EP119:清丸の事件簿「天邪鬼の柑子(あまのじゃくのこうじ)」 その5
「兄さまが一昨日朱雀門から出ることとその時間を知ってたのはあなたと竹丸だけだから。何も知らない人がちょうど通りかかるなんてありえないでしょ?」
恒槻の満面にたたえていた笑みと皺が急に平坦になり無表情になったかと思うと
「やっぱりあの噂は本当だったんだね?大納言と伊予殿の?」
思わずハッとして『兄さま』と言ったのを聞きとがめられたんだ!と気づいた。
恒槻が怒りの表情で睨み付け瞼をピクピクと痙攣させながら少しずつ近づいてこようとするので御簾からすぐ出ようと手をかけて後ろに下がろうとすると
「動くなっ!伊予殿、オレの贈った櫛と紅は気に入ってくれたか?そういえば大納言からの文がたくさんあったな。やっぱりヤツと付き合ってるんだな?ハハハッだからヤツを刺したんだよっ!知ってたんだろ?オレの仕業だと。じゃあなぜだかもわかるだろ?お前がオレのものにならないからだよっ!あいつが死ねばオレの恋人になるだろっ?」
とさっきの無邪気な笑顔からは想像もつかない突然暴れだしそうな狂気をはらんだ目をギラつかせ近づこうとするので
「近づかないで!大声を出せば人が寄ってくるわよ!知り合いの大舎人に近くで待機してもらってるんだからっ!」
と嘘をつくと恒槻の動きが少し止まった気がした。
この隙に逃げ出そうと御簾をめくって廊下に出ると、すぐそこに立っていた濃紫の直衣の胸にぶつかった。
ビックリして見上げると兄さまの顔があったので嬉しくなって思わず抱き着き
「良かった~~!来てくれたのねっ!」
と顔をうずめたあと、アレ?そういえば重傷だったのにこんなにすぐに治るもの?と思い返してもう一度顔をよくみるとそれは忠平様だった。
今度は弾かれたように後ろに飛びのいたので尻餅をついて痛かったけど恐怖でブルブル震えながらやっとのことで
「あ・・・あなただったの?本当の犯人は?」
と呟いた。
忠平様は微動だにせず顔だけをへたり込んでいる私の方へ向けて冷ややかに
「何のことだ?犯人だって?私はただ・・・」
と言いかけると恒槻が御簾をめくって出てきたと思ったら忠平様を見て庭に飛び降りて逃げ出した。
「恒槻を捕まえろっ!」
と忠平様が命じるとどこからか本当に大舎人たちが出てきて恒槻を取り押さえた。
忠平様の合図で大舎人たちは恒槻をどこかへ連れて行った。
何が何だかワケがわからずぼ~~っとその様子を見ていると、忠平様が手を差し伸べて私がその手を握り立ち上がると
「私は竹丸から話を聞いて伊予の様子を見に来ただけだ。念のため大舎人を連れてきて正解だった。寸丸は私の従者で恒槻と話したことはあるが賭けをした覚えはないと言っていたから恒槻が怪しいのは確かだった。兄上が重傷で動けないから代わりに来てやったのに犯人とは何のことだ?もしかして兄上を襲わせたのが私だとでも?」
とジロッと睨んだので、ゴメンナサイ~~と冷や汗をかきながら身を縮こまらせた。
「・・・忠平様、危ないところを助けていただいてありがとうございました。ではこれで失礼します」
と消え入りそうな声で挨拶し頭を下げてその場を去ろうとすると
「まてっ!伊予!」
と呼び止めるのでビクッとして立ち止まり恐る恐る振り向くと、兄さまそっくりの優しそうな微笑みでニッコリと笑いかけ
「柑子は気に入ったか?また仕入れたら分けてやる。」
と機嫌よく言うので『何かの罠?』と怪しんだ私は
「ええと、あの、美味しかったですけど、もういいです。見返りとか後の要求が怖いんで。」
と呟くとムッと不機嫌な顔になり口を開いて何か言いかけたとき渡殿から
「ありがとう四郎。伊予を守ってくれて。私がいるからもう大丈夫だ。帰ってくれていいよ。」
と兄さまが現れた。
今度は本物?それとも生霊?とパニックになりかけたが走り寄って兄さまの腕を触り筋肉質の腕の感触に実在を確かめ
「どうしたの?傷は大丈夫?どうしてこんなに早く回復したの?」
兄さまがニコッと笑うと
「実は怪我は大したことなかったんだが、真犯人が誰かを確かめるために重傷の噂を流して裏で調べさせていたんだ。まさかこんなに早く浄見が恒槻という犯人にたどり着くなんて思わなかった。さっき竹丸から聞いて急いで駆けつけたんだが四郎に先を越されてしまった。」
私は兄さまのお腹あたりをマジマジとみて直衣に血がついてないかしら?と心配になって
「本当に大丈夫?」
「かすり傷だよ。面会謝絶にしたのは敵を油断させるためだったんだ。竹丸には伝えてたんだがあいつは何をやってるんだ。」
はぁ~~~確かに竹丸は心配もせず索麺を私の分まで平らげてたわねとため息をついた。
忠平様が苛立った声で割り込み
「では、兄上、私は失礼します。」
と足早に立ち去った。
後姿を見送った後、
「数日前、忠平様に柑子をたくさんいただいたの。一体何を企んでいると思う?」
とささやくと兄さまは肩をすくめ
「さぁ。『伊予』を食べ物で懐柔しようとしてるのかもね。」
私が不思議でたまらないというふうに
「文には『未熟で酸っぱいだろうからお前にくれてやる』と書いていたのに完熟でとっても甘かったの。どうしてかしら?」
兄さまが少し眉根を寄せ警戒した表情で
「ふうん。それなら要注意だな。天邪鬼なやつだから、ひょっとしたら浄見のことを『酸っぱい柑子』だと思い込もうとしているのかもな。」
と言った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
蜜柑は常緑樹で神聖視されてる上に実も美味しいって出来過ぎですよね~~!