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72 新たな妖精

 会場を出てアシュリンの個室に向かう途中、エイヴェリーはリッキーに会った。隣には眼鏡をかけた中年の医者がいる。


「あのご令嬢はどんな具合でしたか?」


 エイヴェリーはあくまで給仕として話しかけたが、リッキーはいつものように気さくな態度をとった。


「やあ、エイヴ。単なる疲れみたいだよ。平民の女の子がいきなり貴族や王族のいるパーティーに出席するなんてキツいよね。緊張して眠れなかったんだってさ」

「そうなんだ」


 エイヴェリーはほっと軽く息を吐いた。

 ポポロンの正体がばれなかったことに対する安堵のため息だったが、リッキーや医者には少女の体調を気遣ったものだと見えるだろう。


「俺は先生の助手代わりに動くことになったんだ。なんでも体調不良の客がそこそこいるらしい」


 医者の助手も寝込んでしまい人が足りないらしく、リッキーや乗り込んでいる保安隊が対応しているようだ。


「そんな……、大変なことじゃないか……」


 食べ物に問題があったのだろうか? もしそうならラナンシ側の落ち度だ。確か料理人は帝国人だが、そんなことは言い訳にならないだろう。

 エイヴェリーは演技ではなく本気で恐ろしくなった。


「いや、なに、食あたりなどではないよ。船酔いだね」


 帝国出身の船医は帝国の船上パーティーでも客の船酔いの面倒をよく診ているらしい。


「今回は少々多いかもしれないね。なんせ船の上で会食なんてラナンシ人には慣れない経験だからねえ。君も具合が悪くなったら無理せず休みなさい」

「はい、ありがとうございます」


 エイヴェリーは医者の気遣いに心から感謝した。





 リッキーたちと分かれてエイヴェリーはアシュリンの部屋へ急ぐ。

 そしてノックをして使用人らしく部屋に入った。


 部屋の中にいるのはリーアムとアシュリンとポポロン、そしてポポロンの妖精たちとリーアムの妖精たち、さらに海からやって来た金粒妖精たちだ。


「海の妖精ってお節介と言うか、賑やかな連中ね」


 妖精好きのはずのアシュリンが、金粒たちを五月蝿そうに払う。妖精たちは器用にアシュリンの手を避けると、再び、すいっとまとわりつくのだ。流石にこれは鬱陶しい。


「やあ、ポポロン、具合はどうだい」


 すでにパーティー用のドレスを脱ぎ、白ブラウスにカーディガン、膝下丈のスカートという落ち着いた服装のポポロンは、ベッドではなく椅子に腰掛けていた。


「はい、お医者様が帰ってすぐに精霊に戻ったので元気です」


 ポポロンは力のある声で言った。

 もっとも以前のような弾けるような勢いはない。

 十五歳という年齢の割に、幼い印象のあったポポロンだが、今はひどく大人びて見える。

 この先待っているのは、ネイルとの別れ話のはずだが、穏やかな笑みを湛えた彼女は、凪いだ海のような落ち着きがあった。


「それで、おかしなことって何?」


 訊ねると、執事妖精メェリィがずいっとエイヴェリーの視界を覆う。


「申し訳ありません。わたくしの落ち度であります。わたくしのせいでポポロン様は眠ってしまわれたのです」


 メェリィの話によると、用意されたハーブティーの中から妖精が出てきた。その妖精はメェリィの同族であったのだと言う。


「ハーブの妖精と君が同族なのかい?」


 エイヴェリーは、目の前の羊頭の妖精を見つめながら訊ねた。


「いいえ、彼女は眠りの妖精でした」

「眠り……だって?」


 たしかカモミールには鎮静作用があると言われている。あのハーブティーはいくつかのハーブがブレンドされているが、おそらく皆、沈静作用のあるものなのだろう。


「彼女は遠い土地から来たと言っていました。とある植物が体に入ると、人間は緩やかに深い眠りにつくことが出来るそうです。起きた時にはそれは爽快な気分になるようで、いつも人間に感謝されてきたのだと話しておりました」


