EP167:伊予の事件簿「吉備津彦の桃(きびつひこのもも)」 その6
影男さんが出立して三日後、初めて兄さまからの文が届き
『私も四郎も無事だ。できるだけすぐ帰る。』
とあったので、影男さんのおかげかどうかわからないけれど、次の日、兄さまは駅馬(急ぎの連絡便)を乗り継ぎ、文を追いかけるようにして帰ってきた。
私は文を受け取り大納言邸に里帰りしたのに、兄さまは帰るなり、報告すべきことがあるとすぐに上皇の御所に参内したらしく入れ違いになり、忠平様捕囚事件の概要については兄さまの帰宅を待つしかなかった。
その日の夜、大納言邸に戻った兄さまを出迎えた。
赤子の次郎君(藤原顕忠)を眠ったまま抱きかかえて待っていた年子様や使用人頭などできるだけ多くの邸内の人々が主殿に詰めかけた。
皆兄さまの無事を確かめたかったのと、主を精一杯労おうと膳や酒をならべたり、湯殿に湯を沸かしたのを勧めたりした。
兄さまは笑顔で一人一人と言葉を交わし、労いを受け入れ逆に礼を述べて一人ずつ帰した。
最後に年子様と私が残り年子様の抱くぐっすりと眠る次郎君の頬を指でつついて
「ありがとう年子。心配かけたな。次郎を寝かせてお前も休んでくれ。」
年子様が不満そうな顔で私をチラッと睨んだ後、何も言わず自室へ戻った。
二人きりになると、目元の隈やこけた頬、青白い皮膚の色が急に目につき、兄さまが疲れ切っているのを感じた。
だけどジッとしていられず自分から胸に飛び込み抱きついて、目一杯匂いを吸い込んだ。
夜気の露の匂いとさわやかな草の匂いに混じった、なつかしい体臭にホッとした。
やっと兄さまが帰ってきたっ!
「浄見、先に湯で体を洗ってくる。東北の対の屋で待っててくれ。」
背中を撫でながら呟くのでウンと頷いたけど手を放したのはもう少ししてからだった。
自分の対の屋に、膳や酒や水瓶を運び兄さまを待っていると、湯殿からあがった兄さまが現れた。
肌の血色がよくなり、濡れた髪の生え際や生気を取り戻した肌が艶めかしく見えた。
精悍な顎と筆で引いたような目、薄い唇はいつもより紅く、衿からのぞく盛り上がった胸の筋肉にドキドキが止まらなくなった。
はじめて男性に『色気』を感じて、
『こんな気持ちをずっと持て余さなきゃならないの!』
とドギマギし
『イヤらしい目つきかしら?』
と心配になった。
ドギマギして顔を赤らめたり心配のあまり青ざめたりしてるのを見て膳の肴をつまんでいた兄さまが
「四郎捕囚事件の顛末と、浄見を抱きしめるのと、どっちが先がいい?」
悪戯っぽく笑って漆黒に濡れた瞳で艶めいて見つめる。
そりゃあ!今すぐ抱きしめてほしいっっ!!
と思ったけど品がないと思われたくないので真面目な表情をつくって
「忠平様がどうやって救出されたのかと荒っぽい集団の正体の方が知りたいわ!」
ニッコリ余裕の笑みを浮かべた。
(その7へつづく)