99 襲撃の顚末1
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「陛下の私室の前には近衛が二人立っていたんだ。そこに女官の一人がやって来て彼らにしびれ薬を噴射したらしい」
女官はエイヴェリーでも名前を知っているラナン系の家の出身だった。
動けない近衛を放置して女官は数人の帝国人と共に女王の私室に入っていった。
近衛の一人は幸い体を動かすことが出来た。廊下を這いながら助けを求めたが、本来王子の側近らがいるべき場所には誰もいなかった。
実は客船事件のあと、ネイルはかつて使っていた子ども部屋で過ごしていた。表向きは療養だったが、女王の闇の影響力から極力離れるためだ。例の純金のメダルや女王由来の宝飾品も身に着けないようにしている。
床でのたうつ近衛を発見したのは王宮のメイドだった。彼女は慌てて助けを呼んだ。
ネイルの私室にいたディアミドは報せを聞いて直ちに女王の部屋に向かった。
「私を置いていったんだ」
ネイルは拗ねた子どものように頬を膨らませた。口の周りがコロッケの油でテラテラしているせいで、ほんとに幼児のようだ。
「殿下、何度も言ったでしょう? 今、あなたを失うわけにはいかないのですよ」
「ああ、分かっているさ」
女王の闇がどんな形で襲いかかってくるか分からない以上、ネイルを女王の側に行かせるわけにはいかない。帝国の刺客以上に女王が恐ろしいのだ。
「私が陛下の私室に駆けつけた時には、帝国人どもが陛下のクビに短剣を突きつけていた」
女王を人質に取られた近衛らは身動きが取れなかった。しかし、それは帝国側も同様だった。
「連中は脅せば女王が結界を解除すると考えたんだ。しかし、陛下は拒否された。さらに自分を殺しても結界は残ると言われたのだ」
「本当なのかい?」
エイヴェリーは再びディアミドの話の腰を折った。しかし、聞き逃せない内容だ。
「真相を知っているのは陛下のみだが、おそらく事実なのだろう」
帝国人は迂闊な行動は出来なくなった。ネイルを確保出来なかったことも彼らの誤算だった。
捕らえられた者たちによると、元々ネイルを人質にする予定だったようだ。しかし、ネイルの側にはディアミドや忠実な親衛隊がいる。前ネヴェズ公の息のかかった者たちは遠ざけられ、ネイルに近づくことが出来ないのだ。
「王宮に帝国人を入れたのは前のネヴェズ公の手の者たちなの?」
エイヴェリーの問いにディアミドが頷く。
「いや、でも前のネヴェズ公の側近たちは遠ざけられているはずだろう? あんな事件を起こしたネヴェズ公の側近たちが、なんでお咎めもなしに王宮を闊歩しているのさ」
エイヴェリーの声には非難の響きがあった。
ディアミド、リーアム、ネイルら『王宮組』は気まずげに互いの顔を見合わせた。
「客船事件のあと、彼らは『何も知らない。自分もネヴェズ公に裏切られた』と言った。まあ嘘ではないだろう。息子の私が知らなかったのだからね。だがあの男の手足として動いていたのは事実はかわらない。大抵は王宮の中枢からは遠ざけられた。だが、全員というわけにはいかなかった」
ディアミドは笑顔を絶やさず語り続けたが、その表情には隠し切れない痛みがあった。エイヴェリーは責めるような口調になってしまったことを悔いた。
「ネイル殿下の側には以前からいた側近が配置してある。だが陛下のお側から完全に排除することは出来なかったのさ」
「人手不足でね」とディアミドは皮肉げに言った。
ディアミドを含めて前のネヴェズ公の関係者を王宮から追放してしまえばたちまち政務は回らなくなってしまう。それほど前ネヴェズ公の影響力は絶大だったのだ。
女王を裏切った女官はラナン系であるが、ネヴェズ公の口添えで女王の側仕えに選ばれたらしい。女王への忠誠も厚く、女王も彼女を自分の側から外せなかったようだ。
「彼女を排除すればラナンとの仲が更に険悪になる。帝国が不穏な動きをする今、国内での無駄な対立は避けたいからね」
「あの……ラナンと言うのは女王様のご実家でしょ?」
ポポロンが怖ず怖ずと訊ねる。
女王と実家のラナンが不仲なのは、ラナンシの人間なら誰でも知っている話だが、妖精の国から来たポポロンは誰からもそんな話を聞かされていなかったようだ。当たり前すぎて話題にも上らないのだ。
「私の父上は帝国の貴族だった。それをラナンは嫌ったのだ。加えて両親は長らく子に恵まれなかった。それでラナンの連中は私の両親を別れさせようとした。それで母上はラナンを嫌いきっている」
「まあ……、そうだったの……」
「大事な話だったのに、今まで話してなくて済まなかった」
ポポロンとネイルの会話を誰もが神妙に聞いていた。
ラナン家と女王の対立、ラナンのえげつない妨害工作などは積極的にポポロンに聞かせたい話ではない。彼女が知らないのも無理はないだろう。
「ポポロン、これから君に嫌な話をいっぱいすることになる。いや、君自身に不快なことが降りかかるんだ。それでも――」
「うん、ネイル。何があっても私はあなたの側にいる」
「ポポロン――」
ポポロンはネイルにみなまで言わせなかった。ネイルの側で人として生きようという彼女の決意は揺るぎようもないのだ。
互いに見つめ合う恋人たちを目の当たりにしてエイヴェリーは胸が高鳴るのを感じた。
「失礼、続きをよろしいですか」
恋人の甘い時間をリーアムが無情にぶった切った。
隣のディアミドは笑いを堪えるのに必死になりすぎて、美しい顔を歪めている。
「ええっと、どうしてラナンの女官は陛下を裏切ったんだい?」
エイヴェリーは、笑いを堪えながら真面目くさった顔を作ろうとしているディアミドに問いかけた。
女王への忠誠より前ネヴェズ公への恩義の方が上回ったのだろうか。
「彼女には帝国で暮らしている息子がいてね。今、拘束されているらしい」
「なんでさ?!」
エイヴェリーは思わず叫ぶ。
「理由なんてどうでもいいだろう? 体のいい人質さ」
ディアミドは手をひらひらさせて、いかにも軽薄そうに言った。
彼がこんな風に振る舞う時、内心では心を揺らしていることを、いつの間にかエイヴェリーは気付いていた。
「おかしいわ、そんなの。おかしいわ……」
「アシュリン?」
「帝国は傲慢だけど、無法者の集団じゃないはずよ。これじゃあ、蛮族じゃないの。こんなの――」
いつになく厳しい顔をしているアシュリンのお陰で部屋の空気が一気に下がった。
誰もが口を開かない中で暖炉の炎が爆ぜる音だけが妙に大きく響く。
「父上がおっしゃるには――」
重苦しい空気を打破するようにリーアムが口を開いた。
「なりふり構わなくなるほどに帝国は追い詰められているらしい」
部屋の空気は更に重くなった。




