2 エイヴェリーと妖精たち
(腕組みのせいかな)
エイヴェリーは腕をほどき、腰に手を当ててみる。
(違うな。やっぱり、こう、恥じらうような――)
エイヴェリーは『ふんっ』と、腰をひねり胸を隠すように左手で右腕を掴んでみる。
(…………ラジオ体操、いや、腕の痛い人かな)
全裸で不思議な踊りを踊り続けたエイヴェリーは五分ほどで正気に戻り、いそいそとゆったりとした下着を付けて、男物のパジャマを着た。
(間抜け踊りをしてる場合じゃない)
つい数十分前には鮮明だった初晴の記憶が次第にぼやけて来ているのをエイヴェリーは感じていた。記憶が残っているうちにゲームのことを書いておこなければならない。
椅子に座り向かい机に向き合ったエイヴェリーは、引き出しからノートを物色する。
(とりあえず頭を整理しよう)
『ちょっとお』
(ああ、これがいい。帝国史をまとめたやつ。これの途中から書いておけば、万が一、誰かに見られても誤魔化せるかもしれないな)
『ねええっ』
ポカポカと、エイヴェリーの頭を叩く者がいる。
「やめろ、ルゥルゥ」
エイヴェリーは手で何者かを追い払おうとした。しかし頭の周りを飛び回っているそれは、するりとエイヴェリーの手をすり抜ける。
『バカ、バカ、バカ。エイヴェリー、いじわる』
エイヴェリーの眼前にやってきて額を叩いているのは、青いワンピースを着た女の子の人形だ。
体は生成りの布、髪には黄色い毛糸、目は青いボタンが縫い付けてある。口はないのに、『いじわる。バカバカ』とうるさく喚いている。
『たいくつぅ』
新たな声が足元からして、影から何かが盛り上がる。エイヴェリーは盛り上がった部分をルームシューズで踏みつけるが、それはポンっと飛び出して、部屋の中をポムポム音をたてて飛び跳ねている。黒い毛玉である。
気がつけば、部屋のあちこちに不思議な生き物たちがいた。彼らはエイヴェリーの影から出たり入ったりしているのだ。
『あーそーぼー』
『たいくぅーつー』
「黙れ、私は忙しいんだ」
(ああ、ポポロンが連れてきた妖精と違って、こいつら可愛くないなあ)
ふくらはぎに張り付く星形のクッションみたいな妖精を剥がしながら、エイヴェリーは溜息をつく。
そう、ゲームでエイヴと名乗っていた青年は、妖精を見ることが出来る女、エイヴェリーだったのだ。
「おやおや、騒がしいこと」
音が外に漏れたのだろう。
ノリスが部屋を様子を確認しにきた。
『ノリス』
『ノリスだー』
『ノリスすき。エイヴェリーいじわる』
『いじわる』
『エイヴェリー、あそばない。ノリス、あそんで!』
妖精たちは、わっとノリスに群がる。人気者の保育士のようだ。
「はいはい、ノリスが遊んであげますからね。だから坊ちゃんの邪魔をしてはいけませんよ」
「ノリス、済まない。今から帝国史をまとめたいんだ。その間、面倒を見てくれ」
「お安いごようですよ」
エイヴェリーは本棚から帝国史の本を取り出す。海を挟んだ隣国、ニケア帝国の歴史書の最新版だ。
本を開き、ノートに書き写す――ふりをしながら、記憶にある限りのゲーム知識を羅列する。
ゲームの舞台になるのは小さな島国ラナンシ。
二百年前、人間の青年キーアンと妖精が結ばれて生まれた国だ。
妖精結界に守られたラナンシを、他国は侵略することが出来ない。気候は温暖で風光明媚、平和な小国である。
この国に妖精の血を引く少女ポポロンがやってくる所からゲームは始まる。
ポポロンはラナンシの王都で店を開く。そこに現れる様々な客の要望に応えるうちに特殊イベントがおこり、これらをクリアすることで男性キャラと結ばれることになるのだ。要するに乙女ゲームである。
誰とも結ばれなかった場合は妖精の国に帰るが、他にも人間として店を経営しながら市井で生きていくルートもある。
初晴はすべてのルートをやり尽くした。しかし、エイヴだけは攻略できなかった。
彼だけは他のキャラと違い、ポポロンに何の要求もしないのだ。ただ困った時にはどこからともなく現れて助けてくれる。そして静かに去っていく。
こんなキャラが攻略出来ないモブだなんて、誰が思うだろうか?
初晴、いや全国のユーザーがエイヴ攻略を模索した。すべてのキャラの要求を叶え、すべての商品を開発し、スチルをゲットし、あらゆるエンディングを見たが、エイヴルートは現れなかった。
最早頼りはファンブックのみだったが、あの仕打ちである。
(初晴が怒る気持ちは分かるけど、わたしの立場としては、あんな風に振る舞うしかなかったんだよな)
『とんだ、とんだ』
『ノリス、とんだ』
妖精たちの言葉にギョッとして後ろを振り向くと、そこには妖精たちと共に宙を舞う老女の姿があった。
「こら、やめろっ。ノリスを降ろすんだ」
『いーやー、エイヴェリーいじわる』
『ノリス、おそと、いく』
妖精たちはフワフワと窓に向かって行った。ルゥルゥだけは『だーめ、だーめ』と言っているが、誰も気にしない。
「いい加減にしないかっ」
鋭い叱責が部屋中に響き渡る。
妖精たちは分かりやすく縮み上がった。家具の裏に隠れるもの、小さくなって震えるもの、ただ人形妖精ルゥルゥだけが、気遣わしげにノリスの周りを飛び回り、彼女の体をゆっくり床に降ろす。
「坊ちゃん、ノリスは大丈夫ですよ。妖精には悪気はありませんからね」
「そんなことは分かっている。だが悪気がなくても取り返しのつかないことは起こるんだ」
エイヴェリーが言うと、ノリスの表情は曇る。
「さあ、みんな、おしまいだよ。私の影に入るんだ」
だが妖精たちの動きは鈍い。エイヴェリーに近づいては来ているが、影に入ることは拒んでいるのか、少し離れた所でウロウロしている。
ギギ……。
シーツを被ったお化けのような妖精が黒い穴のような目でエイヴェリーを見つめている。
エイヴェリーは彼(?)の周りに黒いもやのようなものがただよっているのに気が付いた。
(なんだ?)
『いけないっ。エイヴェリー、ギギをだきしめてあげてっ』
ルゥルゥの声に従い、エイヴェリーは膝をつき、小さくなって震えているシーツおばけ妖精を抱きしめる。
「済まない。ギギ、怖かったね。嫌な思いをさせて悪かった。でもねえ、外には出ちゃいけないんだよ。外は怖いところだからね」
ギギ……。
もやはあっさりと消えた。
気が付くと他の妖精たちもそばにやってきて、ひしっとエイヴェリーに抱きついている。
やがて妖精たちは落ち着いたのか、大人しくエイヴェリーの影の中に消えていった。
「坊ちゃま、大丈夫ですよ。外には出られませんから」
ノリスが床にへたり込むエイヴェリーに近付いてきた。
「ああ、そうだね」
エイヴェリーはそう言いながら、窓を見上げる。窓には鉄格子がかけられていた。
格子越しに見える黄色い月はバカみたいに大きく明るかった。