68 エイヴェリー、追い出される
船に用意されたロベルタ商会の令嬢アシュリンの部屋で、エイヴェリーたちは、ポポロンとネイルの密会計画を立てた。
エイヴェリーがパーティーの進行を説明する。
「――まずはネイル王子の挨拶、ネヴェズ公による新領事の紹介、領事の挨拶、乾杯、あとは歓談。まあ、この辺りは私も真面目に給仕をやるから、アシュリンに任せるよ」
「歓談中に王子と新領事に挨拶する機会があると思うわ。最低でもそこでポポロンの存在に気がついて貰わないとね」
「あの……」
ポポロンが遠慮がちに割って入った。
「私がお側に寄るのを、ネヴェズ公爵や側近の方が警戒されるのではないですか?」
暗い表情でポポロンはエイヴェリーらを見つめる。その瞳には怯えが見えるようにエイヴェリーは感じた。
ポポロンはここ数週間で、人間社会の「身分」という複雑怪奇な制度を学んだ。そしてただの平民である自分が王子と懇意になることは、王家や貴族にとって許されざる事態であることを思い知ったのだ。
屈託なく恐れを知らない精霊の少女は、今や過去の存在となっていた。
そんなポポロンの姿に、エイヴェリーは胸にひりつくような痛みを覚えながら、素知らぬふりをして話しかけた。
「そこはあまり気にしなくていいよ。ネヴェズ公や新しい側近は君のことを知らないからね」
ディアミドも、以前のネイル付きの従者も口が堅かった。彼らは、ポポロンの存在を一切報告しなかったらしい。ネヴェズ公は、ネイルが市井で自由にすることを嫌っていたが、庶民との交友関係は軽視していた。
エイヴェリーは妖精たちにポポロンの周囲の見廻りをさせていたが、監視の目はなかった。権力者たちにとってポポロンはノーマークの存在なのだ。
「ポポロン、帝国の上流階級に比べたらラナンシなんて牧歌的なものよ。ネイル王子の従者たちがあなたのことを報告しなかったのは、あなたを守りたいからだと思うわ」
だから必要以上な貴族を怖がることはないと、アシュリンはポポロンに伝え、エイヴェリーも出来るだけ優しげに話しかけた。
「君はネイル王子が好きで、従者たちのことも好ましく思っただろう? その直感を信じていいんだよ」
ポポロンは僅かに微笑んだ。
『ネイルすき』
『ネイルすき』
妖精たちが騒ぎ出す。
(ねえポポロン、君が王妃になる覚悟があるなら、私は全力でネヴェズ公と女王と対決するよ)
エイヴェリーは、喉元から出かかった言葉を引っ込める。
今さらこんな提案をしても、混乱を招くだけだ。
「問題は次、なんとかネイル王子をこの部屋に呼びたいのよね」
ネイルには婚約者候補の女性が何人かいるが、その一人がアシュリンなのだと言う。
「候補のうちパーティーに呼ばれてるのは私だけだから、ライバルはいないし、私が呼び出した意味はポポロンを見たら分かるでしょうね」
「もしも、あの……断られたら……」
ポポロンの顔が強ばる。
別れるつもりなのだから、むしろあっさり拒絶するくらいネイルの気持ちが離れていた方が、ありがたいのかもしれない。
しかし、それはそれでポポロンは深く傷つくだろう。
状況は複雑だ。
※※※※※
「別れるつもりなら、もう会う必要はないのよ」
少し前にアシュリンがポポロンにかけた言葉を、エイヴェリーは思い出していた。
別れを決意したなら素早く離れる。最後の挨拶なぞ、不要どころかむしろ害悪――と言うのがアシュリンの持論だ。
「いきなり消えたら相手が傷つく、なんて考えなくていいの。会っても大抵、修羅場になるだけだからね」
一世紀を生きた女の言葉である。
※※※※※※
「怖いならいいのよ。パーティーが終わるまで、ここにいましょう。王子が平民の少女を追いかけまわして翻弄しただけなんだから、あなたは逃げていいの」
アシュリンは、この土壇場になっても、ネイルとポポロンはもう会わない方がいいと考えているようだ。
アシュリンの優しい声を、しかし、ポポロン拒絶した。
「会いたい……、会いたいんです。馬鹿な選択かも知れないけど、会いたいんです。」
「なら、覚悟を決めるしかないわね」
アシュリンはほうっと軽く溜息をついてから、エイヴェリーを見る。
