EP206:伊予の事件簿「妖かしの醤(あやかしのひしお)」 その9
兄さまはウンと頷き
「材料の麦に問題があった。
一寸(3cm)ほどの黒い角が生えた麦があっただろ?
あれは麦などの穀物に生えるカビの一種で幻覚作用や妊婦に流産を引きおこす(麦角)。
あれを使って醤を醸せば『あやかしのひしお』ができる。」
美蘇子はハァとため息をつき
「でも・・・、妊婦さえ食べなければ害はありませんわ!
幻覚という心地よい夢の中で、現実の辛さを忘れ、皆、一生楽しく過ごせますのに!!
いいものを作ったという自負があります!
ですが、毒ではないかという懸念はぬぐえませんでした。
別の美味しい醤を早く開発しなければならないと前にも増して焦りました。
いままでどれだけ新しい醤を開発しようと努力しても結局うまくいかず、その努力は誰も理解してくれない!
こんなに心血を注ぎ、わき目もふらず努力しているのに!
そうまでして頑張って新しい醤を開発しても、たまたま生えた麦のカビを利用した『あやかしのひしお』の方が売れ行きがよく、皆さまに喜ばれます。
一体何のための努力でしょう?」
項垂れ、悲痛な表情を浮かべた。
兄さまはもっと厳しい表情になり
「あなた自身も現実の辛さから逃げるために食べ、流産したんでしょう?
まだ症状が出ていないだけで、劇的な作用のあるものは妊婦じゃなくても症状は必ずでます。(手足の壊疽)
依存症になるほど食べたくなるならそれだけでも危険です!
それにあなたは、結局、夢に浸るより醤の開発という辛い仕事に戻った。
それは現実の辛い仕事の方が価値があり、意味があり、楽しいからじゃないんですか?」
美蘇子はコクリと頷き
「・・・・そうです。いいものをたくさんの人に食べてもらいたい!自分が作ったものが美味しいと褒められたほうが嬉しいです!」
麦角が毒じゃなければれっきとした『材料』になるだけでは?
それも一応、開発の『成果』と言えるのでは?
心の中でツッコむ。
結局、美蘇子は検非違使庁に連れていかれ裁かれることになり『あやかしのひしお』は販売禁止になった。
夕餉には兄さまと忠平様の膳には出たらしいが二人とも警戒して味見すらしなかったらしい。
私と年子様は妊娠の可能性があるので(私にはないハズ?!)、美蘇子が口に入らないように注意してくれた。
私は兄さまに
「辛い現実に耐える価値がなくなったとき、薬とか酒とか賭け事とか異性とか、溺れるための何かがあるほうが幸せかしら?」
「肉体を毒するとわかっていても一時の酩酊を欲するのが、生きている証拠かもしれないな」
私の目をジッと見つめ、呟いた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
麦角アルカロイドからLSDが作られた話はあまりにも有名ですが、一見関連のない植物と、人間という動物の間に重大な影響をもつ化学物質を共有してることが凄いなぁ~~!と感心してしまいます。