41 帝国の令嬢
エイヴェリーはこの国がそこまで物騒だとは思わなかった。確かに外国人が増え、島の人口自体も増えている。
昔を知る人は、以前より人が増えて事件も頻繁に起こると訴えているが、正直王都キーアンでさえも、前世の日本の地方都市より人も犯罪も少ないのだ。
ところがエイヴェリーが兵舎を訪問してから数日後には三件の大きな傷害事件が起こった。いずれも王宮に近い住宅街と商店街で被害者は帝国民である。死人こそ出なかったものの帝国民は外に出る際は気をつけるようにと、領事館からお達しがあったという。
エイヴェリーは妖精たちの目を通して見廻りを続けていたが、王都キーアンの全てを見通せるわけではない。残念ながら三件の事件とも見逃してしまった。
「リーアム様がいらしたわ」
昼下がりの少し緩やかな雰囲気の時間に、通りを挟んだ向かいにあるカフェの店員が、なぜかこんなことを言いながら『虹色』に入ってきた。
「カフェに、来たのかい?」
エイヴェリーは、知らんがな、と思いつつ話を聞く。
店内の女性客の熱気がむんっと上がり、なんだか軽く流したら恨まれそうな雰囲気だったからだ。
「カフェに来たんだけど、コーヒーの匂いが嫌だとか文句ばっかり言って、すぐに席を立ったの。あ、違うのリーアム様じゃないの、連れの女の人で――」
ゆらり、と殺気で空間が歪む、ような気がした。
「帝国の貴族だったわ。この店が目的みたいだけど――」
店内はお菓子屋に似つかわしくない緊張感が漂っている。エイヴェリーは適当な用事を思い出して逃げ出したい気分だった。
「リーアム様が婦人を連れてこちらに向かってるのね。教えて下さってありがとう」
アシュリンがスパッと話題を切った。
「大変だよ。アシュリンちゃん、パーソロンの若さまが帝国女を連れてこっちに向かってるよ」
近所のご婦人の参戦で事態は振り出しに戻ってしまった。
店内の客は誰も動こうとしない。
お菓子を選ぶふりをしているが、買って帰る気配はない。全員、リーアムと帝国婦人を迎え撃つ(?)体制に入っている。
エイヴェリーは何故か店内に残っているカフェの店員に話しかけた。
「君、仕事に戻らなくていいの?」
「はい、店長から様子を見てこいって言われてます」
これが私の仕事です、と言わんばかりのカフェの店員に、エイヴェリーは返す言葉もない。
今日は仕事にならないだろうな、と思いながらエイヴェリーは意識を飛ばす。妖精の目を通して通りを眺めていると、リーアムを発見した。件の帝国婦人はすぐ隣にいる。
しかしリーアムは保安隊のアッシュブルーの軍服を着ている。つまり今は勤務中なのだ。
ならば隣の女性は護衛対象のはずだが、二人の距離は妙に近い。
女性は帝国人には珍しい金髪である。サイドに編み込みを入れて高い位置で結び、そのまま下に降ろしている。顔立ちには幼さが垣間見え、見た感じでは十代後半の未婚女性のようだ。
服装は……とりあえずよい布を使っているのだと言うことは分かる。過剰な装飾に厚い布地のドレスはやたらと重苦しい印象だが、帝国流なのだろうか?
しかし服は重そうだが彼女の言動はどこまでも軽薄だった。
リーアムが少し距離をとろうとすると、帝国の令嬢がすかさずピタリと寄り添うため、二人は右へ右へと寄っていってしまう。
令嬢は雑貨屋に立ち寄り、リボンを手にする。自分の髪のあたりにリボンを合わせて「私に似合うかしら」などとリーアムに訊ねる。リーアムは一拍置いてから「自分には分かりかねます」とだけ答えた。
令嬢はつまらなさそうに、「まあ、こんなの身に着けてたら、帝国じゃ笑いものになるだけだわ」と言い捨てて雑貨屋を出た。
道すがら、ことあるごとに「帝国では」「帝国の流儀なら」とぶつくさ言っているが、正直まともに聞く気になれない。そばにいるリーアムにとっては苦行だろう。
まあ、この調子なので中々目的(?)の『虹色』には来ないので、しびれを切らした店内の客が「ちょっと見てくる」などと言って出て行き、再び帰ってきた。
「なによ、女連れって言うけど仕事じゃない。リーアム様がお可哀想よ」
「帝国の令嬢って、なんだか軽い感じね」
「あんなの未婚の娘の態度じゃないわ」
「どんな躾をしたらあんな娘になるのかしら」
悪意と偏見のこもった意見ではあるが、実際に令嬢の振る舞いはかなりおかしい。
エイヴェリーは再び、意識をリーアムらに向ける。
令嬢とリーアムは花屋に向かっている。
表の花に水をやっていたピンク髪の店員がリーアムを姿に気が付き、挨拶をする。
