26 甘い誤解
道場主は短刀術を習いたいと者は大勢いると言っていたが、実際に道場に通っているのは、ディアミド、リーアム、エイヴェリーの他は二人だけだった。授業料が高いために気軽に受けることが出来ないのだ。
これは短刀術を悪用されたくない道場主の思惑によるものらしい。
そのおかげで名乗る姓もないような平民はエイヴェリーだけとなった。しかも妾腹の日陰者である。
短刀術なので接近戦となる。当然、激しくぶつかり合うことになるが、幸いなことにエイヴェリーの性別を疑う者はいない。特製の補整下着はエイヴェリーを硬い体の男のように見せているのだ。
(まあ、一番弱っちいけどね……)
長剣はそこそこ様になるエイヴェリーだが、短刀術ではやられっぱなしである。やはり、フィジカルで負けてしまうようだ。
その日はエイヴェリーと道場主だけの授業だった。
短刀術の武器は短刀だけではない。エイヴェリーは拳で、膝で、攻撃を受けてボロボロになっていく。防戦一方、いや、サンドバッグ状態だ。
「いいね。日に日に動きが良くなっていく」
「え? 誰にも勝てないし、今も一方的じゃないですか」
「だが立っている。私の攻撃が致命傷になっていない証拠だ」
「正直、あまり強くなったような気はしないのですが……」
短刀術は長剣と違い試合形式ではないので、勝ち負けが生まれるわけではないが、他の四人に比べて圧倒的に弱い自信がエイヴェリーにはあった。
「短刀術の目的はね、勝つことじゃない。負けないことだ。負けない、とはどういうことか分かるか?」
「はい、あ、いえ……分かりません」
「死なないことだよ。命さえ、あれば人生なんとかなるからね」
「…………」
大陸を渡り傭兵稼業をしていたと噂もある道場主の言葉には奇妙な凄みがあった。エイヴェリーはただ圧倒され、沈黙していた。
「長剣を習っている時の君は漫然としていたが、今は目的がある。守りたいものができたんじゃないかね?」
「……はい。分かりますか……」
「なるほどねえ。ロベルタのお嬢さんを守るために強くなりたいわけだ」
「はあ?!」
唐突に割り込んできた声に、エイヴェリーは思わず素っ頓狂な声をあげた。
声の主はディアミドであった。隣にはリーアムもいる。
(仲良しかっ)
「はあ、なるほど。彼女か。恋は人を変えるもんだねえ」
道場主はうんうんと頷いている。リーアムまで勝手に納得している。
「違いますよ。そんな関係じゃ、ありませんから」
エイヴがとある商人の妾腹でありながら、パーソロンの庇護を受けているのは公然の秘密であり、ロベルタ商会の令嬢と組んでお菓子屋を開こうとしているのも短刀術メンバーなら知っている。
エイヴェリーはあくまで友人関係であることを強調したが、その場の妙な空気は払拭できなかった。
「エイヴ、これからパブに行かないか」
「いや、用事がある」
彼らは短刀術のためではなくエイヴェリーを誘うために道場に来たようだ。
ディアミドとリーアム、仲良しの上に暇らしい。
「お菓子屋を作りたいからね、他の店をチェックしてるんだ」
「熱心だね、そんなにお菓子が好きなのかい?」
人をやってエイヴェリーの動向を監視しているディアミドが、さも感心したかのように言う。彼が他の短刀術メンバーも監視していることをエイヴェリーは知っている。
「いや、お菓子ってそんなに好きじゃないんだ。どっちかというとビールが飲みたいね」
正直、居酒屋を開きたい気分だ。
「まあ、アシュリンの夢だからさ。付き合って――」
話を聞いているメンバーのニヤけ顔に気がついたエイヴェリーは、会話を止めた。
「君はその子が守りたいから短刀術を習っているのか?」
妙に真剣な顔でリーアムが訊ねてくる。
エイヴェリーは軽く自嘲気味に笑う。
「はは、まさか。自分の腕で誰かを守れるなんてうぬぼれちゃいないよ。私はかろうじて自分を助けるくらいの力を手に入れるのに必死なんだ」
以前、アシュリンに言ったようにエイヴェリーは妖精にならずに人間として戦いたいと考えている。
妖精として大きな力を使えば使うほど、エイヴェリーは自分が人間らしさが失っていくのを感じていた。
(できるだけ長く人間としてみんなと一緒にいたい)
人間エイヴェリーを守るために、エイヴェリーは力が欲しいのだ。
エリン通りのより王宮に近い所には、いわゆる高級店が多い。壁や瓦も色合いは抑えめでわざわざ帝国から輸入した高級木材を使った店舗もある。
店の看板には『帝国の』『帝国風』などと書いてある。
エイヴェリーは『帝国パン』という直球の名前の付いた店に入った。外観は確かにシックな作りであったが、中の商品は普通のパンばかりだ。だが、白いパンが多く値段も二割から五割ほど高い。
「あの、ここら辺のパンはみんなこの値段なんですか?」
買えないわけではないが、いつもより高めの価格になんとなく躊躇したエイヴェリーは、近くの店員に訊ねた。
「はい、こちらは帝国で作られている柔らかく甘いパンになっています。日持ちはしないのですが、砂糖とミルクがたっぷり入っていますから美味しいですよ」
エイヴェリーのいつも食べるパンは硬い。噛みごたえがあって好きなのだが、たまには前世のような柔らかいパンを食べてみるのもいいかもしれない。
(ポポロンに持って行こう)
エイヴェリーは白い丸パンを、ポポロンと彼女の妖精分、店員に包んで貰う。それから再び店を物色し始めた。
ドーナツ、マフィン、スコーン、揚げパン。
プレーンなものばかりだが、この辺りも妙に高い。
「混ぜり物のない、よい小麦を使っているんです。ラナンシで出回っている小麦とは比べ物になりませんよ」
白パンと一緒に、この辺りの品も勉強用に買っておくことにした。
それから小さな雑貨店やら高級百貨店におもむき、キャンディや砂糖菓子を購入した。
『たべたい』
『たべたい』
(ダメだよ。こっちはポポロンのお土産、残りは明日アシュリンと食べるんだからね)
『おなかすいたー』
『エイヴェリー、いじわる』
『エイヴェリー、わるいせいれい』
(はいはい、明日、明日)
いつもの妖精たちの口撃を軽くかわして、エイヴェリーは馬車を呼びポポロンの店の前まで行く。
店は夕暮れ時の客で溢れていた。メェリィにでもすっと渡して帰りたいのだが、そういうわけにもいかない。
「忙しいところにごめんね。これ日持ちがしないから今日中に食べてね」
商品を選んでいる客の間にすっと入り、エイヴェリーはポポロンに白パンの袋を渡した。忙しいのでポポロンのお礼の言葉を聞き終わる前にその場を離れた。
「ポポロンちゃんにも、崇拝者が出来たのねえ」
近隣住民の声を無視して、エイヴェリーはその場を立ち去った。




