EP239:伊予の事件簿「糸毛車の女(いとげぐるまのおんな)」 その3
もう一枚の文には
『何があっても伊予のことを信じている。
だからあの噂が嘘だと言ってくれ!
変な噂をたてた犯人を絶対に捕まえて懲らしめてやるから伊予は何も心配しなくていい。
大納言邸に里帰りするときは知らせてくれ。
必ず会いに行くから。 忠平』
本当に『何があっても信じてる』なら私が『嘘だと言わ』なくてもいいのでは?
少しは疑ってるのよね?
まぁ仕方ないわよね。
『複数の恋人を持つ』なんて宣言すれば、誰とでもそーゆ―ことする女子だと思われても。
ただ、兄さまにだけは、
誤解されたくないなぁ。
世界中の誰にどう思われたとしても
兄さまだけは
本当の私を知ってて欲しい。
一刻も早く兄さまに噂を信じないようにと伝えたい!
ので影男さんに文を渡してもらうことにした。
『今夜会いたいです。 伊予』
何のひねりもない直接的な文言だけど、一番素直な気持ちだし。
和歌を読んで一工夫しようというところは忠平様を見習った方がいいかも?
迷いつつも、短い文をたたんで結び、影男さんに渡し
「兄さまにこれを届けてください」
とお願いした。
影男さんが少し不満げに口をとがらせ
「恋敵に恋文届けさせるあなたの気配りの無さにはウンザリしますね。」
ジロッと睨む。
何よっ!!
そっちこそ『私を利用してくださいっ』て言ったじゃない!!
思ったけど少し申し訳ない気持ちもあったので
「今度、お菓子か何かを取っておいて差し上げます!」
ゴメンナサイと手を合わせた。
「そんなものはいりません!欲しいのは・・・」
言いかけて口をつぐんだ。
「何?欲しい物って?」
首を傾げて答えを待つ。
「もういいですっっ!」
プンと不機嫌になって背中を向けて立ち去った。
その夜はソワソワして落ち着かず、自分の房で立ったり座ったりを繰り返してた。
鏡を見て髪がボサボサになってないかなとか白粉が上手く肌に乗ってるかなとか、紅をつけすぎてないかなとか点検し、単の変なところが皺になってないかなとか香が変な匂いじゃないかなとか際限なく気になって仕方がなかった。
子の刻(0時)を少し過ぎたころ、御簾越しに
「伊予?私だ。時平だ。」
硬くて低い、少し掠れたような声が耳の奥に響いた。
ドキッ!
鼓動が速くなり、呼吸が浅くなった。
噂が耳に入ってない?
怒ってない?
不安と心配でうまく息ができない。
御簾のそばで取次番をしてた私は、すぐに御簾の端を持ち上げて中に兄さまを入れた。
夜気の匂いを直衣に含み、薫物と体臭の混じった男らしい匂いに鼓動が高まった。
筆で素早く引いたような切れ長な目と眉、精悍な顎、玉のように滑らかな額、薄い唇、細い鼻梁の形のいい鼻、いつ見ても、見飽きることなく何時間でもジッと見つめていられる。
「んっ!」
手を前に差し出す。
包み込むように指をギュッと握りしめてくれた。
手をつないだまま自分の房まで行こうとしたら兄さまがその場を動かず
「伊予、お前があの噂にあるような女子だとは思わなかった。私のことは忘れて欲しい。」
えっ?
何?
突然何を言うの?
ワケが分からなくてキョトンとして兄さまの目を見つめた。
(その4へつづく)