聖霊と黒の印②
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「何事です」
ヴィクトリアたちの絶望にも似た声とは正反対に冷静そうな声をかけてきたのは1人の大人の女性だった。
美しくはっきりとした目鼻立ち。その圧倒的な存在感で周囲はすでに威圧されたかのような様子になった。
「王妃様!これをご覧下さい。この女がわたくしたちにおかしな呪いを!!」
ヴィクトリアが急いで王妃に手に付いた黒い印を見せたが、王妃は一瞥しただけでメリッサの方を向いた。
その時、メリッサの後ろでこそっと隠れていたシキと目が合い、王妃が一瞬小さく驚いた表情をしていた事をシキは見逃さなかった。シキはルキを抱っこしながら小さな声でルキにしゃべりかけた。
姿形は全く違う。年齢も髪の色も瞳の色もその見事なボディラインを描く身体だって何もかもが違う。あんなにボンキュッボンな身体はしていなかった。というか、そもそも異世界転生を果たしているんだから、シキみたいなよほどの特殊事例を除いたら、こちらに沿った外見をしているのは当たり前の事だ。だが、あの魂は……。
「……あれって……??ルキ?」
「おう、バレたぞ」
「え??…やっぱりそうだよね」
「間違いないな。この後、なぜか俺たちが理不尽に怒られて八つ当たりをくらうんだ」
「えぇ。ヤダ。でもあの子、憧れのボンキュッボンに生まれついたじゃない」
「それはまた別の話だ。姉ちゃんは俺が常に傍にいたから大丈夫だったが、あいつは1人で異世界に放り出されたんだ。恨み言の1つや2つ…で済むのか?くらいは聞いてやらんとすねるぞ」
どうがんばっても年上のやんごとなきご身分のお姉さんがすねるのはいかがなものかと思う。
というか、王妃様、とか呼ばれていた。王妃様と言えばこの国の王様の奥さんでこの国にもう1人いるという第一等級の聖霊と契約した聖女様だったはずで……。
混乱する頭の中で情報が錯綜する。
「王妃様だって。何て言うか…よく頑張りました?」
「あいつが王妃とか世も末だな」
こそこそと好き勝手言っている姉弟を放置して、ヴィクトリアは必死に王妃に訴えていた。
「メリッサ様が悪いのです。聖女でありながら私たちにこのような呪いをかけるなんて!!聖女失格ですわ。ねぇ、皆様もそうお思いになられるでしょう!?」
ヴィクトリアの言葉に周囲の取り巻きたちは顔を青ざめるだけで何も言わなかった。彼女たちはわかっているのだ。もしここで何か言おうものなら聖霊の怒りはさらに深くなり、自分だけではなく両親や一族にその怒りが飛び火する可能性があることを。ただ、ヴィクトリアだけは違った。何を言おうとも公爵令嬢である自分に文句を言える人間などいないと思っていた。
「……そなた、その印が何か知らなのですか?」
「そこの聖女の呪いの証でしょう」
「愚かですね。それは呪いの証ではなく、聖霊による刻印です。その印を持つ者は聖霊より堕落した者と見なされるのです。聖霊が視るのは内包している魂です。魂が汚れている者を聖霊は好みません。ゆえに視る力の弱い聖霊たちにもわかるように上位の聖霊がその印を付けて他の者たちに避けるように伝えているのです」
王妃はヴィクトリアに分かるように説明をした。本来ならこんな説明をしなくても神殿に入った時に一通り習うべき事柄だ。どうもそれが為されていないように感じる。
「その黒い印を持つ者はすぐに神殿から出て行きなさい。ここは聖霊を奉る神殿です。汚れた魂の持ち主がいていい場所ではありません。いつかその印が無くなった時に神殿に戻ることを許しましょう」
王妃とメリッサという第一等級の聖女2人にそう宣言をされて、ヴィクトリアを除く巫女や神官などが力なく頭を垂れた。だが自分たちがヴィクトリアとともに好き勝手やった結果なので誰も同情する気はない。
「王妃様、そのような事をおっしゃるなんて…!さすが、王に愛されていない王妃様、ですわね」
