56 孤独と憧憬
――ああ、いい夜会だった。
――アシュリン、あの娘、無礼にならない程度に立ち回りながら、ネヴェズ公の面子を潰していったな。たいした令嬢だ。あれが帝国で学んだ者の強かさだろうか。
夜会の後、ディアミドは王宮の一室にあるネヴェズの私室に呼び出された。
「なぜパーソロンに花を持たせた」
帝国製の長椅子に腰掛けたネヴェズ公がドス黒い怒りを露わに息子に話しかける。
「何をおっしゃっているのか、分かりませんね」
「とぼけるなっ! あれではまるでパーソロンの小倅が、街の平和と発展に尽力しているようではないか」
まるで、じゃなくて事実なのだ。この老人は何を言っているのだろう。
父親が怒鳴れば怒鳴るほど、ディアミドの心は冷え冷えとしてくる。
「我らネヴェズがいなければ保安隊も交番制度もなかったのだぞ」
「元々の発案はパーソロンからもたらされたものです。ネヴェズのやったことは功績の横取りですよ。まあ、それがうちの専売特許ですがね」
「黙れ、黙れ、この痴れ者がっ! 出ていけっ、役立たずめ」
ディアミドはさっと頭を下げて、父親に背を向けた。
「ああ、お前が唯一の息子でなければ……。やはり、あいつにもっと産ませておけば良かった……」
父親の戯れ言に、ディアミドは殺意を覚えた。
この男にとって女は子を産む道具でしかなかった。ただの子ではない。跡継ぎとなる息子と妖精を見る娘だ。
ディアミドが物心ついた頃には母はそばにいなかった。恨んだことはない。この男と臥所を共にするおぞましさを思えば逃げるのも無理からぬことだ。
ディアミドはついさっきまで一緒にいた友人を思い出す。
リーアムはパーソロン家の養子だ。本当の両方は田舎にいる。
以前彼から聞いた家族の話はディアミドにとっては別世界の話のようだった。
長男に家督を譲り隠居した両親。年の離れた内気な兄と陽気な兄嫁。毎年のように増える甥と姪。
リーアムは田舎の兵隊長として、賑やかな家族の一員として、それなりに満足して暮らしていた。
「不満はなかったけど、手応えのない毎日だった。時折、ふっと人生ってこんなものなのか、このまま歳をとるだけなのかと、考えてしまうんだ」
贅沢な悩みだと、リーアムは自身の気持ちを殺して生きてきた。
そんな時パーソロン家の養子の話がきた。
「お前をこのまま埋もれさせたくない」
戸惑うリーアムの背中を押したのは兄だった。
こうしてリーアムは三家の次期当主となるべく王都キーアンにやって来たのだ。
幸いなことに義理の両親との関係は極めて良好。さらには廃嫡されたと実子とも仲良くなった。
パーソロンは不出来な嫡男を恥じ、幽閉しているというのは単なる噂だったようだ。
リーアムがパーソロンに来てしばらくした頃、この息子は危篤状態に陥った。
リーアムによると、当時のパーソロン夫妻は離れの二階に入り浸り悲嘆に暮れていた。
義理の息子を迎えたばかりなのに、実の子の方ばかりにかかりきりになることを、養父母はリーアムに詫びた。
「むしろ安心したよ。あんな良い方たちが実の子を粗略に扱っているなんて、信じたくなかったからね」
実子は奇跡的に回復し、リーアムとも顔合わせをした。今では、親子四人で食卓を共にすることもあるらしい。
幸か不幸か、この青年はやはり人前に出すのは難しい状態であるらしく、リーアムの次期パーソロン家当主としての立場をおびやかすことはない。
リーアムは彼のことを「妖精のような人だ」と、言っている。
幸福な過去の思い出、田舎の温かい家族、新しい家族との良好な関係、理不尽にも腐らず真摯に物事にあたる高潔さ、嘘偽りのない本物の友情。
――リーアム、俺は君の持つ全てが欲しい。
――俺の馬鹿げた権力と交換できるなら、君の全てが欲しい。
ネヴェズの馬車で兵舎に戻る。
宿舎に入った途端、トマスに出くわした。
「やあ、トマス」
「お帰りなさいませ、第一隊長」
共に短刀術クラスで研鑽しあったトマスだが、今は目も合わせず名を呼ぶこともない。
リッキーやリーアムと違い、トマスはもうディアミドを信用していないのだ。特にリーアムを庇わず、全ての功績を奪ったことを心底恨んでいる。
当然だ。
父に逆らえませんでした――、などと情けない言い訳をするつもりはない。
自分以外が降格されたことにディアミドは抗議した。するとあの禿頭の化け物は除隊処分どころか、国家反逆罪を匂わせたのだ。
(馬鹿げた話だ。不当な人事に抗議して反逆罪などと。だが、あの男の今の力なら、それが出来るかもしれない)
ディアミドは孤独だった。
リーアムやリッキーの友情も彼を救うことは出来なかった。
あいつを排除しないかぎり、俺の……いや、この国の未来はない。
ディアミドは一人、特別に彼の為に用意された三室もある個室の暗闇の中で、まんじりともせず空を睨みつけていた。




