EP223:伊予の事件簿「夏草の逢瀬(なつくさのおうせ)」 その2
雷鳴壺に帰り、女房として務めを果たして数日を過ごしていると、忠平様からの文が前より頻繁に、毎日と言っていいほど来るようになった。
『夕ぐれは 雲のはたてに 物ぞ思ふ あまつそらなる 人を恋ふとて』
(夕暮れに雲の果てを見ると思い出す。天のように遠いところにいる人が恋しくて)
(*作者注:読人しらず『古今集恋歌一』)
とか
『かれはてん 後をば知らで 夏草の 深くも人の 思ほゆるかな』
(いつかは枯れてしまうことも知らず深く生い茂る夏草のように、恋しい想いが深まっている)
(*作者注:凡河内躬恒『古今集686』)
とか、兄さまと違って夢想家。
一応、思いついた返歌を文に書きつけた。
和歌とか管弦とか芸術に造詣が深い女性にはウケるんだろうけど、生憎私はそういう感性が皆無。
かといって高価なものを贈られても困るので和歌の方がまだいいかも。
『困る』って無意識に考えてる時点で忠平様を恋人だとは思ってないし、これからも思えない。
口づけを思い出してもやっぱりドキドキしないし。
それよりも、兄さまに見られてたらどうしよう?
嫌われた?
一瞬、心配になったけど、
『そうだ!それでいいんだ。忘れてくれればいいんだ!』
って思いなおした。
それに
『愛する価値のない、浮気な尻軽女だ!』
って思われればちょうどいいかも。
命を懸けてまで愛される価値なんて、私にはない。
妻たちと離婚してくれなくていいし、特別扱いしてもらわなくてもいい。
私がいることで兄さまの大切なものを犠牲にして欲しくない。
『全てを捨てて私だけを愛して!!』
なんて我がままを言えるほどの自信がない。
『私がいるだけで兄さまは幸せでしょ!』と思うほどの自信が。
堀河邸での合奏の宴のあと、一週間たっても兄さまは私を訪ねてこなかった。
その夜、女房の仕事を終え自分の房に帰ると、中に男性が座ってる後ろ姿に気づいた。
一瞬、ドキッと胸が躍った。
よく見ると
灰色の水干と袴を身につけた大舎人姿の男性。
ガッチリとした筋肉質の肩やまっすぐに伸ばした背中。
緊張しているように微動だにせず正座していた。
「影男さん?
どうしたの?こんなに夜遅くに」
取次番の桜が何も言ってなかったということは忍び込んだのね?
影男さんが正座したまま手をつきながら体ごとこちらに向き直った。
顎と鼻が尖った不機嫌そうな顔が、会う人に最初は威圧的な緊張感を与えるけど、傀儡のような無表情から、少し表情が崩れるだけで一気に親しみが湧いて思わず心を開いてしまうという得な外見の人。
「話があります。」
ふぅん?
不思議に思いながらも向かい合って座り、
「何ですか?」
水瓶から器に白湯を注いで差し出した。
「有馬から、あなたが上皇侍従と付き合っているという噂を聞きました。本当ですか?」
噂になってるの?
忠平様がベラベラ言いふらしてるの?
忠平様から順子様?、順子様から上皇へ伝わり、有馬さんへ伝わったの?
困惑しながら
「まぁ、そういうふうに勘違いされてるというか、忠平様がそう思ってるというだけなのよね。」
影男さんが三白眼の黒目を大きくし
「なぜハッキリ否定しないんですか?大納言に伝わってもいいんですか?」
頬をポリポリかきながら
「う~~~ん、そうね。仕方ないわね。」
「大納言と別れたんですか?あれだけ執着していたのに、あなたを簡単に手放したんですか?」
早口でまくし立てる。
「え~~~と、まだ、あれ以来兄さまと話してないから、その・・・・・」
口ごもった。
兄さまは嫉妬してくれるかしら?
ちゃんと『ダメだ』って叱ってくれる?
本当はそうやって怒って引き留めてほしい。
『他の男と付き合うなんて許せない!』って。
ズルい女だなぁ~~私って。
兄さまを試して、弄んで。
でも、普通の男女はくっついたり別れたりするものでしょ?
兄さまの大勢の恋人のうちの一人でいい!
ってことにしなきゃ!
ホントはイヤだけど、私のことで苦しめたくないし。
影男さんに目一杯テンションを上げて軽い口調で話しかけた。
「ほら、遊び相手でいいんじゃないかな~~と思って。
お互い他に恋人がいても別にいいかな~~って。
影男さんにも有馬さんや桜がいるでしょ?
私に忠平様がいてもいいし、別の恋人ができてもいいし。
結婚してるわけじゃないんだから、気楽に遊べばいいじゃない!
一人だと重荷だけど、いっぱい好きな人がいれば『苦しい恋』とかじゃなくなるでしょ?」
影男さんが薄目で探るように私を見て
「気楽な恋をするタイプの人間ですか?あなたが?
どうせ大納言の重荷になりたくないとか気を使ってるんでしょう?」
(その3へつづく)