Ep13:昌泰の変
901年十五歳の醍醐天皇は時平に
「上皇と菅原道真は、そなたの妹・穏子の入内を阻止したり何かと朕に指図してくるが、どう思う」
時平は
「御二方とも帝と国のために、政治を執っていらっしゃいます。過去の改革と現在の安定はお二人の尽力の賜物です。」
「でも、朕とそなたの二人でもできるのではないか?」
「上皇とその側近を排除したいとおっしゃるのですか?」
「上手くいけばそなたの妹を中宮にしよう。」
「それは・・・どちらでも構いませんが、菅原道真公は多くの近臣の心をつかんでおります。
排斥するにはよほど強力な証拠が必要です。」
「確か道真の娘婿は朕の弟・斉世親王だったな。やつとつるんで皇位を狙っているのではないか?」
「そのような証拠があれば排斥は可能でございますが。」
そばで聞いていた蔵人頭の藤原菅根は
「たしか菅原道真は仁和寺(宇多上皇)の御事に、しばしば承和の故事(承和の変)を奉じたことがあったとか」
醍醐天皇は
「何!それは廃太子計画があるという事だな!
その奉じた書なり、経なり、何でもいいから探してもってこい!それを証拠とすればいい!」
藤原菅根は
「お任せください。もし見つからなければ大蔵善行の門下生にでも作らせましょう。」
時平は
「では証拠がそろい次第、菅根殿には奏上してもらい、それを受けて
菅原道真降格の宣命を出していただくといたしましょう。」
醍醐天皇は
「道真の危機となれば上皇が聞きつけて朕を止めに来るかもしれないぞ」
時平は
「上皇は在位中に天皇の許可の得ない上皇の参内を禁じました。それを盾に菅根殿には上皇の参内を阻んでいただきたい」
菅根は
「承知いたした。」
浄見は夢を見て目覚めた。
隣で寝ている時平を起こし
「兄さま、菅原道真様が不幸な境遇になるのを防がなくては!」
時平が身を起こし
「予言か?」
浄見は頷いて
「鄙びたところで道真公が兄さまと藤原菅根様を呪ったあと、菅根様が雷に打たれて亡くなる場面を見ました。」
「それだけか?」
浄見は少しためらった後
「兄さまが・・・まだ若いうちに死の床に就いている場面も見ました」
時平は少し眉を上げ
「他には?帝は?」
浄見は思い出そうとしたが
「帝は・・・何も見えませんでした。あと、学者達が兄さまと菅根様を罵っている場面がありました。」
時平はため息をついて
「それならかまわない。」
浄見が心配そうに
「菅原様をどうするの?陥れるようなことをするの?ずいぶん恨んでらしたわ」
時平は無表情に
「政治の話だ、浄見には関係ないよ」
と言った。
浄見は躊躇いながらも反論した。
「でも、兄さまが死ぬかもしれないのに!それに菅原様は清廉な善い人です!その方を陥れるなんて間違ってるわ!」
時平が冷たい目で
「道真公の何を知ってる?完璧な善人なんていない。あの方も多くの貴族の恨みを買ってるんだ。」
浄見は怯みそうになったが
「『菅家文草』を読んだわ!立派な思想家よ。なぜそんな人を貶めるの?」
時平がふぅっとため息をつき
「帝のご意向だし、藤原家を守るためでもある。菅公の勢力は大きくなりすぎたからな。それに、上皇の影響もそろそろ排除する必要がある。」
浄見が食い下がった。
「でも!功績のあった立派な方を無実の罪で陥れるなんて・・・そんなことをなさるなら兄さまとの縁を切ります。」
時平がジッと浄見を見つめ
「浄見は世間知らずだからそんなことを言うんだ。私の父だって祖父だって、これくらいの陰謀はしてきたし、そうやって我が一門は大きくなったんだ。
それを私の代で終わらすわけにはいかない。そんな駄々をこねないでくれ。」
浄見はぬぐいされない不安にとらわれ、思わず大声を出した。
「それだけじゃなくて、兄さまの命が危ないのですもの!」
時平の表情が曇った。
「菅公の呪いは本当に実現すると?」
浄見はどうにかして時平を説得しようと、食い入るように真剣に見つめ
「私に予言の力があるように、菅原様にも、菅原様を慕う方にも、霊力をお持ちの方はいます。」
時平は目を逸らし、硬い表情で
「帝に呪いの影響がなければ私のことはいい。帝は上皇の干渉なしで実現したいことがおありなのだ。われわれ臣下はそれを助けるのが役目だ。」
浄見は不安が高じてヒステリックな甲高い声になった。
「私には兄さまのほうが大事です!その計画を止めないなら私は二度と兄さまに会いません!」
時平は目を逸らしたまま、空の一点を見つめ、黙り込んだ。
浄見と時平はそれ以上この話を続けなかったが、901年1月、事件は起こった。
『醍醐天皇の外戚である中納言・藤原定国と蔵人頭・藤原菅根は天皇に対して「天下之世務以非為理」と奏上し、天皇がそれを受けて
「宇多上皇を欺き惑わした」
「醍醐天皇を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」
として、菅原道真を1月25日に大宰員外帥に左遷した。
宇多上皇はこれを聞き醍醐天皇に面会しとりなそうとしたが、衛士に阻まれて参内できず、また道真の弟子であった蔵人頭藤原菅根が取り次がなかったため、宇多の参内を天皇は知らなかった。
また、菅原道真の長男の高視を初め、子供4人が流刑に処された。
変の翌年に連座を免れた源希も病死、同じく藤原忠平も政治の中枢から事実上追われることになり、醍醐天皇・藤原時平派の政治的勝利に終わった。
直後に醍醐天皇は穏子を女御に格上げして事実上の正妃として遇し、その所生の皇子による直系継承によって藤原氏の支持を得た皇位継承を図ることとなる。
これは、宇多上皇が進めてきた藤原氏の抑制方針を大きく変えるものであった。 』
という昌泰の変である。
翌日、浄見は時平の前から姿を消した。
時平が雷鳴壺を訪れ、
「伊予はどこにいますか?」
「伊予は膳を取りに行ったきりです」
時平は内膳司や内侍司へ行ったが、浄見の姿は見えなかった。
本気で二度と会わないつもりか?と不安になった。
浄見がいなくなって数日もたつと、時平は居ても立っても居られなくなり、宇多上皇を訪ねた。
「何?浄見を知らぬかと?わしがずっと探しておることは知っておろう。
今やそなたは朝廷一の権力者だろう?わしに何ができる?」
と嫌味を言った。
時平は下を向いたまま
「浄見は、上皇様から逃亡して以来、私が隠しておりましたが、数日前から失踪しております。何か手掛かりがありませんか?」
上皇は皮肉気に
「ふーん。わしを裏切って浄見を隠した上、帝と手を組み道真を左遷しておいてよう言うわ!」
時平はぐうの音も出なかった。
上皇が睨み付けた目をギョロつかせた。
「浄見の逃亡は、わしの不徳の致すところじゃが、そなたも逃げられておるという事は結局わしもそなたも同じ穴の狢ということか!はっはっは!」
上皇はおかしくてたまらないという風だった。
時平は上皇の様子を見るに、ここにはいないと判断した。
浄見は上皇に恩義はあっても頼るほど親しみを持っていなかったからだ。
ここへくるよりは川へ入って死ぬほうを選ぶかもしれない。
と思いついて急いで川へ探しに行ったが姿が見えなかった。
あと一つ、思い当たる場所は母である穆子内親王のところだった。
だが、浄見が自分の母が穆子内親王であることを知っているという確信はなかった。




