなった。
狩衣の胸元にしがみつき、
「兄さまっ!ダメよっ!廉子様が許してくれるまで、二人だけで逢うのはやめましょうっ!!」
兄さまはその手をギュッと握り、首を横に振った。
「廉子が許す?いつになるかもわからない。一生許さなかったらどうするんだ?それに私たちが続いてると知ったって自殺するとは限らない。」
「でもダメっ!私も説得してみる!文を出してみるっ!許してくれるまで頑張ってみるから!兄さまも説得して!許してくれたら二人で過ごしましょう!」
懇願するように兄さまの目を見つめた。
ふぅ~~とため息をつき、あきらめたように
「わかった。浄見の言うとおりにしよう。でも廉子が素直に浄見の文を受け取るかな?火に油を注がなければいいが。」
余計怒らせるかも?
でも何もしないよりマシっ!
ちゃんと話せば分かってくれるかも!
友達までとはいかなくても、少しでも私を知ってくれれば、仲良くなれれば、許してくれるかも??!!
一縷の望みに賭けることにした。
その日は大人しく兄さまと別れ、影男さんと内裏へ帰った。
枇杷屋敷は陽明門まででも、三里(1.5km)ぐらいで、簡単に歩いていける距離だった。
便利っちゃ便利ねっ!!
気楽に里帰りできてっ!!
ありがとう!忠平様っっ!
いない時を狙って使わせてもらうわねっ!!
帰るまでは浮かれてたけど、雷鳴壺について、さあ廉子様へ文を書きましょっ!!
って考えだした途端、
う~~~ん?
何を書けばいい?
どう書けば兄さまと付き合うのを許す気になる?
悩んだけど、とりあえず、兄さまとの出会いから細かく書き始めた。
出会いといっても私が物心ついた時にはそばにいてくれたんだけど。
『廉子様、この度は、拙い文を差し上げますことをお許しください。
私の生い立ちについて、少しでも知っていただきたく、ここに記します。
私の母は私が赤子の時に、故あって私を手放しました。
親代わり、兄代わりとなって養育してくれる、時平さまたちがいなければ、私は赤子のうちにどこかの辻に捨てられ、野犬に食べられていたか、鳥辺野で骨となっていたでしょう。
私が物心ついたときから、時平様はそばにいてくれる優しい兄であり、庇護と安心を与えてくれる肉親のような人でした。
困ったときや悲しいときには励ましてくれ、慰めてくれました。
誘拐され、命の危険が迫った時には・・・・・・・・・
』
紙を五枚も使ってびっしり書いたので、何とか気持ちが伝わるかな?と期待して、文を届けてもらった。
数日後、返事が来ないのでもう一度文を書いた。
また、返事が来ないので、また文を書いた。
三度目以降は返事を待たず、毎日文を書くことにした。
紙は一枚だけにして、でも細かくびっしりと。
紙がある限り書き続けていれば、いつか何かの形で返事をしてくれるかも?
嫌悪であれ、激怒であれ、呪詛の言葉であれ、
一度でも対話ができれば何とかなる!
甘い考えかもしれないけど、楽観的になってとりあえず頑張ることにした。
兄さまを諦めることができないんだから、そりゃあ何とかするしかないじゃない!!
腹をくくって、意地でも廉子様に返事を書かせてやるっっ!!
心の中はメラメラとやる気に燃えてた。
五十通目ぐらいで、ちょっと弱気になりはじめて、影男さんに
「あのぉ、廉子様の侍女に文を渡すとき、目を通してもらえてるか確認してみてくれる?」
頼んだ。
文使いを終えて帰ってきた影男さんが
「侍女の話では、ご正室は結んだ文を開かず読まずに屑籠に入れてるところを見たらしいです。」
はぁ~~~と肩を落としたけど、
よしっ!!
今度は目に留まるように、表にも文字を書いておこうっ!
宮中での兄さまの活躍ぶりとかも書いてっ!!
興味を持ってもらえるようにっ!!
決心して黙々と手を動かしてる私のそばで
「ねぇ~~伊予ぉ~~!聞いたぁ~~~?」
退屈そうな茶々が話しかけた。
(その2へつづく)