77 絶体絶命
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「ラナンシを裏切るのか。……売国奴め……」
ネイルはふらつきなが、唸るような声をあげる。いつもの彼なら、もっと激しく責めるだろうが、ハーブティーの効果でまだ完全に覚醒しきっていないようだ。
「いやいや殿下、私は国を救うのですよ。いずれ結界は崩れ、ラナンシは帝国の軍隊に囲まれる。その前に――」
「捕らえよ。その男を捕らえよっ」
ネイルは叫ぶ。ネヴェズ公の後ろの三人の保安隊に言ったものだが、彼らは固まったまま動かない。
「私を捕らえてどうするというのですか? もうすぐ妖精門を抜ける。帝国領に入れば、あなたは無力な少年に過ぎない。私を拘束する権限など、ありませんぞ」
「どけっ、私が領事らを捕らえて船を止めさせる」
ネイルは公爵を無視し、船を止めることに専念することにしたようだ。ポポロンに支えられながら、公爵の横を通り抜ける。そして木偶のように立ち尽くす保安隊員を睨みつけた。
「行くぞ、帝国の連中を拘束する」
三人は動揺しながらも動きだそうとしたが、すかさず公爵が声をあげる。
「お前たち、殿下はお疲れだ。ベッドに連れて行きなさい」
「裏切り者のために動いてはならぬ。ラナンシの為に動けっ」
公爵の声に被せるように、ネイルも声をあげる。だいぶ目が覚めてきたのか、表情にも力強さがある。
「おおラナンシのため。正に正に。私はラナンシの未来の為に動いているのですよ、殿下」
公爵は大仰な仕草を見せながら話し続けた。
「今なら、良い条件で帝国領になれるのです。戦わず血を流さず、これまでどおり誰もが幸せに暮らせるのです」
「そしてお前は、帝都の貴族に列せられる」
若い美しい声が室内に響く。
全員が声の主の方を見る。
開け放たれたドアに寄りかかるように立っているのはディアミドだ。
「お前は……」
「ぐっすり眠っているはずだったのに残念でしたね。リーアムが教えてくれたんです。私たちがしつこく勧められたお茶は睡眠薬のようなものが入っているってね」
「パーソロンの小倅めっ」
公爵はどす黒い怒りを纏いながら毒づいた。
一方、気怠げな表情を浮かべたディアミドは、午睡から目覚めたばかりの貴公子といった風情で、場違いな雰囲気を醸している。
「まあ、少し飲んだあとだったんで体の動きは鈍いんですけどね――」
目を細めたディアミドの気配は、一転して凄まじい殺気を放った。
「お前を殺すくらいなら、簡単さ」
ディアミドの言葉に衝撃を受けたのか、公爵は憤怒の表情を見せた。
「き、貴様! 親に、親に向かって――」
「母や姉を見捨てて逃げる奴が、人の親を名乗るなっ」
ディアミドは一喝すると、三人の保安隊員と協力して父親を縛り上げた。保安隊員たちはディアミドに従うことにしたようだ。
王子の部屋に公爵を閉じ込めて、全員廊下に出た。素早く着がえを済ましたネイルの横には、ポポロンがいた。
廊下の向こうからリーアムとリッキーが早足でやって来る。彼らはすでに領事と大使を拘束したようだ。
「よし、船長らを止めよう。私が行く」
ネイルが素早く動き出す。
「公爵と、領事らはどうしますか」
「見張りをつけたいところだが、手勢をさく余裕はない。船を止めることが先決だ」
「ポポロン、君は部屋に戻っていてくれ」
「分かった」
「船員以外にも協力者がいるかもしれんが、探している暇はないな」
エイヴェリーは妖精たちの目で船全体を見ていた。一行が操舵室に辿り着いて船長らを説得するまでに妖精門をくぐってしまう可能性がある。
(リーアム、私は妖精たちと協力しながら一足先に操舵室に向かう)
(分かった。無茶をするなよ)
