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59 エイヴェリー、旅に出る

「うっぷ」


 エイヴェリーは馬車を乗り継ぎ宿に泊まり、リーアムの故郷に向かっていた。王都から離れる程、道は酷くなり、今エイヴェリーは嘔吐寸前まで追い詰められていた。


『…………』

『…………』


 形のない精霊たちが、苦しんでいるエイヴェリーを気遣うようにそばに集まる。彼らの光に触れるとエイヴェリーの体はスーッと楽になる――などということなかった。


「あんた、大丈夫かよ」


 乗合馬車の隣の男が、声をかける。心配しているというより、隣で吐いて欲しくないようだ。


「おろして……くれ……」


 エイヴェリーは荷物を持つと、よろよろと馬車を降りた。


「旦那ぁ、少し歩いたらレルタ村ですけぇ」


 御者はうずくまるエイヴェリーの背中に声をかけた。声を出すことも出来ず、ただ頭を下げて頷くようなジェスチャーをするしかないエイヴェリーであった。


 馬車が去っていくと、エイヴェリーは土手の斜面にゴロンと横になり、人の気配がないのを確認して精霊になった。


 草地に大の字の格好で横になっているエイヴェリーの頬を、秋の風が優しく撫でる。草が揺れると、淡い光の粒たちが、フワリフワリと漂う。エイヴェリーが、吐息をかけると光は大きな塊になって、上へ上へと登って行ったが、やがて薄くなり青い空に溶けていく。

 核が無ければ妖精にはならないのだ。


 雲一つない秋晴れの空を眺めていると、大気を好む白い妖精たちが、エイヴェリーに声をかけてきた。


『ごめんね、君たちと遊んでる時間はないんだ』


 彼らに謝罪したエイヴェリーは擬態してから立ち上がった。


「……荷物、重……」


 精霊になれば素早く移動できるのだが、いつ人に会うか分からない。

 御者の話しぶりから、レルタ村はもう少しでたどり着けるはずだ。徒歩でも問題ないだろう。


 歩くたびに土埃が舞う。黒い革靴は見事に黄色い粉をふいているし、黒の三つ揃いもあちこちに草やら土やらが付いていた。

 今日、リーアムの家族に会う予定である。だからこそ、紳士らしい格好で決めてきたのに全てが台無しだ。


(こんな情けない姿で、リーアムの家族に会うなんて……)


 彼女の家に挨拶に行く彼氏の気分であった。


 エイヴェリーは田舎の人間の距離感を舐めていた。少ししたら見えてくるはずの村の姿は、いつまでたっても見えてこない。途中で馬車に乗せて貰おうと思っていたが、そもそも馬車が通らない。

 妖精たちの目のお陰で村があることが分からなかったら、途中で引き返していたかもしれない。

 早朝に宿を出発したのにすでに太陽の位置が高い。予定では昼前に着くはずだった。手紙にも十時頃にはお伺いしますと書いたのに、大遅刻だ。

 エイヴェリーは知らなかった。村に時計がないこと、そもそも2日くらい遅れても誰も気にしないことを。


 重い荷物を持って歩くエイヴェリーの耳に、馬車の音が聞こえてきた。


 手前から近づいた荷馬車が、エイヴェリーを認め、土埃を立てながら止まった。


「あんた、エイヴさんだね。俺がサイモンです。リーアムの兄で、レルタ村の管理をパーソロン様から任せられております」


 目の前の日に焼けた農夫こそ、リーアムの兄サイモンだった。肩の辺りに白い塊が遠慮がちにこちらを見ていたので、エイヴェリーはニコリと微笑んだ。


「始めまして、エイヴと申します」




(似てない……)


 サイモンの隣に座ったエイヴェリーはそんなことを考えていた。


「似とらんで、驚いたでしょう?」


 まるで、エイヴェリーの心を読んだかのようにサイモンが話しかける。


「え、いや、そうですね。ちょっと思いました」


 エイヴェリーは動揺しながら、正直に答えた。


「あいつは、頭もいいし男ぶりもいいですから、王都に行かしてやりたいと思ってました。どんなもんでしょうか? 貴族として上手くやっとりますかな」


 兄と言うより父親のような雰囲気のサイモンは、リーアムの様子を知りたがった。そういえばあまり笑わない所は似ているかもしれない。


「私は平民ですので、貴族のことは分からないのですが、街では人気者ですよ。それにパーソロン家でも、多分、上手くやってると思います。あそこの使用人たちの評判もいいようですし」


 そんなことを話しているうちにリーアムの生家に着いた。

 そこは石造りの屋敷だった。点在する他の家と形は似ていたが、遥かに大きい。黒い壁に灰色の屋根。入り口の木のドアや、木枠の窓の可愛らしいオレンジがアクセントになっている。


(凄いな……、王都から離れるとこんなにも景色が違うんだ)


 エイヴェリーは素朴かつ堅牢な石の家と、からりとした青空のコントラストをうっとりと眺めていた。大気の妖精たちが嬉しげに舞っている。


「王都の人を迎えるような家ではありませんが、うちが一番まともな作りですから……」


 少し小さな声でサイモンが言う。


「とんでもない。美しい光景です。心洗われるようです」


 エイヴェリーが言うと、妖精たちがきらきらと輝き出した。



 屋敷に近づくと、玄関が開き、人がわらわらと出てきた。


「紹介します。私の父と母――」


 子どもたちの元気な声と、女性の声が近付いてくる。


「ああ、うるさくしてすいません。妻と子どもたちで――」

「サイモンさん、そっちが王都の貴族様かい?」

「いや、この方は違うよ……。ああ、失礼しました、エイヴさん、こっちは――」


 建物の中から、そしてさっき荷馬車で通った道から、少しずつ人が集まってくる。


「すいません、エイヴさん。王都から人が来るなんてめったにないもんで」


 きりが無いのでサイモンは、エイヴを強引に屋敷の中に入れた。



 サイモンは疲れているだろうエイヴェリーを気遣い、夕食まで部屋で休むように言ったが、精霊化して、さっと疲れをとったエイヴェリーは、すぐに外に出た。

 そしてすでに老人と言っていい年齢ながら、矍鑠(かくしゃく)としたリーアムとサイモンの父の案内で村を回ることになった。



 エイヴェリーの目的は小麦粉の調達である。そのことは、パーソロン家からリーアムを通して伝わっているはずだ。


 あまり『虹色』を離れたくないエイヴェリーとしては、今日にでも小麦粉の話をしたいのだが、サイモンはエイヴェリーの歓迎会の準備に勤しんでいる。村全体がちょっとした祭りのような雰囲気になっているので、水を差したくないエイヴェリーはまずは村を知ることにしたのだ。



「何もない辺鄙な所でしょう」


 老人が言った。


「そうですか? 何もないどころか全てが揃っているように見えますよ」


 エイヴェリーは笑いながら言った。


 見渡す限りの平原の中にぽつぽつと民家がある。夏には穂を実らすであろう麦畑と、のんびり草を食む牛。古びて半ば朽ちた石の砦の向こうには海が見え、反対には森がある。

 この村には、不思議な調和があった。


(ここがリーアムが育った村なんだ……)


 エイヴェリーの胸は、名状しがたい多幸感に満たされていた。

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