EP269:伊予の事件簿「初入の袖(はつしおのそで)」 その6
・・・・まぁいっか。
どーせ兄さまの妻になれないなら誰でも。
田舎暮らしも案外楽しいかも!
サッサと気持ちを切り替え、進んで榻を踏んで簾を上げ、牛車の中に入った。
刀子で脅した雑色も一緒に乗り込んだ。
長旅を覚悟してたのにすぐに止まり、ある屋敷の前で下ろされた。
その屋敷は門を入ってすぐのところに大きな枇杷の木が生えてて、地面に大きな影を落としていた。
刀子で脅した雑色に案内され、主殿に渡った。
この時点で
『田舎?じゃないよね?まだ京内だよね?しかも大内裏のすぐ近く。』
「どうぞ。」
その雑色が御簾を持ち上げ、中へ通された。
母屋の奥、畳の敷いたところに、蘇芳(濃い赤)色の狩衣姿の男性が座ってた。
脇息にもたれ、手持ち無沙汰そうにトントンと扇を手に打ち付けてた。
主殿をキョロキョロ見回すと、華美でなく、品があり、趣味のいい調度品がそろえられてた。
物も多すぎず、少なすぎず、すべてが調和し、落ち着いたくつろげそうな雰囲気の空間になってた。
化粧台や厨子棚、文箱や手箱、すべて白菊模様が螺鈿で地が黒漆のツヤツヤのピカピカ。
「いい趣味ですね?忠平様。」
忠平様の座る畳の、目の前に置かれた円座に座り、話しかけた。
「刀子で脅すなんてしなくても、言葉で頼めばついてきたかもしれないのに。茶々との約束をすっぽかしちゃったじゃない!」
ニヤリと口の端だけで笑い
「茶々には雑色をやって伝えておくよ。それにしてもいやに堂々として落ち着いてるな?誘拐は想定内だった?」
「まぁね。泉丸から誘拐されることに比べれば、まだマシ。あの人私を傷つけても平気だし。忠平様は少なくとも危害を加えないでしょ?」
脇息から体を起こし、前のめりになった。
「香泉さま?彼が伊予を傷つけるだって?なぜ?」
「兄さまと宇多上皇のことが好きで、私が邪魔だからだって。」
考え込むようにジッと一点を見つめ
「ならいい。私と付き合えば香泉さまの目障りにもならない。」
微笑みながら私を見つめ
「どうだ?この部屋は気に入った?大納言邸に戻れないなら、里帰りと称してここを使えばいい。私の別邸だ。伊予のために調度品も用意したし。さっき見た雑色をここへ置いてずっと管理させるからいつでも使えばいい。」
さっきから気になってたけど、化粧台とか手箱とか厨子棚とかぜ~~んぶ私好み。
「でも、ここは主殿でしょ?あなたの部屋じゃないっ!」
「じゃあ、北の対の屋にする?」
待ってましたとばかりニヤリとする。
焦って両手を横に振り
「嘘!ここでいいっ!別の対の屋なんていらないっ!あなたがいないときにここを使わせてもらうからっ!!ありがと!」
里帰りできて、内裏の緊張から逃れられる場所があるのはありがたい!
忠平様が急に照れたように扇で頸をポリポリ掻き
「じゃあ今日はこれからどうする?夕餉まで時間があるし・・・・」
え?
何?
やっぱりタダほど高いものは無い??!!
「あのっ、もう、今日はこの辺で帰らせてもらいますっ!!今度ゆっくりさせてもらうわね?!!」
急いで立ち上がって出ていこうとすると、御簾越しに先ほどの雑色の声で
「侍従様、上皇より急ぎの文が来ております。」
忠平様は素早く立ち上がり御簾をよけて文を受け取った。
ざっと目を通し、
「伊予!すまないっ!一緒にいられなくなった。上皇の命で、ある貴族を監視することになった。また今度、埋め合わせさせてもらう!」
首をちぎれるくらいブンブン横に振り
「いいえっ!お構いなくっ!!いくらでもお仕事してくださいな!さぁ!早く!急いでお行きになって!!」
追い払うような仕草をしたつもりは無かったのに、不機嫌なふくれっ面になり
「何だよっ!追い払いたいのか?ちっ!そうだ、ここで夕餉を済ませればいい!それに、明け方頃には帰れるかもしれないから、その時までここにいてくれっ!!なっ?!せっかくだしっ!泊っていけ!」
「え、えーーーっとぉ、そうね、考えてみる!」
手をヒラヒラと横に振り『いってらっしゃ~~い!』と見送った。
忠平様が出ていった後、畳の敷いてある寝所で大の字で寝ころんでみたり、鏡で顔を映したり、引き出しを開けたり、手箱の中の白粉や紅を手に付けてみたりいろいろチェックしてみた。
衣装箱には高級そうな袿や単衣、小袖が入ってた。
至れり尽くせりね。
一瞬泊ってこうかなと考えたけど、思い直して内裏へ帰ることにした。
侍所で雑色にその旨を伝えて牛車を出してもらおうかと考えたけど、主に忠実なら素直に送ってくれないよね。
黙ってこっそり門から抜け出した。
通りで誰かにここの住所を訊ねようとキョロキョロしてると、路の少し離れたところから影男さんが近づいてきた。
ホッとして
「よくここにいるのが分かったわね?どうやって知ったの?」
(その7へつづく)