Ep17:つひにゆく道
時平と浄見はやっと二人でゆっくり過ごす時間を持てた。
二人で山へ行き、花を摘んで部屋に飾った。
二人で月を見たり、貝合わせをした。
二人で手をつないで、市へ買い物に行った。
二人で何も言わず見つめあって時を過ごした。
何をしても、お互いのそばにいるだけで幸せだった。
906年には時平と浄見の息子である藤原敦忠が生まれた。
百人一首では
「あひみての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」
と詠んだ「権中納言敦忠」である。
908年、時平とともに菅原道真を左遷に追い込んだ藤原菅根が雷に打たれて死去した。
人々は菅公の呪いだと噂した。
別れは突然来た。
909年時平が倒れ、死の床についた。
浄見は未来が見えるだけで変えることができないこの能力を呪った。
側室の年子が浄見と交代で看病することを申し出た。
年子は別の屋敷に住んでいたので通ってきた。
浄見を見ると
「やっぱりあなただったのね」
と言った。
時平は浄見を国経から奪って以来、他の妻の元へは必要なときだけ顔を出し、毎日を浄見と過ごした。
年子は
「初めてお会いしたときからずっと、時平様の心にはあなたしかいなかったのね」
と言った。
世間から時平は相変わらず自分勝手で極悪非道な人間だと噂されていた。
浄見はそれを否定できなかった。
浄見も『年老いた夫と乳飲み子を捨て、若い権力者の男に走った計算高いあばずれ女』と噂された。
でも、世間に何と言われても気にせず側にいてくれる時平を、誰がどんな風に言おうと愛していた。
菅公の呪いが成就し時平は早逝するのだと噂された。
浄見は時平を弁護したかったが、帝が善政を行ってることが時平の一番の救いだと思った。
最後に時平は
「側にいてくれてありがとう。」
と言って亡くなった。
この時、時平三十九歳。
時平の死後、弟・忠平は兄の改革と合わせ「延喜の治」と呼ばれる政策を行い六十二歳で関白となった。
浄見は静かになった時平に
「こちらこそ、ありがとう。」
と言った。
来世の約束はなかったけど
浄見はまた会える気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
古いものの名前や和歌の意味などは間違っているかもですし、また、引用を多用したり雑なところだらけですが、一人でも面白いと思っていただければ幸いです!




