EP186:伊予の事件簿「疆界の三稜鏡(きょうかいのさんりょうきょう)」 その8
兄さまの真似をして舌に舌を絡め、夢中にさせようと必死に。
欲求を煽り立てようとした。
腰を強く抱き寄せられ身体を押し付けられた。
頭が痺れ、呼吸を忘れ息苦しくなって喘ぎながら唇を離す。
「騙した罰よ」
唇を指でなぞった。
上気した顔で
「褒美の間違いだろ?」
もう一度口づけようとする唇に手を当てて押しとどめた。
「忠平様から兄さまへの贈り物をここで受け取る約束なの。」
ガッカリした顔で口づけを諦め
「あぁ、それならさっき四郎の従者から受け取った。伊予殿とご一緒ですかと言われて。たまたまここへ来ただけなんだが。」
えぇ!
何ソレーーーー!
私関係ないじゃんっ!ここまで呼び出しておいてっ!
でも気になったので
「結局なんだったの?みんなが欲しがる役に立つものって?狙ってた連中は誰だったの?」
兄さまはまだギラギラした目つきのまま上の空で
「あぁ、あれは『玻璃(ガラス)の製法』だ。
わが国では二百年ほど前から玻璃は作られていない。
玻璃は珪砂、植物灰、石灰、を高温で熱して融解することで作られるが、薪を大量に消費するのは陶器と同じで、わが国では陶器を優先させたため玻璃製造は衰退した。
得られる玻璃の量が少ないことも衰退した原因の一つだが、植物灰を海藻灰(オカヒジキに近い耐塩性の陸生植物)に換えることで量が増えかつ珪砂の融解温度が下がり加工が容易になるという方法が発見され、四郎がその製法を記した書物を手に入れ私にも写本を一部分けてくれたんだ。」
ふ~~~ん。
「じゃあ私をつけてきたそれを狙う連中って陶器製造とか販売とかの関係者?」
ウンと頷き
「別に隠そうとしてるわけじゃない。陶器製造の工人たちには条件を同じにするために写本の数がそろったら一斉に渡すつもりだ。不平等な競争にならないように。」
なるほどーーー!
感心して納得。
「忠平様は帰京してないの?」
兄さまは肩をすくめ
「多分ね。でもあいつがいつまで備後で暮らせるやら。」
私は袂から三稜鏡を取り出して兄さまに見せた。
「これをもらったの。水晶でできてるらしいけど、玻璃でも透明度が高いものを作れば三稜鏡を作れるでしょ?」
驚いて手にとり『へぇ!』と感心しながら
「理論的にはね。でも、そこまでの技術はないだろうなぁ。」
すっかり日が沈んで辺りは薄暗くなっていた。
帰り道、兄さまと手をつなぎ歩いていると、昼間の紋白蝶や虹を思い出した。
死後の世界、輪廻、現前した幽世の気配。
「植物は燃えると、灰になって、玻璃の材料になって、三稜鏡を作るでしょ?
虫は餌として野菜や木を食べて、糞として土を作ってくれるし、死ねば餌を作る。
人間は死ぬと何を作るの?」
「そうだな、人は・・・
人は、水晶から三稜鏡を作り、虹を作る。
種をまき、穀物を作る。
愛する人と過ごす、幸せな瞬間を作る。
・・・ただし、すべて生きている間にね。」
呟きながら、私の手をギュッと握りしめた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
常世はあの世、幽世、つまり死後の世界のことですけど、常識、常時、常々、の印象からてっきり現世、この世、俗世だと勘違いしてしまいますよね!