「歓談の最中にあんたにカードを渡すわ。それをネイル王子に渡してね」
「分かった」
エイヴェリーは頷いた。
パーティーは、吹き抜けの豪奢なアトリウムで行われた。船内とは思えない開放感のある空間の真ん中には、意匠を凝らした帝国様式の螺旋階段がある。
階下には丸テーブルがいくつかあり、すでに客たちが席についていた。
更に後ろには、給仕用の出入り口とテーブルが用意されていて、エイヴェリーはそこで待機しながら会場の様子を眺めていた。
エイヴェリーの目には、小さな金色の、海の妖精たちの姿が見えた。彼らは人間たちの奇妙な振る舞いに興味を示し、船の中にやってきたのだ。
エイヴェリーはリーアムを探したかったが、直立不動で待機するように指導されているので目線を動かせない。代わりに妖精たちがあちこち探索する。
『あっちにリーアムいるよ』
『もりのこもいるよ。うみがこわいんだって』
リーアムとともに森からやってきた妖精たちは、海の上を怖がっていた。愉快な金粒妖精たちにも怯えているようだ。
少し心配だが、今は妖精たちに気を配っている時ではない。
王子と新領主入場の合図とともに、客人たちは立ち上がった。パーティーの始まりだ。
王子とネヴェズ親子、そして領事がゆったりと螺旋階段を降りてくる。
階段の途中に踊り場があり、そこで立ち止まったやんごとなき一向は、階下の人々を見下ろした。
ネヴェズ公爵が、今日のパーティーの趣旨を軽く説明したあと、ネイルが前に出て人々に挨拶をする手筈だが、事件はそこで起こった。
ネイルが目ざとくアシュリンの隣のポポロンを見つけたのだ。
離れた場所に待機しているエイヴェリーでも気がつくほどの、あまりにも分かりやすい反応だった。
ネイルは王族らしい微笑みを浮かべながら、階下の人々をまんべんなく見渡すつもりだったのだろう。しかし、彼の視点は一点に留まり動かない。そして、踊り場の手すりに両手をかけて、身を乗り出そうとした。そのまま飛び降りそうな雰囲気のネイルに、ディアミドが素早く寄り添い穏やかな表情で何か話しかける。
気を取り直したネイルは、手すりから離れて何事もなかったかのようにスピーチを始めた。
一瞬の出来事だった。
目ざとい者は、王子の目線の先を見ただろう。そこにいるのは、自信に溢れた若く美しい女性、アシュリンだ。
ポポロンとネイルの関係を知らない者たちは、王子が見つめているのはアシュリンだと思うはずだ。
客が座ると、給仕たちがワインを注ぎ始める。エイヴェリーはちらりとリーアムのテーブルを見る。
パーソロン公爵の名代であるにも関わらず、リーアムの席は隅に用意されていた。
隣にいるのはリッキーは、客に紛れた保安隊員だ。
(リーアム、リーアム)
こういう慣れない場所で知り合いに会うのは妙に嬉しいものだ。
エイヴェリーはリーアムをじっと見つめて心の中で呼びかけていた。ついにリーアムがエイヴェリーの視線に気づく。
エイヴェリーは、ここぞとばかりに笑顔をみせたが、リーアムはさっと視線をずらす。なぜか隣のリッキーが俯いて肩を震わせている。笑いを堪えているようだ。
「ぼやぼやするなっ、お前はあっちだ」
ベテランの給仕の指示でエイヴェリーはワインを注ぐためにテーブルを回ることになった。残念ながら、リーアムの席から離れていく。
ネヴェズ公の紹介が終わり、新領事の挨拶が始まる。まだワインを注ぎ終わっていないテーブルがいくつもある。
乾杯までに間に合わないかもしれない焦りで、エイヴェリーはリーアムのことを忘れた。
なんとか乾杯までに間に合って、ほっとしたエイヴェリーだが、すぐに次の仕事が待っていた。
「あちらのお客様がご指名だ」
ご指名? そんなシステムはなかったはずだが……。
エイヴェリーは疑問に思いながら指定されたテーブルに行くと、女性客から細かい注文を受けた。
それが終わると、別のテーブルに回され、今度は男性客から名前を聞かれた。
ただの給仕が名前を名乗っていいのか迷っていると、ベテランの給仕がやってきて会場から連れ出されてしまった。
「ダメだ、お前は目立ちすぎる。厨房に行け」
訳が判らないまま、エイヴェリーはパーティー会場を追い出されてしまった。




