45 恋心と新たな事件
リーアムは兵舎に帰り、パーソロン邸へ顔を見せることはなかった。
エイヴェリーはエイヴの名で「クランベリーは一人で摘みに行く、また空いた時間に一緒に森へ行こう」、という内容の手紙を兵舎に送った。
リーアムからは「かならず森へ行こう」という短い返信が来た。
パーソロン邸の離れの二階で、エイヴェリーはことあるごとに、その短い手紙を眺めていた。
ふーっと、吐息が漏れるとそこから光がこぼれる。核のない妖精未満のそれはシャボン玉のように辺りを漂い、消え、ルゥルゥたちの格好のおもちゃとなっていた。
言葉は人を縛る。
――好き。
――愛している。
アシュリンに促される形で、リーアムへの愛を告白したエイヴェリー自身の心の有り様は、以前とは違ってしまった。
あまりに苦しくて、せつなくて、エイヴェリーは人の姿でいることが耐えられなくなった。擬態を解いて精霊になるが、やはりリーアムを愛しいという気持ちは変わらず残っていた。
むしろ心身共に身軽になったエイヴェリーは、このままリーアムの腕の中に飛び込んでしまいたい気持ちに駆られて、慌てて人の姿に戻り理性を取り戻す。
ここ数日、これの繰り返しなのだ。
もちろん、恋に溺れて何もかもなげうっているわけではない。いつものようにパウダーを作り、ジャムとピューレを作り、パート・ド・フリュイを作り、それから『虹色』の店員として働いたし、時間を作っては短刀術の訓練も続けていた。
何度か試作を繰り返したクランベリーのパート・ド・フリュイが、やっと満足行く味になったので、例の帝国令嬢の所に届けることになった。
向こうはエイヴェリーが商品を持って来るように指定している。アシュリンも行きたかったが店を優先した。
クランベリー、ブドウ、イチジクのパート・ド・フリュイ。マカロンはサツマイモ、紅茶、ココアに秋をイメージしたアイシングが施されている。
さらに持ち帰り用にしか作らない一口サイズのぼた餅三種類も発注を受けたので用意した。
アシュリンにとってはかなり不本意なことではあるが、一口サイズぼた餅は『虹色』の看板メニューとなっている。
辻馬車を利用し、港方面に向かう。そこには帝国の領事館があり、周辺は帝国民が住む邸宅や共同住宅が並ぶ。
わざわざ帝国内から持ってきた高級木材の柱、美しく繊細な白漆喰の壁、グレーの瓦。この手の館には貴族や富裕層が住んでいる。
一方、ラナンシらしいカラフルな壁と瓦の共同住宅には帝国の平民が住んでいるようだ。
通りのあちこちにアッシュブルーの軍服を着た保安隊が立っている。エイヴェリーは無意識にリーアムの姿を探したが、彼の姿はどこにもなかった。
パーション邸はさほど大きくなかったが、しっかりと帝国建築であった。
正門の前で名乗り、通用門の場所を訊ねると、なぜかそのまま正門から入ることになった。
門から玄関までは距離がなく、正直エイヴェリーが管理しているパーソロン家所有の民家の庭の方が広い。猫の額ほどの広さと呼ぶにふさわしい庭だが、ダリアが美しく咲き誇り、愛らしいオレンジの花をつけた金木犀が小さな庭に相応しいサイズで管理されていた。
アシュリンが調べたところによると、パーションは帝国の北に位置する土地の豪族のようだ。その辺りは数年前に帝国領となったが、新規に帝国に組み込まれた土地の住人は一定の期間、帝都の居住権を得るための審査が厳しくなるらしい。
ラナンシのような外国人の方が規制が緩いというのは皮肉な話である。
「あの子は帝国じゃ、『詰んでる』のよ。何年かして帝都の居住権を持てても学院に入る年齢は過ぎてるし、帝都の名門と結婚したくても学院出身じゃないなら相手にされないわ。だから、外国の貴族と結婚するつもりよ。ディアミドとかリーアム辺りを狙ってるんでしょうね」
