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82 蜂蜜と砂糖

「虹色ターキッシュデライトは発売延期にするわ」


 『虹色』の厨房で暗い目をしたアシュリンがぼそりと呟いた。

 店を閉めた後のことである。


「うん、まあ君がそう言うなら仕方ないね」


 エイヴェリーは特に驚くでもなく、淡々と答えた。

 発売延期の理由は分かっている。


 アシュリンは輸入品に頼らない純国産のターキッシュデライトを目指していた。そのために砂糖を蜂蜜に変えたのだ。

 しかし、これが上手くいかなかった。


 原因は養蜂家といえるほど蜂蜜を専門に作っている農家が存在しないことだ。

 ほとんどが本業の片手間に蜂を育てる巣箱で蜂蜜をとっている。まずは家族の分を確保、それから近所で物物交換、あまれば近場の市場に出す。

 それで事足りるので、誰も養蜂を本業にしようとは思わないのだ。


 アシュリンとエイヴェリー(パーソロン家)は、蜂蜜を集めまくった。

 結果、各家庭で作られた蜂蜜は、味が全然違うということに気がついた。

 蜂が集める花の蜜が違うので当たり前の話なのだが(もっともエイヴェリー(初晴(はつはる))は知らなかった。蜂蜜は蜂の体から作られていると思っていた)、農家としては基本的に自分たちが食べる分さえあればいいので、品質を安定させるという考えはない。

 量も質も安定的に供給できるレベルではないのだ。


「蜂蜜とレモンのパート・ド・フリュイは美味しかったよ」

「一回目と二回目で味が違ったじゃない。同じ名前の商品で味が安定しないようじゃダメよ。売り物にならないわ」


 試しに作ったハチミツと柑橘類のパート・ド・フリュイは中々の味だったが、ターキッシュデライト全てに蜂蜜を使うとなると量が足りない。

 さらに使う蜂蜜で他のフレーバーとぶつかることもあるから扱いずらい。


「やっぱりクセのない砂糖が一番だけど……」


 アシュリンは、そこで言葉を一旦止めた。何かを言おうとして、逡巡しているようだ。

 なんでもはっきり言うアシュリンにしては珍しいことだと、エイヴェリーは思った。

 しばらくは様子見だね、と言おうとして口を開きかけたエイヴェリーだが、先に声をあげたのはアシュリンだった。


「来たのよ、また。群島の人間が」


 アシュリンの唐突な発言にエイヴェリーはついていけない。


「またって?」

「覚えてない? 群島とラナンシで直接取り引きしたいって話があったって話したでしょ」

「ああ、そうか……。でもロベルタは、断ったんだよね?」 


 諦めずに、再び交渉に訪れたのだ。


 群島といえば、先の客船事件、それから以前にあった海賊騒ぎの件もあって、エイヴェリーの印象はあまりいいものではない。


「また、断ったのかい」

「当たり前よ。うちは親戚の大半が帝都の人間なんだから」


 でもね、とアシュリンは続けた。


「この前とは別人が来たんだけど、なんだか雰囲気が違うのよ。商人っぽくなくて……何って言うか、その――」

「海賊っぽい?」


 元々群島の民は、商人にも海賊にも漁師にもなると言われている。上品な交渉は出来ないのだろう。


「そうね、強いていえば商人より海賊の方が近いわね。でももっと違う雰囲気なのよ。少なくとも一時的な利益が欲しくて、わざわざラナンシまでやって来た感じじゃないの」


 間に帝国を挟まずにラナンシと群島でやり取りする方が互いの利益は多い。しかし、帝国に知られればただでは済まない。一時的な利益のためなら、危ない橋は渡らない方がいいだろう。

 群島が真に求めるものは他にあるとアシュリンは言いたいのだ。


「じゃ、何が目的なんだい」

「あくまで仮定の話だけどね、群島は独立したいんじゃないかしら。あの男は、独立運動を主導してる人間の一人かもしれない」

「!」

「ああ、あくまで仮定の話よ。あいつが単なる商人や海賊にしては少し、なんって言うのか違う感じがしてね。私が、というよりお父様がそう言うのよ。お父様は商人として人を見る目があるから」


 アシュリンの父親は、ロベルタ商会二代目当主である。帝国に太いパイプを持つこの男は、ラナンシのどの貴族よりも帝国の政治に食い込み、多種多様の人々を見てきたのだろう。


「これまで会ってきた群島の人って、少し粗野な感じがしたんだけど、その人は物腰が洗練されていたのよ。帝都でも違和感がないと思うわ」

「群島の首長クラスの人物なのかもしれないね。で、彼はどうしたの? 断られてスゴスゴ島に帰ったのかい?」

「分からないわ。お父様も前みたいに追い返すような態度じゃなくて、もう少し丁寧に応対してたみたい」


 アシュリンの話はそこで止まった。

 ロベルタ商会の反応を見る限り、砂糖が確実に手に入るルートが開ける可能性は低そうだ。





 エイヴェリーは屋敷の離れに帰ったが、なぜか気持ちが落ち着かなかった。エイヴェリーだけではない、妖精たちもそわそわしていた。


『エイヴェリー、エイヴェリー、おきゃくさん、いっぱい』


 星形妖精ティンクが、ぴょんぴょん跳ねながら踊っている。どうやら、パーソロン邸に来ている客が、大量の妖精を引き連れて来たようだ。


『きらきら、いっぱい、いっぱい』

「分かった、分かったから。様子を見ておいで」


 エイヴェリーが言うと、妖精たちは全員母屋に行ってしまった。


「坊ちゃま、お着替えのお手伝いをします」


 老侍女ノリスが、年の割に素早い動きでエイヴェリーの後ろに回る。

 着替えをノリスに任せ、エイヴェリーは母屋の様子に集中した。

 応接室で、父オーウェンは一人の男と向き合っていた。オーウェンの隣にはリーアムがいる。

 執事がお茶を入れたあと、ドアの近くに待機していた。

 給仕を使わずお茶を入れるということは、あまり大っぴらに出来ない相手ということだ。

 だがエイヴェリーにとって、そんなことはどうでもよかった。


(あいつだ。あの男が――)


 彼こそが群島の船を操り、客船からネヴェズ公らを逃がした男だった。

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