EP271:伊予の事件簿「初入の袖(はつしおのそで)」 その8
兄さまが冷やかすような声で
「無理強いするな。そうだ、面白い話をしてやろう。つい先ほど検非違使と一緒に捕まえた男について。まぁいいから、影男もそこに座れ!」
円座を指さした。
代わるように兄さまが立ち上がり『う~~~ん』と伸びをしながら話し始めた。
「紀希与之という図書寮の使部を知っているか?奴は『和歌詠み指南個別指導教室』なるものを主催し、若い女性と銭を集めていた。
そこへ通った女性から『友人が紀希与之と関係を持った後行方不明になった』と相談を受けた。
それが三人、四人と重なったことから、検非違使庁が捜査に乗り出した。
屋敷を捜索したが、怪しいものは見つからなかった。
違和感を強いてあげれば、厨に灯台用の油があったことだ。
相談に来た女性の証言に『紀希与之の屋敷の池が真っ赤になったのを見た』というものもあったから
我々の推理は、紀希与之は手なずけた若い女性を殺し、庭の池に死体を沈めたというものだった。
だが死体は体内で腐敗が進み気体を生じれば浮袋のようになり、池面に浮き上がってしまう。
頻繁に女性が出入りするあの屋敷でどうやってそれを誤魔化したのか?
血を抜き池に流し、肉をそぎ落とし骨だけを沈めたと考えた。
池に注ぐ遣水を堰き止め、池の水を干上がらせたところ、骨が複数人分、出て証拠となった。
紀希与之を捕え、獄につなぐことができた。
全く!怖ろしい凶悪殺人犯だった。
だがまだ謎は残る。肉をどう処分したんだ?竈で焼いた痕跡も無かったが、土に埋めたのだろうか?」
アッ!
と全てが腑に落ちた私は
「肉に粉と卵をつけて、油で温めて、食べたんだわ!茶々が紀希与之から借りた『長恨歌』にその料理法が書き加えてあったの!」
愛した女性を殺して、その肉を食べる?
ゾッと背筋が寒くなった。
茶々が言ってた『ふくよかな女性が好み』なのもそのせい?
愛しすぎて、食べてしまいたくなったの?
それともその逆?
怖ろしすぎて寒くもないのに、身体がブルブルと震えだした。
兄さまが不愉快そうに眉をひそめ
「そうなのか。ちっ!何てヤツだっ!まるで獣だなっ!!影男!伊予が怖がってる。安心させてやれ!」
イラだった声で影男さんに怒鳴った。
影男さんが私の肩に伸ばした腕を押し返し
「ありがとう、大丈夫だから。兄さま、私、その教室へ行ったことがある!紀希与之と話したこともあるわ!そんなに怖い人に見えなかったけど、わからないものね。茶々が憧れてたの。危なかったわ!捕まってよかった。」
「内裏に戻り、茶々にその書を見せてもらうよ。じゃあ、急ぐからこれで・・」
兄さまが言い淀み、視線を合わせた。
私は食い入るように見つめていた。
何か言わなくちゃ!
早くっ!
行ってしまう!
何かっ!
ハッ!と思いついて
「大納言様が、紀希与之のお気に入りの姫たちを誘い出したのは、尋問のため?それとも、楽しむため?」
ジッと見つめた。
目を逸らされないように願った。
もう少しここにいて欲しい!
兄さまは楽しそうに笑い
「そんなの、伊予にはもう、どっちでもいいんだろ?影男、ちゃんと捕まえておかないと、逃げられるぞ。じゃあな」
背を向けて素早く立ち去ろうとした。
「待って!兄さまっ!!」
ピタリと立ち止まった。
手を伸ばし
背中に近づき、
しがみついた。
お腹に手を回してギュッと抱きしめる。
背中に頬を押し当てた。
そばにいて・・・
もう少し、いいえ!
ずっと!
心の中で呟く。
兄さまが小さな声で、私にだけ聞こえるように
「・・・・浄見、これ以上、苦しめないでくれ。頭がおかしくなる。」
グッ!
抱きしめる指に力をこめた。
「嘘ついたの!影男さんと恋人になってない!
三か月前から、兄さま以外の、誰にも触れられてないわ!」
ビクッと背中に緊張が走った。
兄さまが素早く振り返り、
肩ごと私を抱きしめた。
激しく、強く、抱きしめながら、かすれ声で
「・・・バカだな。もう少しで騙せたのに!
私を遠ざけることができたのに!」
締め付けられる喜びに酔いしれた。
「あなたは、まるで血潮・・・全身を駆け巡り、苦悩と歓喜を与えてくれる。
失えば・・・
失えば、私は死んでしまうわ!」
硬い、低い声で
「私も、紀希与之の事を言えない。
全てを飲み干したい。
浄見の全てを、一滴残らず、飲み干してしまいたい。」
耳の奥が震え、
身体の奥が響き、
快感が全身を貫いた。
この人とずっと、ずっと、この先も、一緒にいたい
何を言われても
誰を傷つけても
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「はつしほ」って・・・。
「初入」は『①染め物を初めて染め液に浸すこと。ひとしお②草木の葉が春や秋に色づき始めること。③涙で袖の色が変わること。嘆き悲しむさまをいう。』らしいのですが、
「初潮」でも「初入」でも、ちょっと、何か、意味深。