14 妖精化するエイヴェリー
エイヴェリーの姿は元に戻らなかった。
いや、生まれた時と同じ状態なのでこっちが本来の姿である。
擬態が上手く出来なくなったと言ったほうがいいのかもしれない。
エイヴェリーは黒髪と濃い紫の瞳を取り戻そうとするがどうにも上手くいかない。そして次第にどうでもよくなってきた。
体は軽く、妖精たちと共にふわりふわりと飛びかうのは実に楽しく愉快だ。鍵のかかったドアも格子のついた窓も意味がないことをエイヴェリーは知っている。あんなものは簡単にすり抜けられる。
「エイヴェリー、あまり窓に近づかないでね」
母サーシャが震えるような声で訴える。隣には父オーウェンがいる。
『サーシャ、サーシャ』
『オーウェン、あそぼ』
妖精たちは入れ替わり立ち替わりやって来るサーシャやオーウェンに大喜びだ。彼らの顔に浮かぶ悲しみや焦燥にはまったく頓着していない。
ルゥルゥはほんの少し気が付いていたし、エイヴェリーも人間たちの憂いとその理由に気がついていた。
少しだけ可哀相だと思ったし、みんなが笑ってくれたらいいのにとも思ったが、愉快な気持ちを止めることは出来ない。
「エイヴェリー、どんな姿になってもいい。見えなくともかまわない。ただ私たちのそばにいてくれ」
「旦那さま、そんな……」
ノリスが主人であるオーウェンの言葉に反発するように声を上げる。
「馬鹿なことをおっしゃらないでっ」
声を荒げたのはサーシャだ。裏返った甲高い声に部屋の空気が揺れる。妖精たちは縮み上がり、エイヴェリーの影に入ろうとしたが、宙を舞うエイヴェリーには影がなくなっていた。
サーシャは立ち上がるとエイヴェリーの片足をつかみ、床に降ろす。そしてエイヴェリーの両手を自身の手で包み込む。握りつぶさんとするかのように強い力だ。
「エイヴェリー、あなたは人間です。人間の父と母から生まれたれっきとした人間なのよ。思い出してちょうだい」
「い、た、い」
エイヴェリーは両手に痛みを覚えた。いや、痛いだけではない熱い。
――痛い、サーシャ、痛い。熱い。
――ああ……。
――サー……、違う。
「母上……」
「エイヴェリー!」
大きな声をあげたのはオーウェンだ。
「父上、ノリス……」
体が重い。
不快な、だが懐かしい重みだ。
いつの間にか体から光が消えていた。エイヴェリーは自分が元に戻ったことに気が付いた。
「エイヴェリー、行かないで。ずっとここにいてちょうだい」
サーシャはすすり泣いている。相変わらずエイヴェリーの手を握っているが、先ほどまでの強い力はなく、ただだた震えていた。
「ああ、ごめんなさい」
エイヴェリーの手には赤い痕がついた。サーシャは驚いたように手を引っ込めてから詫びた。
「かまいません。おかげで助かりました」
エイヴェリーは赤くなった皮膚をさする。わずかな赤みと痛み。そして熱。
人間の証。
妖精になれば人間としての苦痛からは解放されるが、人だった時の記憶は失ってしまうのかもしれない。
(嫌だ。人としてありたい)
今はまだ――。
その後も不安定な状態が続いたが、エイヴェリーは次第に自身のありかたをコントロール出来るようになった。
強い力を使い過ぎると強制的に妖精化してしまうが、最初の頃とは違い、人としての意識を失うことはなくなった。
しはらくすると妖精化と擬態も自在に出来るようになった。
おそらく空を飛ぶ力もコントロール出来るはずだが、さすがに外で練習することは出来ないのでどこまでやれるのかは分からない。
六月の半ば、状態が安定してきたエイヴェリーは、外に出ることが許された。
例によって秘密の通路から民家を通り、エリン通りの公園にやって来た。
ひさびさに見る外の景色……ではない。
体はパーソロン家の離れの二階にあったが、妖精たちの目で外を眺めたり、時には自分の意識を飛ばしたりもしていたのだ。
『こうえん、こうえん』
『イヌ、あそぶ』
妖精たちは公園でよく遊んでいた。日課と言っていい。
目の前を飛び回る妖精たちに反応する犬がいる。明るいクリーム色の毛の大型犬だ。ゴールデンレトリーバーだっただろうか? エイヴェリーは犬種より犬の反応の方が気になる。
見えているのか気配を感じるのか、犬は後ろ足で立ち興奮している。犬のリードを掴んでいる若い男が戸惑っているのを、エイヴェリーはベンチに座りながら見つめていた。
男が犬を落ち着かせようとしゃがんだ瞬間、リードが緩んだのを感じた犬が素早くエイヴェリーに駆け寄る。
「す、すいません。……ああ、こら、やめるんだっ」
ベンチに座っているエイヴェリーの膝に前足を乗せた犬は、鼻面をエイヴェリーの口元に押し付けようとする。周りの妖精たちも大喜びで興奮した犬を歓迎している。困惑しているのは人間たちだ。
「人懐っこい犬だね」
エイヴェリーは笑いながら犬の背中を撫でた。
「ああ、すいません。いつもはこんなんじゃないんですよ。でもたまにこんな風になるんです。最近は特におかしくて……」
男は申し訳なさそうに言う。
自分の妖精たちがからかっているせいだろう。すべての動物が妖精に反応するわけではないが、時々こんな反応をする動物がいる。
「この子はいい犬だよ。きっと妖精に反応してるんだろうね」
「ああ、妖精ね。はいはい」
エイヴェリーの言葉に反応した男の声には軽い揶揄の響きがあった。
「本当に好きだよねえ。ここの連ちゅ……」
男は言いかけて止めた。
エイヴェリーは男の顔をまじまじと見る。
茶色い髪と茶色い目の青年。その顔には分かりやすく軽侮の色が浮かんでいた。
「もしかして、帝国から来た人? 妖精を信じてないのかい」
「いやあ、結界があるからさぁ。そりゃ、なんかあるだろうとは思いますよ? でも妖精がそこら辺にいるなんてのはちょっとねえ……」
困ったように笑っていた青年だが、やがて辺りをキョロキョロと見回す。周囲が輝き始めたのだ。
妖精たちが笑いさざめいている。犬は喜び飼い主の周りを飛び跳ねている。
エイヴェリーがいたずら心をおこして、少しだけ妖精を可視化してみたのだ。
「おい、あそこ」
「光ってないか?」
辺りにいた人々が騒ぎ始める。エイヴェリーはそっと公園を出た。