リーアムの名前が出た時、エイヴェリーの中にドロリとした気持ちの悪い感情が生まれた。
(どうしよう、最近の私はすっかりおかしくなってしまった。こんな気持ちが自分の中にあるなんて……)
エイヴェリーは自分の感情を持て余していた。
玄関ホールでは、執事が親しげな笑顔で迎えてくれた。今日の段取りのために何度か店を訪れている執事は、私用のお菓子を買い求めるお得様になっていた。好物はカラフルクッキーだ。
「お待ちしておりました。まずは中身を改めたいと思いますのでこちらへ」
執事は小部屋へエイヴェリーを案内した。部屋にはメイドが二人いて、エイヴェリーの姿に頬を染める。
エイヴェリーは箱を開けて、お菓子の説明を始めると、執事は感心したように、メイドはウットリとした表情で聞き入っていた。
「それでは、後はお願いします」
挨拶を済ませて帰ろうとしたエイヴェリーを、執事が引き留めた。
客人としてお茶会に参加し、お菓子の説明をして欲しいと言われて、エイヴェリーは焦った。
「私はただの店員です。高貴な方と席を共にするような身分ではありませんよ」
「いえ、あなたの立ち居振る舞いなら問題ないと存じます。客人もお嬢様の友人ばかりでございます。それとパーソロンのリーアム様です」
「リーアム……様ですか……」
なぜ保安隊のリーアムがここに来ているのだろう?
「あの方は保安隊ですよね」
「ええ、まあ、その……警護を兼ねてですね……、及びした次第でありまして……」
「警護と言っても、室内のお茶会ですよね?」
十中八九、警護を口実に呼びつけたのだろうが、エイヴェリーは、一応、質問を口にしてみた。
「最近、お嬢様が不安を訴えておられまして……」
気の毒な執事がしどろもどろに説明する。
(適当な理由を作っては勤務中のリーアムを呼びつけて、自分のそばに置いているんだな)
嫌な女!
エイヴェリーは強い怒りと苛立ちを覚えた。そして自分の中の攻撃性に動揺した。
その時、上流の屋敷に相応しくない音を立てて誰かが部屋に入って来た。
「こちらにリーアム様がいらっしゃると聞きました。どうか、私の話を……あっ……」
メイド服を着たミント髪の少女が部屋の面々を見て押し黙る。
「お前……、なぜこんなところに……。お客様の前ですよ、さあ、下がりなさい」
微妙に厳しくなりきれない口調で執事がミント髪のメイドを諭す。
(私は客じゃなくて、御用商人ですよ)
と心の中で喋りながら、少女を見ると何やら見覚えのある顔だ。向こうもこちらを知っているようで、「エイヴさん?」と不思議そうに訊ねる。
「君、エリン通りの子だよね。たしか、雑貨屋の――」
雑貨屋を営む女性の妹のはずだ。名前はサーシャ。母と同じなのでよく覚えている。どこかのお屋敷で働いていると聞いていたが、この家だったとは驚きだ。
「リーアム様は確かに、この屋敷に来られるそうですよ。何か訴えたいことがあるなら、あの方を探しましょう」
何か困っているようだが、平民エイヴに出来ることはない。後はリーアムに任せるしかないだろう。
「いや、しかし、拙宅の事情でございますから、リーアム様を頼る訳には……」
「リーアム様は保安隊ですよね? だったら関係あるじゃないですか。私は盗みの疑いをかけられてるんですよ」
エイヴェリーが考えていたより遥かに窮地に立たされているらしい少女だが、焦ってはいるが堂々としている。自身の潔白を証明する気満々である。
「確かにそれは保安隊の仕事だ」
新たな人物が入ってきて、部屋にいる人間が一斉に声の主を見る。
そこにいたのは、アッシュブルーの軍服を着たリーアムであった。




