78 攻防
11月12日、精霊ポポロンの髪の色を間違えていたので修正しました。
ネイルはバランスを崩しながらも、船長の腕をつかみ続けた。そして船長はネイルをひきずりながら船縁に向かい、渾身の力を込めて彼を宙に放り投げたのだろう。
金粒妖精たちが哀れなネイルを追いかけるが、霊格の低い彼らにはこの悲劇をどうすることもできなかった。
そしてネイルは金色の放物線を描きながら、船縁から姿を消した。
紗のカーテンの下で繰り広げられる、美しい悪夢のような惨劇を、誰もが無言で見つめ続けるしかなかった。
ネイルは海に消え、船は妖精門を越える。
エイヴェリーは絶望で全身が震えるのを感じた。
しかし、異変が起きる。
王子が消えた一角が、急に昼間のように明るく輝き始めたのだ。
やがて白い光が海から浮かび上がる。
甲板を照らす、その光の中には人の影のようなあった。
人間に見えるのはそこまでであったが、エイヴェリーは何が起こったのか理解していた。
ポポロンがネイルと一緒に海から浮上してきたのだ。
ネイルと向き合い、胸のあたりでネイルの手を握っているポポロンの髪は、紫に輝いていた。
ネイルが目を瞑っているのは、宙に浮いていることへの抵抗感をなくすためだろう。彼は、自分の全てをポポロンに委ねているのだ。
もしも人間の目にこの光景が映ったなら、海の妖精が王子を助けたのだと思ったことだろう。
白い光はゆっくりと甲板に降りてくる。
(みんな二人を囲んでくれ)
エイヴェリーが指示を出すと金粒妖精たちが、さあっとポポロンとネイルを覆い尽くす。
金の輝きに隠れながら、ポポロンはそっと擬態に戻る。白い光が消え、金粒たちが立ち去ると、そこには金髪の少年と栗色の髪の少女がいるだけだった。
その時、船体が再び動き始めた。
操舵室からはじき出されるようにリーアムとリッキーが、甲板に転がる。
船長らが舵を取り戻したのだ。
三人保安隊とディアミドは、他の船員ともみ合っていた。
そして濡れ鼠になり、互いを庇うように抱き合う少年と少女にも、船員たちが近づいていく。
不利な状況は何も変わっていない。
『エイヴェリー、ふねを、ぎゅーっとしたら、とまるよ』
ふいに人形妖精ルゥルゥがエイヴェリーに話しかけてきた。
『いや、流石にこの船を止めるのは……』
『このこたち、できるって』
エイヴェリーの周りに金粒妖精たちが集まり、何事か訴えている。
『…………』
『…………っ』
『ちからがあれば、とめるられるって』
『エイヴェリー、このこたちに、ふー、する』
金粒と一緒にエイヴェリーの妖精たちが訴える。
「殿下っ」
ディアミドが船員たちを殴り倒し、ネイルのそばに近づいていく。他の船員が、ディアミドの肩を掴もうとすると、木馬妖精が船員の顔を脚(正確には脚の下のカーブをつけた板)で、蹴り上げた。
船員がたまらず手で顔を覆うと、ディアミドはすかさずみぞおちに拳を入れた。見事な連携プレイである。
感心している場合ではない。
混迷極める甲板で、誰も見ていないのを確認したエイヴェリーは、物陰に隠れて擬態を解いた。
「おい、なんだ?」
「人か?! 光っているぞ」
甲板の騒ぎに気がついた客たちが、部屋から出てきはじめている。
妖精の乱舞と争う兵士と船乗りたち。
客たちは歓声をあげたり、悲鳴をあげたりと忙しく騒いでいる。
エイヴェリーは彼らの叫びを無視して、宙を舞い、妖精たちと共に船首に向かう。
すでにあちこちで妖精が飛び交っている。エイヴェリーが精霊化しても、さほどの騒ぎにはなっていない。
エイヴェリーは船首の辺りから、海面に向かった。
『さあ、船を止めてくれ、マクリール』
エイヴェリーは金粒たちに吐息をかけた。
すると彼らは、返事をする代わりに、小さな粒から塊となって海に溶けるように広がっていった。やがて海面は金色に染まり、大型の客船をすっぽりと包み込んだ。
次第に船の動きは鈍くなるが、まだ止まらない。
エイヴェリーとルゥルゥたち、そしてメェリィらポポロンの妖精たちが船首を必死に押さえ込む。
「どうした、何があった」
「分かりません。船が止まりました」
「馬鹿なっ」
エイヴェリーの脳裏に、異変に気がつき、動揺している船長はたちが映し出された。
(リーアム、船は私たちが止めている。あとは頼む)
エイヴェリーの言葉にリーアムは頷き、声を張り上げた。
「もう、この船は動かん。帝国領に行くことはない。貴様らにはラナンシで起こした騒動の落とし前をつけてもらう」
船員らの動きは止まった。そして客船に数隻の巡視船が近付き、梯子をかけて兵士たちが次々と昇ってきた。
形勢は逆転した。
戦意を失った船長を含む船員たちは捕らえられ、一カ所にまとめて置かれた。
騒ぎに気がついた乗客らは、強制的に個室に戻された。
「リーアム、そちらのお嬢さんと、殿下を――」
「いや、私はまだ残る」
ディアミドの声を遮り、ネイルはキッパリと言い放った。船長に殴られ、海に投げ出された彼はすぐにでも治療が必要なはずだが、気が高ぶっているのか弱っているそぶりは一切見せなかった。
ディアミドはネイルの意思を尊重した。代わりに部下の持ってきた外套をそっとネイルにかけた。
リーアムはポポロンを隠すように船内に入っていく。
ネイルはポポロンの後ろ姿を見届けると、兵士たちに状況を説明した。
ネヴェズ公の裏切りの話に、一同は驚愕し、そっとディアミドを見た。しかし彼はいやにさっぱりとした表情を浮かべていた。
ネイルの話が終わるタイミングで、保安隊員たちが慌ただしく足音を立てながら甲板に戻ってきた。
「殿下、大変です。ネヴェズ公と領事らがいません」
「なんだって?」
声をあげたのはディアミドだ。
「探せ、まだ船の中にいるはずだ」
ネイルが鋭い声をあげる。
『ちがうよ……』
『ちがうよ……』
マクリールたちがさざめく。
『あ、エイヴェリー様、あちらでございます』
執事妖精メェリィが、指し示したのは妖精門だ。
そこには一隻の巡視船があった。
船はまっすく妖精門に向かい、そして帝国領に入っていった。
(逃げられた――)
エイヴェリーはただ愕然と状況を見守るしかなかった。




