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97 揺れる人々

 サーシャを伴い、リーアムがパーソロン邸に帰ってきたのは、早朝のことだった。

 パーソロン公オーウェンは王宮から離れられない。代わりにサーシャが使用人たちを集めて、王宮での出来事について説明した。


 内容は至ってシンプルなものだった。

 帝国に通じていた貴族の一部が女王を脅し、妖精結界の解除を試みたが失敗。近衛隊との小競り合いで数人が怪我を負ったが、双方死者はなし。ネイル王子は無事。女王も無傷だが心労で倒れたということだ。


 かなり端折っているのだろう。妖精の目を通して本邸の様子を見ているエイヴェリーは、そう感じた。

 使用人たちも突然の話に戸惑っているようで、皆一様に不安げな顔をしている。すると一人の男性使用人が声を上げた。


「旦那様はご無事ですか?」


 サーシャが微笑みながら頷くと、使用人たちは安堵の表情を浮かべた。


「貴族が……やったのですか? ……その……」


 震えながら声を上げたのは侍女だ。彼女はパーソロンの遠縁の貴族女性である。


「ど、どの家の方が……」


 彼女の怯えた様子は、場の空気を凍り付かせた。


「今、それを調べている所です。いいですか、これから騒ぎが広がるでしょう。情報を得ようとパーソロンに近づいてくる者も増えます。くれぐれも流言飛語に惑わされぬよう、パーソロンの者としての品位を保つことを忘れてはなりませんよ」