 その妖精は人間の質の良い眠りから生まれたのだ。


「彼女はここでも沢山の疲れた人たちを眠らせたいと言って、さっそくポポロン様を眠らせてしまったのです」

「待って、その妖精はそんなに強い力を持っているのかい?」

「いいえ、私のそばにいるせいで力が強くなってしまったようです」


 力の強くなった妖精は人々を眠らせようと張り切っているらしい。メェリィはベッドに入っている人だけを眠らせるように頼んだ。


「エイヴェリー」


 ふいにリーアムが話しかけてきた。エイヴェリーは体の内側からゾクリと何かがこみ上げてくるのを感じた。


「君は給仕をやっていて、何か感じたことはないか」

「そう……だね……」


 エイヴェリーは考えるふりをしながら、深呼吸をした。


「確かにハーブティーの中に妖精に近いものがいたね。あとは、ええっとあのハーブティーは使用人も給仕仲間も飲んでたよ」


 別におかしな話ではない。コーヒー、チョコレートがなく、使用人はお酒は飲めない。あとはジュースとお茶と炭酸くらいだ。


「だからってハーブティーがあれしかないって変じゃない。紅茶なら別にラナンシにもあるのよ。だいたい今は海賊被害で辺境から届く物資の供給は不安定になってるのに、わざわざ辺境のハーブを混ぜるっておかしいわ」


 確かにアシュリンの言うとおりである。


「じゃあ、あのハーブティーは意図的に皆が飲まされてるってことかい?」

「……分からないわ。でも用心にこしたことはないと思うの」

「海の妖精たちと相談して、船内の人間の動きをよく観察することにしよう。君たちは例のハーブティーは飲まないようにしてくれたまえ」


 エイヴェリーの言葉にリーアムとアシュリンが頷いた。


 その時、脳裏にパーティー会場が映し出された。ネイルが立ち上がり何か挨拶している。続いて新領事――。


「どうやらパーティーかお開きになるようだ。私は会場に戻るよ」


 エイヴェリーが部屋から出ようとすると、同じタイミングでリーアムも動き出す。


「エイヴェリー、僕も一緒に行く。ネイル殿下とこの部屋で鉢合わせするのもまずいからな」


 その言葉でさっきのネイルの懸念を思い出したエイヴェリーは笑いだしそうになるのを堪えた。

 廊下に出ると、二人は無言で歩き出す。


「保安隊員にも、あのお茶を飲まないように言った方がいいかな?」

「ああ、僕から伝えておくよ。だけど一般客には無理だな。別に毒が入っているわけでもないし、効果があるのかどうかも分からないしな」


 確かに睡眠薬のような強い薬ではない。あくまで安眠効果が期待できるお茶だ。

 眠りの妖精がくっついて来ていたことを考えると、実際に効果があるハーブなのだろう。

 あのハーブティーを用意した人間に何かしらの陰謀があったのかどうかは分からない。単に珍しい異国のブレンドティーを出してみたかっただけかもしれない。


 エイヴェリーの思いつきをリーアムは否定した。


「珍しいハーブを取り寄せたなら、パーティー会場で紹介があるはずだ。何の説明もなくただあのお茶を勧められたのは不自然だ」

「そうか……。あんまり考えたくないけど何かおこるかもしれないね……」


 エイヴェリーは暗い声を出したが、内心、リーアムと一緒に歩いているという事実に、胸の高鳴りが抑えられない。


(一緒に歩くとか、これって、ほら、あの……、バージンロードっぽくない?!)


 恋愛経験ゼロの引きこもり精霊エイヴェリーは、歩いただけで結婚したような気分になり舞い上がっていた。

 それから、ふと我に返り、ポポロンが苦しんでいる時に、すっかり心が浮き足立っている己に気付いて恥ずかしくなった。

 その時、隣のリーアムが「くっ」と小さな音を漏らした。


「エイヴェリー、その百面相を止むてくれないか」


 どうやら、リーアムは笑いを堪えているようだ。


「君は本当に表情がありすぎるな。隠密行動には向かないね」

「ごめん、気をつけるよ」


 エイヴェリーは素直に謝った。女王がいないとはいえ、ネヴェズ公がいる船内で油断し過ぎたかもしれない。


「いや、その……」


 なぜかリーアムは言いづらそうに言葉を止める。


「君のそういう所が、僕は好きなんだ」


 それだけ言うとリーアムは逃げるように客人用の入り口に向かっていた。

 エイヴェリーはリーアムの後ろ姿を、ただ呆然と見つめるしかなかった。

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