短いやりとりをしたあと、エイヴェリーは船底からフワリと船尾付近の甲板に現れた。同時に妖精たちを可視化させた。
松明とカンテラが頼りの夜の甲板に、ぶわりと金粒妖精たちが現れた。
「ああ? なんだっ」
「うわっ、眩し――」
「火事か?!」
混乱してカンテラを落としそうになっている者もいて、ほんとうに火事になりそうだ。
エイヴェリーは人間の姿に戻った。突然の光の乱舞に慌てふためく船員たちは、操舵室に向かって走る黒髪に黒い給仕服のエイヴェリーを気に留める余裕はなかった。
「外のあれはなんでしょう?」
「分からんがここはラナンシだ。無視して進め」
船長と操舵手が会話をしている所へ、金粒妖精をまとわりつけたエイヴェリーがスーッと現れた。擬態のままだが、充分に異様な光景だ。
エイヴェリーの姿に操舵手は分かりやすく怯えたが、ひげ面の船長は動じる気配がない。
「なんだ貴様は」
「ラナンシの保安隊だ。領事らは拘束した。君らに指示する者はいない。船を止めるんだ」
「もう止まらん。このまま門をくぐる」
船長のひげの中で口元がくっと歪んだ。笑っているのだろう。
「帝国人の命は我々が握っている」
らしくもなくエイヴェリーは人質の命を盾にして訴えた。自分の声が震えていいるのが分かった。
突然、エイヴェリーに衝撃が襲った。後ろから髪の毛を捕まれたのだ。
「海に落とせ」
低い声で船長は命じた。
数人の船員がエイヴェリーの首や腕をつかんだまま、甲板に連れて行った。外では船員とリーアムらが格闘していた。
帝国人の船乗りたちを傷付けるわけにもいかず、捕まえるにも人数が足りない。
人間たちの怒号に、エイヴェリーの妖精たちは怯え、金粒妖精たちはただ右往左往している。
エイヴェリーらには船を止めることは出来ない。
頼みの綱は船長だが、彼は領事らの安全にも関心がないようだ。
この企みは領事らの独断ではない。もっと大きな存在が関わっているのだ。
(帝国の皇帝……)
ふいに船員と格闘するエイヴェリーの横を通りすぎる影があった。
暗闇の中で一際光る金髪。ネイルである。
少年体系のネイルは、格闘する大人を掻い潜って操舵室に走る。
だが室内に入る前に、船長自らが出てきた。
「船を止めよ」
ネイルが叫ぶ。
エイヴェリーは船員たちと格闘しながら、ネイルに集中した。
「船長、勝手な真似は許さぬ。船をラナンシに向けるのだ」
「俺の主人はあんたじゃねえ」
「ここはラナンシ、私はこの国の王族だ」
「関係ねえよ。それにあと少しで門を抜けるんだ。そしたらあんたはただのガキさ」
船長とネイルが押し問答をしている隙をついて、操舵室に潜り込むことに成功したのはリーアムとリッキーだ。
彼らは操舵手から、舵を奪おうとしていた。
「ちぃっ」
船長は舌打ちすると、ネイルから目を離し、操舵室に向かおうとした。しかし、ネイルが船長の腕をつかむ。
「行かさんぞっ」
「ガキがぁっ」
船長はネイルを殴りつける。しかしネイルは船長を離さない。
金粒妖精たちはネイルを守るように浮遊しているが、船長の発するまがまがしい気配を恐れ、逃げまどっている。
「殿下っ」
エイヴェリーはありったけの声で叫んだ。
だが、ディアミドも保安隊も船員に阻まれ身動きが取れないでいた。
代わりにやって来たのは船員たちだ。エイヴェリーの胸に絶望が押し寄せる。
(仕方がない――)
エイヴェリーが擬態を解こうとした瞬間、船が大きく揺れ、まとわりつく男たちと共に、甲板に叩きつけられるように転んだ。
エイヴェリーは頭を打ち、立ち上がることが出来なかった。周りの船員も似たような状況なのか、エイヴェリーを押さえつけようとする者はいない。
エイヴェリーは揺れる頭をおさえ、なんとか顔をあげた。
しかし、その目に映ったのは、海に投げ出されたネイルの姿だった。