 サーシャはそれだけ言うと、リーアムと共に部屋を出ていった。後に残った使用人たちに執事が今後について説明していた。




 サーシャとリーアムはすぐに離れにやって来た。


「母上!」

「ああ、エイヴェリー」


 終始気丈に振る舞っていたサーシャだったが、娘の声を聞くなり、その表情を大きく崩して泣き出しそうな声をあげた。

 母と娘は互いの震える体を庇うように抱き合った。


「誰も……、誰も大きな怪我はしてないのですね」

「お父様は無傷ですよ。ディアミド様が少しお怪我をされました。あとは陛下を襲った者たちが……」


 サーシャの言葉はそこで途切れた。

 リーアムによると近衛隊との戦いで重症を負った者や、その場で自害しようとした者がいたようだ。


「一体誰が陛下を襲ったんだい?」

「帝国の工作員だよ。ただ手引きしたのは前のネヴェズ公の息がかかった者だ」


 リーアムはいくつかの家の名前を上げた。ネヴェズと共にラナンの傍系の名がある。


「正直、どれだけの人間が関わっていたのかは分からない。父上もディアミドも徹底的に膿を出したいと思っているようだが……」

「リーアム、今は疲れているだろう? 詳しいことは後でいいよ。母上も、しっかり休んでくれ」


 そう言うとエイヴェリーはリーアムを抱きしめた。母の目の前だが、まあ、公認の付き合いのようなものだし問題ないだろう。


 しかしサーシャは目を丸くして若い恋人の大胆な様子に見入っていた。


「ひどいわ、エイヴェリー。休めなくなるじゃないの。まあ、お父様になんって言ったらいいのかしら。ねえ、ノリス、この子たちはいつからこんな風になってたのかしら」

「奥様、申し訳ありません。最近の若い方は大胆なものでございますからねえ」


 母と侍女が大袈裟に騒ぐので、二人は素早く距離をとった。



 『虹色』の開店と同時に近所の人たちが、わっと店に入ってきた。手には買ったばかりの新聞を持っている。既に王宮襲撃の様子が報じられているのだ。


「女王様や王子様には怪我はないって話だけど、ネヴェズの旦那やリーアム様はどうなってるんだろうね」

「エイヴさん、あんた知ってるかい?」

「いえ、詳しいことはなにも……」


 話を振られたエイヴは困ったように首を振る。


「なんで王宮に悪者が入ってくるんだい?」

「前のネヴェズの旦那が悪さしてんだってよ」

「やっぱりネヴェズは悪党なんだよ」

「ディアミド様は違うわっ」

「女王様のお身体は悪いんだろ、ネイル様はまだまだ子どもだよ」

「はあ、これからどうなるんだい……」



 店内の空気はどんよりと重たい。甘い菓子の香りも人々の気分を上げることは出来ないようだ。


「辛気臭さい話は止めてよ。営業妨害よ」


 アシュリンはきつい口調で客をたしなめた。客と言ってもエリン通りの住民くらいだが。


「みんなが暗い話ばっかりしてちゃ、初めて来る人がこの店に入り辛いでしょ」

「そんなこと言ったってねえ、アシュリンちゃん。最近、外国人も減っちゃったしさ、船も少ないじゃないか……」


 店内の雰囲気はさらに暗くなる。


 港は閑散としている。商船も客船も少なくなってきているのだ。

 ラナンシに屋敷を持っていた外国人たちもどこかに消え、観光客もめっきり来なくなった。

 情報通のロベルタ商会によると近々帝国がラナンシ併合に本格的に動き出すとの噂が、帝国内に出回っているらしく、外国人がラナンシから逃げ出しているのだ。


 さらに輸入品も少ない。群島の男ショーンのお陰なのか海賊行為は少なくなってきている。しかし、帝国に入る輸入品自体が少なくなってきているので、帝国経由で手に入れるしかないカカオやコーヒー豆はもうラナンシに来ないのだ。

 カフェでコーヒーを飲むことを楽しみにしていたエイヴェリーにとっても大打撃である。


 そんな不穏な状況の中で起きた襲撃事件は人々の不安を増大させている。


「なあに、女王様が本気になったらこの前みたいに悪い奴らなんて、ひょいっとやっつけてくださるさ」


 この前とは客船事件のことだ。あの時の不可思議な出来事は女王の力とされているのだ。


「なら、どうして王宮に悪い連中が入ってきたきたんだよ」

「そりゃあ……」

「女王様はお疲れなのかもしれないねえ」

「女王様が頑張ったってさ、妖精の見える女の子がいないんじゃ、先はないよ……」


 これ以上の動揺が広がる前に、早くポポロンを世に出さなくてはいけない。

 エイヴェリーはすぐにでも皆に言いたかった。


 大丈夫、妖精が見える者がすぐに現れて結界はこれまで通り、維持することが出来るんだ――と。


「女王様、女王様って馬鹿じゃないの? そんなに妖精結界が大事?」


 突然アシュリンが叫んだ。

 その言葉は重苦しい空気を刃のような鋭さで切り裂く。


「まあ、アシュリンちゃん。だって結界がなかったら……」

「結界が何だっていうの? 群島を見なさいよ、あの人たちは帝国に抗ってるじゃない。他の地域だって帝国の圧政に立ち上がってるって話よ。妖精結界がなくても、ちゃんと自分たちの土地や生活を守ろうと必死なのよ」


 アシュリンの剣幕に客は呆然としている。

 ここはお菓子屋の店内である。政治を熱く語るパブではない。他の客同様、エイヴェリーもアシュリンの勢いに圧倒されていた。


「結界があっても王宮まで刺客が来たし、裏切り者も出たじゃない。女王様が一人で頑張ったって国は守れやしないわ」

「で……」


 何か言おうとした客を無視してアシュリンは話し続ける。


「三家が動かないから仕方がないとか思ってんじゃないの? 働かないネヴェズやパーソロンをどやしつけたらいいじゃない。平民だからなんだって言うの? みんな自分の出来ることを探しなさいよ」


 シンッと静かな時が流れる。

 しかし人々の目は先ほどまでの弱々しいものではなかった。


 甘い香りが鼻腔をくすぐるお菓子屋の店内は奇妙な熱気に包まれていた。

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