34 短刀術クラス
幸いにも一口サイズぼた餅は王宮で好評だったようで、『虹色』はお褒めの言葉と共に『新作を献上するように』との下命を拝することになった。
庶民向けのお菓子であって、本来王室に贈るような品ではないと説明したが、聞き入れてはもらえない。
かくして『虹色』は開店前から王宮御用達という、本人たちにとっては有難くない評判を手に入れた。
おかげで【誰でも買える】というコンセプトから大きく離れてしまったが、嘆いても仕方がない。
アシュリンとエイヴェリー、そして妖精たちは朝から晩までお菓子作りに励んでいた。
アシュリンは『虹色』の厨房でパウダーで色を付けたクッキーとマカロン、アーモンドを砂糖でコーティングしたドラジェ、それからポポロンの総菜屋に出すぼた餅を作る。
エイヴェリーは民家でパウダーとジャムやピューレ、そしてピューレを固めたゼリー、パート・ド・フリュイを作ることになった。
「エイヴ、すまない。短刀術は教えるのは今日で最後だ」
ある日の早朝、短刀術の授業を受けに行ったエイヴェリーはいきなり道場主から授業中止を宣言されてしまった。
「急に決定してね。兵士の一部に短刀術の指導をすることになったんだ」
申し訳なさそうに道場主は事情を説明してくれた。
以前から短刀術を一般兵士や近衛に習わせたいという話が出ていたようだが、王宮の保守的な人々から「短刀は品位に欠ける」と反対にあっていたらしい。それがこの度めでたく正式な格闘術として採用されたのだ。
「だからリーアムやディアミドがわざわざ市井の道場に来ていたんですね」
きっと若い彼らは見た目重視の剣術より、実践的な短刀術を身につけたかったのだろう。
「まだ正式には発表されてないんだけどね、軍部の中に新たな組織を作るんだ。警邏隊と兵士を兼ねたようなかんじで治安維持を担当するようになる」
なるほど警察組織を作りたいのだな、とエイヴェリーは考えた。
この国の警邏隊は民間で組織されている。警棒のような物を持っているが、帯剣はしていない。見廻りが主な仕事だが、強い権限があるわけではない。
「最近、警邏隊が犯罪者に襲われることも増えてきていてね。そこにきて『帝国の人さらい事件』だろう?」
かと言って兵隊は初動が鈍い。両方の力を持った組織が必要だと言う意見が以前からあったらしい。
しかし軍部が大きくなれば組織を維持するための費用も増えるため、これまでは難色を示す意見の方が大勢を占めていた。
潮目が変わったのは、国防大臣の辞任だ。道場主によると「人さらい事件」の一味だった兵隊長は国防大臣の腹心であったらしい。責任をとらされたわけだ。
「あれ、でもまだ大臣変わってないですよね? あの事件から少し時間が経ってますけど……」
「大臣はネヴェズの出だからね。いろいろあったそうだ」
「なんだか面倒くさそうな話ですねえ」
道場主がここまでツッコんだ話を自分にする真意を、エイヴェリーははかりかねていた。単純に王宮に呼ばれたから短刀術クラスを止めます、でもいいはずだ。
「それでわざわざ君にこんな話をしたのはだね。君にも新しい組織に入ってもらいたいんだ」
「はあ?!」
「ディアミド君とリーアム君は隊長クラスになる予定だし、他の二人も副隊長になるだろう。君の腕前を生かして欲しいんだ」
「そんな腕って……、私は弱いですよ? 第一、身分だってありません」
短刀術メンバーは皆、貴族出身だ。平民、しかも名乗る姓がないのはエイヴのみ。さらに弱い。
「いや、技術的にはかなり高いものがある。強くはないかもしれないが、君はけして弱いわけじゃない。もちろん平民の君をすぐに幹部にすることは出来ないが、働き次第では昇進も可能だとディアミド君も言っていた」
「いや、いや、待って下さいよ。ありえませんって」
え、何? 精霊兵士? 精霊刑事?
「自分はお菓子作りをしていますし――」
「恋人のためにも、街の治安を守る仕事をしてみないか?」
いや、恋人じゃないから。
「大事な仕事なのは理解しています。だからこそ半端な気持ちでは務まるとは思えません。今の自分にはアシュリンと一緒に店を作ることで精一杯なんです」
それに妖精たちだって、治安維持よりお菓子作りの方が楽しいだろう。
「そうか……、いや、なんとなく断られるような気はしていたよ」
「申し訳ありません」
「いや、こちらこそ。勝手にクラスを中止して済まなかった。これからは長剣クラスに通うかい?」
「いえ、自主練習で頑張ります」
こうしてエイヴェリーは長年続けていた道場を去ることになったのだ。
「じゃあ、最後の授業に入ろう」
道場主は立ち上がり、サッとナイフを取り出した。
「え、あの、まだ体が……」
普段はある程度動いて体を温めてから授業を受けるのだが、今日は様子が違う。
「エイヴ、敵は君が準備体操をするのを待っていてくれるのかい?」
はっとしたエイヴェリーは道場主の手元を見た。そこには普段の摸造刀ではない本物の刃があった。
エイヴェリーは素手のまま、手をだらりと下に降ろす。
道場主が突き出した短刀を、エイヴェリーはギリギリで避けた。そして道場主の肘をつかみ、関節を押さえようとした。
普段ならここで相手の動きを止め、武器を奪うことが出来るのだが、この日の道場主の動きは違った。
肘を掴もうとするエイヴェリーより、さらに素早く動いた道場主は裏拳でエイヴェリーの顔面を狙う。エイヴェリーは避けきれずに鼻を打たれたが、構わず腰をかがめ低い姿勢のまま、道場主のみぞおちに拳を入れる。よろけて後ろに下がった道場主の肘を再び掴もうとしたが、彼の利き腕には短刀はなかった。
(両利き!)
気が付いた時には遅かった。道場主の短刀がエイヴェリーの胸元を縦一線に切りつけた。
シャツが破れ、紐がぶちっと切れる音がする。
不吉な開放感を感じたエイヴェリーは、たまらず道場主から距離を取り、胸元を押さえる。
「エイヴ、血が――」
「えぁ?」
声が上手く出ない。
どうやら鼻から血が流れるているようだ。かなりの量の血が顎から滴り落ち、喉と胸元を赤く染める。
「済まん、やり過ぎた。胸も痛むのか」
「い、いえ、胸は特に……、鼻もすぐに止まると……」
エイヴェリーは右手て脇を抑え、左手で鼻血を拭う。怪我した小学生状態である。
痛いのは鼻だが、ピンチなのは胸だ。
「医務室に行ってきますっ」
エイヴェリーは慌てて道場を飛び出した。途中で人にぶつかり頭を下げた途端、鼻の中が生温かくなったので顔を上げて医務室に向かう。
医務室に入ったエイヴェリーは擬態を解いた。痛みは消え、体はすっかり軽くなる。
だが精霊化しても着衣の汚損まではどうにもならない。
シャツの着替えはある。しかし、胸をがっちりと締め付けていた下着は身につけているものしかない。
紐を結び直せばなんとかなるかもしれない。そう思ってシャツを脱いだ途端、ゴトリと補正下着が下に落ちる。ゴトリ、である。もはや下着ではなくプロテクターの音だ。
(もー、このまま飛んで帰っちゃおっかなー。騒ぎになったら陛下のお力ってことにして誤魔化してさあ……)
精霊化しているせいか思考もお気楽である。
「エイヴ……」
突然、背後から声をかけられ、エイヴェリーは無防備なまま振り返る。
リーアムが、彫像のように固まり立ち尽くしていた。