国王が王妃とは形ばかりの夫婦でその寵愛がもっぱら愛妾に向いているのは有名な話だ。ヴィクトリアは挑発するように王妃に向かって得意気に笑ったが、王妃の方は特に表情を変える事はなかった。
「…あの子、もうダメだね」
「あぁ、あの無表情になったあいつはとことんまで追い詰めるんだ…」
少女と黒猫がぶるり、と身を震わせた。
その様子を視界の片隅で捕らえた王妃はむしろ2人に向かってにっこり笑いかけた。
「おほほほほ、私と陛下は、王と第一等級の聖女だからこそ結婚したのよ。そこに愛情なんてものが無い事は最初から誰もが知っている事実。昔から誰もが知っている事実をどうして今頃になってそんなに得意気に言うのかしら?公爵家はだいぶ古い情報しかお持ちじゃないのね。それとも貴女の周りには貴女に都合の良い情報を教えてくれる方しかいないのかしら?そんなお嬢さんに貴族という身分は重すぎるのではなくて?私たちは常に新しいものを求めなくては時代に乗り遅れますわ。お嬢さんだけでなく、公爵家、そしてそこに属する多くの家がそういう意見をお持ちなら、私たち聖女という存在は無理に王家や貴族に嫁ぐ必要もありませんわ。私たちは聖霊が一番大切なんですもの」
要約すると「今更何言ってんの?バカなの?そんな古い情報しか持ってないんだったら最先端の情報がいる貴族止めたら??それに聖女だから結婚してくれって言ってきたのそっちだよ?嫌なら離婚しようか」と言った感じだろう。
一つの言葉を伝えるのにいかにオブラートに包んで右斜め63度くらいの角度から言うのかを求められるのが貴族というものらしい。シキは絶対に貴族なんかにはなれないなぁ、と感心してしまうのだが、王妃は楽しそうに追い詰めている。
そもそも今ここでヴィクトリアを追い詰めなくても聖霊に見放されたヴィクトリアたちは勝手に自滅していくだけだ。ヴィクトリアたちがいる場所に今後一切聖霊は近づかない可能性の方が高い。
そんな妻や娘はいらないのが貴族社会だ。
ついでに今の王妃の言葉で公爵家からも聖霊たちが消える可能性もある。聖女たちが聖霊が一番大切なように、聖霊にとって一番大切なのは契約した聖女だ。その聖女を侮辱した者たちを聖霊が許しておけるとは思えない。
ついでに王妃をバカにした存在をこっちは許しておけない。
「ルキ」
「任せておけ。あいつらの一族とは契約しないように通達を出す。本当は領地全体から聖霊を引かせたいが、それだとさすがに一般人に迷惑がかかるからな。だが、あいつらの一族に聖霊の加護はやらん」
ルキがじっと空中を見つめて何かぶつぶつ言うと、集まっていた下級聖霊がびくん、となっていた。
「やばい、やばいよ。今の言葉で完全にあの方々を敵に回したよ…!全聖霊に通達が出た。今後、ボクたち聖霊はあの者たちの一族と契約するのを禁止された」
「え…??」
自分が契約している聖霊の声に聖女たちは戸惑いを隠せなかった。この事実を告げた方が良いのか否か。だがそれはすぐに解決をした。
王妃の後ろから彼女が契約している第一等級の聖霊であるウンディーネが姿を現したのだ。
その姿は美しい人魚姫。ウンディーネは歌うように言葉を紡いだ。
「ワタクシの契約者。今、聖霊たちの中でも最上級に属する方から通達がありましたわ。今後一切、印持つ者の一族との契約は禁止ですって。あの方の通達に翼持つ方も同意なされた。これが覆ることは今後一切無いでしょうね」
くすくすとやはり歌うように笑うウンディーネに王妃も一緒に微笑んだ。
「ヴィクトリア嬢、それに今その手に印を持つ者たち。再度、言います。今すぐにこの場を去り、神殿を辞しなさい。貴方方はもはやここにいる資格はありません。それに今後、貴方方の一族から聖女や神官が出る事はないでしょう」
王妃の最後通告に、その場にいた多くの神官と令嬢が崩れ落ちた。
いずれもその手に印が出ている者ばかりだ。
「嘆かわしいこと。これほど多くの者たちが聖霊を怒らせるなんて…勘違いしてはいけませんよ。私たちはあくまで聖霊に選ばれる側です。そして聖霊にとって人の定めた身分などどうでも良い事なのです」
王妃の言葉のみがその場に静かに響いていた。