EP195:伊予の事件簿「決裂の偶像(けつれつのぐうぞう)」 その9
内裏に報告に出かけたまま真夜中になっても帰ってこないので、半分あきらめて寝ようとしたとき遣戸の向こうから
「浄見?話って何?」
低くて硬い、身体の奥が痺れるような兄さまの声がした。
遣戸を開けて夜気を含んだ香りのする兄さまを中に入れ灯明の近くに座らせた。
先日の夜、雷鳴壺の廊下で見た時のような蒼白で張り詰めた表情。
眉根を寄せ痛みにジッと耐えているよう。
ひそめた眉からでも薄墨色の端麗な目元の美しさが伝わり、見とれそうになる自分を『しっかりして!』と諫めた。
何から話そう?
考えながらも
「ええと、あのぉ、もう・・・・私のことを嫌いになったの?」
ビクッと肩を震わせ、目を見開き
「なぜ・・・・?そう思う?」
「影男さんと、抱き合ってたから?それを見たんでしょ?浮気が許せないのね?」
目をつぶってうつむいた。
・・・・やっぱり。
口では『誰と遊んでもいい』とか言いながら本当にそうすれば嫌いになるのね。
思わず挑発的な口調で
「思ってたのと違った?
本当に浮気しないと思った?
あなたの中の『理想の浄見像』が壊れた?」
一方的に責めながら涙をこぼしてた。
誤解だって素直に言えばいいのに
捨てないでって泣いてすがりつけばいいのに
口では真逆の事を言ってた。
「私だって傷ついてるしっ!誰かに慰めてほしい時だってあるし!それが嫌なら、もう・・・・」
兄さまはうつむいたまま、床を見つめながら
「違うっ!浄見こそっ!
影男を好きになったのなら、私は身を引くしかないだろっ!」
叫んだ。
「好きじゃない!影男さんなんてっ!
あなたの恋人たちに嫉妬ばかりして苦しむのがつらいのっっ!!
嫌な自分ばっかり思い知らされて、泣きたくなるのっ!!」
兄さまがハッと顔を上げた。
やっと目を合わせてくれた。
頬に長い指で触れられた。
親指であふれる涙を拭ってくれた。
「・・・・『優しい兄』はもう終わりだ」
兄さまが私の肩を素早く引き寄せ、
強く、激しく、抱きしめた。
(その10へつづく)