「お久しぶりです。リーアム様」
ピンク髪の店員が明るい声をかけると、リーアムが「お久しぶりです」と言いながら、笑顔とまではいかないものの柔らかな表情を見せる。
植物のそばがうれしいのだろう、デイ、タム、トゥリンも元気に飛び交っている。
この様子が気に入らなかったのか、令嬢は急に不機嫌になった。
「もういいわ、行きましょ」
花には目もくれず、次は『ポポロンの総菜屋』に向かう。
「いらっしゃいませ、リーアム様」
ポポロンが元気に声をかける。
王子は呼び捨てで、リーアムは様付けである。
「こんにちは、ポポロ――」
「いやだっ、こんな汚い店に連れていかないでよ」
いや、お前が好き勝手に歩いてるだけだろうが。と、エイヴェリーは脳内一人ツッコミを入れる。
「来るよ」
エイヴェリーはアシュリンにだけ分かるように伝える。
「どんな様子なの」
「帝国の令嬢の警護をしてるみたいだけど、警護対象の我が儘にふりまわされているようだ」
「帝国の令嬢なら大体分かるはずよ、もし分からなかったら――」
カランカラン。
店のドアを開ける音か響き、制服の軍人に伴われた若い女性が現れる。
店内に漂う凄まじい緊張感。
妖精たちも萎縮している。
「ようこそ、『虹色』へ。何をお求めですか」
アシュリンは令嬢に挨拶をする。
「マカロンってある? この前、お茶会で見たのよ」
アシュリンは奥の棚に並ぶマカロンを見せる。
「あら、前に見たのと違うわ。模様がついてるのがあるじゃない」
「こちらはアイシングでデコレーションを施しております」
「待って、こっちは何?」
「クッキー生地にアイシングで色を付けております」
「食べられるの?」
「もちろんですわ。むしろ早めにお召し上がりください」
「なら、これを――、待って、他にもあるのね。あっちの壁の方も見るわ」
令嬢は向きを変えて壁に並んだクッキーやドラジェを見始めた。
菓子に夢中になっている令嬢の周りはキラキラと輝き始めている。人間の心が喜びに満ちると、妖精たちが集まり愉快に踊りだす。
エイヴェリーにとって、今の令嬢はお菓子に興奮する愛すべき人間でしかなかったが、アシュリンたちは令嬢への警戒心を捨てていない。
「あれは何?」
令嬢が真ん中に配置されたパート・ド・フリュイに興味を示す。エイヴェリーが説明しようとしたが、それよりも前にリーアムが話しだす。
「果物の果汁のゼリーです。ラズベリーを食べたことがありますけど、……おいしいですよ」
おいしいですよ、でニコリと笑うリーアム。無表情の人間が、控え目に微笑んだだけですごい破壊力である。
謎の衝撃が店内を襲い、女性客は皆、その場に縫い止められたように動けない。
「じゃあ、ラズベリーにするわ」
なんとか立ち直った令嬢がパート・ド・フリュイの購入を決めたようだが、悪いことに今日はラズベリーというか、ベリー類は切れている。
「申し訳ありません。ラズベリーは切らしております。今はブドウとイチジクがおすすめですが――」
「私はラズベリーが欲しいの。ラズベリーをリーアム様と食べるのよ!」
令嬢は鋭い声でエイヴェリーを怒鳴りつける。どうやら物事が思い通りにならないのが我慢出来ないらしい。
令嬢の発する怒気に当てられた妖精たちがきゃっと縮まる。弱々しく辺りを漂うしかない妖精たちの姿にエイヴェリーは深い悲しみを覚えた。
一方の令嬢は、怒鳴った先にいたエイヴェリーの顔をしげしげと見る。
「だったら明日、ラズベリーのゼリーをうちに持ってきてよ」
「いいえ、ラズベリーの時期が過ぎましたのでご用意することが出来ないのです」
「なら用意出来たら持ってきなさいよ」
「それでは来年になってしまいますが――」
「私はラズベリーが食べたいの。あなたが持ってくるのよ。それから、リーアム様と一緒に食べるの」
(だめだ、意思疎通が出来ない)
「大体ね、店に来たら商品がありませんなんて通じると思ってるの? 帝国じゃあ、あり得ないことだわ」
エイヴェリーは変な汗が噴き出してきた。彼女の目的が、ラズベリーではなくリーアムと自分だと言うことは分かったが、どう乗り切ったらいいのか分からない。
「こんな対応、帝国なら許されないわね。あなた、謝罪――」
「まあ、お客様は帝都からいらしたのですね」
アシュリンが客の訴えを遮る形で話しかけてきた。対応としてはよろしくないのだが、何か策があるのだろうとエイヴェリーは見守ることにした。




