EP192:伊予の事件簿「決裂の偶像(けつれつのぐうぞう)」 その6
ビクッと身を震わせ
思わず影男さんの胸から顔を離し
振り向いた。
影男さんも私の体から素早く手を引っ込めた。
「影男?・・・と、きよ・・伊予・・・か?」
低く押し殺した兄さまの声がした。
涙でぼやけてよく見えないけれど、
眉根を寄せ怖い顔をしていた。
私たちだと気づき、青ざめたように見えた。
「伊予?
こんなに夜遅く、なぜ泣いてる?
なぜ影男と一緒にいるんだ?」
語尾が微かに震えた。
涙を拭きながら顔を上げ
「大納言様こそ、どこからいらっしゃったの?新しい恋人の元?」
鼻声で強がった。
一瞬、驚いた、泣きそうな顔をした後、蒼白な顔が無表情になった。
全身をこわばらせ
「あぁ・・・そうか。
そういうことか
わかった。
・・・邪魔したな。今日は帰る。」
クルリと踵を返して足早に立ち去った。
『待って!』
引き留めようとしたけど、
影男さんに後ろから腕を掴まれた。
「冷静になってから話したほうがいい」
イラっとして腕を振りほどき
「元はと言えばあなたのせいでしょっ!誤解されたじゃないっ!変なこと言うからっっ!」
八つ当たりした。
強がって余計な事を言ったのは私だけど。
影男さんがポツリと
「これぐらいのことでダメになるなら、はじめからそれだけの縁だってことです。」
必死になって
「ちゃんと話さなきゃ!誤解なのにっ!影男さんと何かあると思われたわっ!」
影男さんが首を横に振った。
「あなたの涙は誤解じゃない。
この先もそうしてずっと泣き続けるんですか?
・・・・大納言は
あなたの涙に釣り合う男ですか?
涙が乾くときは
恋心も消えるときではないですか?」
何言ってるの?
ずっとこの苦しさに耐え続ける?
兄さまと一緒にいる限り?
「それほど辛い恋を
続ける意味があるんですか?」
すぐには答えられなかった。
好きになればなるほど、過去まで欲しくなる。
過去の恋人の存在を笑って許せるようになるには
愛情の一部を捨てなければ。
子供のころから夢みてた
理想の恋人像にひびが入った。
この亀裂が大きくなったら
この恋を手放すべき?
洛中へ異国からの逃亡犯の捜索に出かける日の前日、大納言邸に里帰りした。
その夜、覚悟してたけど、やっぱり兄さまは私の対の屋に来なかった。
浮気したと誤解して、怒ってる?
ちゃんと話したかったのに
影男さんとは何でもないって。
朝になって、
『洛中の捜索へも連れて行ってくれないのかなぁ?』
落ち込みそうになった。
一応、水干・括り袴を着て、角髪を結った少年風侍従姿に着替えて自分の対の屋で待ってた。
柔らかな明るい日差しが辺りに満ち、廊下に出て、靄のかかったような白く濁った青い空を眺めていると、廊下を渡るキビキビとした足音がして、姿勢の美しい嫋やかな狩衣姿の公達が現れた。
(その7へつづく)