3 エイヴェリー、エイヴになる
かつてこの小さな島で一人の青年が妖精の女王と結ばれた。彼らには三人の娘がいた。一人はこの国の女王となり、後の二人もそれぞれ家を興した。
これがこの国で最も尊い、ラナン、ネヴェズ、パーソロンの三家である。
パーソロン家の嫡男エイヴェリー・パーソロンは心身共に虚弱で人前に姿を見せることはない。噂ではパーソロン家の離れに半ば軟禁状態になっているという。近々廃嫡され、遠縁の青年がパーソロンを継ぐことになるだろう、というのが人々の見立てだ。
そんな虚弱設定のあるエイヴェリーだが、補正下着でがちがちに固めた体に黒の三つ揃いを纏い、せっせと地下道を歩いていた。
ここはパーソロン家の離れにつながる秘密の地下通路である。
やがてエイヴェリーは辿り着いた地下室の階段を登りドアを開ける。そこはとある民家の一室だ。部屋を出て廊下を進み、玄関から外に出る。
エイヴ、登場である。
裕福な商人の妾腹エイヴは学校に行かず、特に働くことなく日々好き勝手に過ごしていた。さすがに外聞が悪いということで、父である商人が遠縁にあたるパーソロンを頼った。パーソロン家は所有していた空き家の管理をまかせることにした――という設定だ。
住宅街を抜け、パーソロンの祖であり三王女の一人エリンが整備したという目抜き通り、通称エリン通りに出ると、明るい色がふわっと飛び込んできた。
(うわあ……)
エイヴェリーにとっては見慣れた光景である。
しかし、初晴の記憶が甦った今、ここはゲームの中の世界が再現された街だ。
赤、黄、青のカラフルな壁、少しずつ色合いを変える可愛らしい瓦。白い石畳には所々モザイクアートのような模様があり、人々の目を楽しませてくれる。
ヨーロッパ――というよりテーマパークのような外観だが、実際に海外にある街並みがモデルになっていると公式サイトにはあった。
しかし、眼前に広がる色の乱舞の原因は建物だけではない。
赤、茶、金の明るい髪の中に、緑、ピンク、青が混在している。たいていの人が染めているわけではなく生まれつきである。さらに、目の色も実に多彩だ。この国ではエイヴェリーの黒髪の方が目立つくらいだ。肌色も炭のように黒い人から青白い人までいるが、特に珍しいことでもないので誰も気にすることもない。
初晴としてゲームをしていた時はあまり気にとめていなかった髪や目の色だが、実は妖精結界に守られた島国ラナンシにだけ見られる珍しい現象であることを、エイヴェリーになった今は知っている。
隣国のニケア帝国は茶色の髪と目を持つ人が一般的である。他の国も似たようなものだろう。
そしてエイヴェリーの目にはもう一つの世界が見えている。
人の肩や足下、建物の隅、木箱に入った果物の中。淡い黄や白の光、青や緑の塊。エイヴェリーのまわりの彼らのように確かな形はしていないが、それは間違いなく妖精たちである。道行く人々は誰一人気にしていない。見えないのだ。
エイヴェリーはキョロキョロと街並みを眺める。まるで初めて都会に出てきた田舎者のようだが、もちろんそうではない。
(多分、どこかにポポロンの店がある)
この世界は向こうと同じく一年は十二ヶ月で区切られている。
ポポロンが店を開くのは王国歴二百年五月、今は五月半ばである。ゲームでは細かい日付は存在しなかったが、恐らく開店したばかりか、開店準備中だろう。
場所は目抜き通り、イベントや材料の採集などで簡易な地図が出てくるが詳しい場所は分からない。店の外観もそもそも彼女か何屋をしているかも不明だ。
ゲームでエイヴが店に訪れるのは開店初日だ。商品を何も並べてなくても出てくるから、難易度低めの攻略キャラだとユーザーは思ったものだ。
この世界がどれくらいゲームに忠実なのかは分からないが、エイヴがポポロンの店を見つけることが出来るなら、きっと今日が初日なのだろう。
(最初のセリフは『へえ、新しい店だね。おや、ずいぶん可愛らしいお嬢さんだ』だよね。ああ、自分がいいそうなセリフだなあ)
コン。と、何かが靴の先に当たる感触がした。妖精にぶつかったのだ。エイヴェリーは足下を見ない。普通の人間だから妖精にぶつかったって気にも留めないのだ。
周囲から妖精の気配が濃厚に漂い始める。勘のいい人なら、とある一角を明るく感じることだろう。
エイヴェリーは足を止め、少し離れた所にある黄色い壁の店を見る。
一人の少女がメニューが表示してある看板を出している。ふんわりとした茶色のボブヘア。後ろ姿だが、太めの眉も丸い瞳も茶色であることを、ゲームの知識で知っている。ニケア帝国風の容貌だが、それはポポロンの人間としての姿である。妖精としての彼女は紫の髪に金の瞳になるはずだ。
Aラインチュニックにバルーンショートパンツという十五歳にしては幼く見えるファッションも、やはりゲームと同じようだ。
彼女の周りに集まっている妖精たちは、あやふやな色の塊ではない。エイヴェリーの妖精と同じくしっかりとした形があった。
しかし、街を行き交う人々は気にも留めない。時々、立ち止まり店を覗いたり、ポポロンに話しかける人がいる。見えはしないものの、ポポロンや周りの空気から何かを感じている人がいるのだろう。
エイヴェリーは、ポポロンの店から道を挟んで少し離れた場所にあるカフェのテラス席に座った。ベーグルサンドとコーヒーを頼み、しばらくポポロンの店の様子をうかがうことにした。
テラス席にいる客はエイヴェリー以外に三人いた。ここで朝食をとってから職場に向かうのだ。本当に何もない暇人のろくでなしは自分くらいだろうな、とエイヴェリーは自嘲した。
(いや……)
二十歳の男が十五歳の少女の店を観察しているのだ。ろくでなしレベルじゃない、通報対象だ。
(ポポロンがどんな店を開いても、かならず初日に店に来るってなんかキモいな、自分)
あれだけ夢中だったキャラなのに、冷静に考えるとただの不審者でしかない。
もちろん、エイヴにはそうしなければならない事情があったのだ。今も自分の役目を果たすつもりでここにいる。
しかしゲームの知識は、これまでのエイヴェリーが知らなかった重要情報をもたらした。
(まあ、ポポロンを見守るのは基本変わらないけどね)
エイヴェリーはコーヒーを飲みながら、黄色い壁の店をぼんやりと眺めていた。店の外観から食べ物屋であることは分かったが、離れ過ぎていて看板の文字も見えない。
遠目に見ていても埒があかない。客として覗いてみようかと思ったその時、ポポロンの店の前に一人の女性客が現れた。
鮮やかな明るい赤毛、同系色だがやや暗めな赤いドレスはいかにも良家のお嬢様風である。
何やら店主であるポポロンとやりとりをしているらしく、道行く人がちらちらと様子を見ている。ただの買い物客ではない。何かを訴えている。
開店初日にクレーマーが現れるなんてゲームにはない展開である。しかし、赤毛に赤いドレスのキャラはゲームにも存在した。
アシュリン――ヒロインポポロンの前に立ちはだかる悪役令嬢だ。