EP112:清丸の事件簿「後宮の万葉(こうきゅうのまんよう)」 その4
兄さまはニコリと微笑んで首を横に振り
「いいえ、金縛りは浅い(レム)睡眠のときに何かのきっかけで脳が目覚めても体が目覚めておらず筋肉の活動が抑制されている状態です。覚醒しているはずなのに体を動かせないことが恐怖を引き起こし心霊現象だと勘違いするのです。仰向けの姿勢は体の力が抜けても安定感があり、体の動きが生じにくく金縛りが起きやすいといわれています。逆に横向きの姿勢は体の力が抜けると不安定なので、睡眠が中断しやすく金縛りを避けやすくなります。昼間に寝ると脳が混乱し浅い(レム)睡眠と深い(ノンレム)睡眠の均衡が崩れ金縛りが起きやすくなります。酒は眠りを浅くすることで金縛りにつながります。一度横向きに寝ることを試してみてはいかがですか?」
へぇ~~~!と感心し、今まで一度しか金縛りになったことのない私は確かに昼間、仰向けだったなぁと思いだして納得した。
夜は大抵横向きに寝るので金縛りの回数は少ないのかも。
桐壺更衣も扇をちょっとずらし兄さまの顔を見て『はぁ~~~!』と口をぽかんと開けて驚いたように感心してる。
茶々もウットリと見とれてる。
兄さまは杉葉に向き直り
「あなたの鼻血ですが、回数が増えた少し以前に、何か他の人とは違ったものを食べ始めていませんか?もしくはそばに置いておくもので他の人とは違うもの、香でもいいですがありませんか?」
杉葉はこめかみに指をあてて考え込み
「いいえ、思い当たりませんわ!」
「ここにくる以前は鼻血が出ることはあまりなかったんですね?」
杉葉はうんと頷くと
「では、大きい病気でなければ何か出血しやすくなる物を体内に取り込んだのが原因と思われますが・・・」
茶々がアッ!と声をだし
「そういえば杉葉は今年、春に桜餅を食べて以来桜の葉の塩漬けを大量に作って何でもそれで巻いて食べるのにハマってるわ!ねっそうでしょ?ご飯はもちろんお魚やお菓子の干し柿だって桜葉の塩漬けで巻いて食べてたじゃない!」
と杉葉に聞くと杉葉もハッとして
「そうですわ!それならほぼ毎日一枚以上は食べてますわ!何とも言えない甘い、いい香りがするんですもの~~!一度試してみます?」
と呑気に言う。
兄さまははぁ~~とため息をついて
「それが原因です。年に二・三度少量を食べる分には体に影響はないですが、桜の葉が傷むと中に血液を固まりにくくする物質ができ、少しの衝撃で鼻血が出やすく止まりにくくなるのです。最悪の場合、怪我で出血したとき止まらず失血死に至ることもあります。すぐに桜葉の塩漬けを食べるのはやめてください。そして納豆や灯明に使う菜種油を食べると早く回復しますよ(ビタミンKが補えるので)。」
と役に立つ豆知識。
杉葉は気づいてよかったけど、好きだからって同じものを食べ過ぎると何でも毒になっちゃうのねぇ~~。ご飯もそう。私は蜜柑かしら?手が黄色くなるけどそれは大丈夫かな?
兄さまが思い出したように杉葉に
「あと、恋人との逢瀬は時と場所を考えるほうがいいですよ。霊のうめき声だと思われてるようですから。」
と言うと杉葉は『・・・はい』と口だけ動かして返事し、真っ赤になっていたたまれない表情で恥じ入ってた。
私がええと・・・と考えて
「あとは、几帳の帷についた指の跡と、気分が悪くなって見えた怪異と、怨念の文字・・・」
と言ってしまった後、アッと気づいて茶々と兄さまの顔を見ると二人に睨まれてた。
気を取り直して
「指の跡は何なの?」
と兄さまに聞くと、桐壺更衣に向かって
「この几帳はどこから持ち込んだものですか?もしかしてご実家からでは?そして小さい弟君か妹君がいらっしゃるのでは?」
桐壺更衣は今度も驚いた顔で
「まぁ!その通りですわ!何でもお分かりなんですねぇ。実家から持ち込んだ几帳で小さくはないですが今年十歳になる弟がいます。」
兄さまは微笑み
「ではその弟君が実家にあるときにその几帳で汚れた指を拭っていたのが今になって布についた皮脂が空気と反応し(酸化)、茶色い汚れとして浮かび上がってきただけですよ。呪いでもなんでもありません。」
茶々が苛立った顔で舌打ちしながら
「あいつぅっ!ガサツなところは桐壺更衣と全然似てないし何なら足なんて年中泥だらけだったわねぇ!来るたびにお菓子を食べた指を几帳で拭ってたなんて!でもそれなら十分あり得ますわ!幼かろうがなかろうが、高価な調度品の価値なんて気にした事なんてない若君でしたし。」
と何やら不穏な関係っぽい。
「気分が悪くなる怪異と、几帳に残されたもう一つの茶色い汚れについては・・・」
「それも弟君のせいじゃないんですか?汚い指であの『怨桐壺更衣』の文字を書いたんでしょ?」
と茶々が気軽に言うと、桐壺更衣は表情を曇らせ兄さまは深刻な顔になり首を横に振り
「いいえ。これは確実に桐壺更衣に恨みを持つものの仕業です。『怨桐壺更衣』と書いてあったということは、ご実家に几帳があったときには桐壺更衣と呼ばれることをまだ知らない弟君が書くことはできないからです。入内なさってからそう呼ばれることが決まったでしょう?」
桐壺更衣が頷くのを横目で見ながら納得した私は早く知りたくてウズウズして思わず
「確かにそうだわ!じゃあ誰なの?」
(その5へつづく)