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第九十五話 雪片くん、母の名を思い出す

 そして金曜日。この日も俺は彩芽さん特製の青汁を飲み、意識を失うのと引き替えに過去の記憶の扉を開いた。ただ今日は何となくこれまでとは違う予感がした。今回見えた光景が、これまで見たものよりもずっと鮮明になっていたからだ。


 今から十年以上前のある日、子供の頃の俺が一人で外に出掛けようとして、玄関に財布が落ちているのを見つけた。誰かが落としたのだと思った俺は財布を拾い上げ、居間で本を読んでいた二十代前半の女性に見せた。その女性――お袋は美人だったが病弱で顔色が悪く、あまり外に出ない人だった。


『おかあさん、これだれのさいふ?』

『っ!! それは、あの人のよ。それどこにあったの?』


 俺が財布を見せた瞬間、お袋の顔色が困惑と恐怖が混じったものへと変化した。それはそうだろう、親父は自分の私物を俺やお袋に触られるのを嫌っていて、もし触っている場面を目撃したらその瞬間殴りかかってくるのだから。


『げんかんにおちてたよ』

『そう。あの人には黙っておいてあげるから、早く片付けてきなさい』

『わかったよ』


 母親に促された俺は、財布を元の場所に戻すため玄関まで向かおうとしたところ、激しい音を立ててドアが開けられ、三十代くらいのガッシリとしたの男が入ってきた。


『財布はどこだ! どこに隠した!!』

『あっ、おとうさん......』

『それに、触るんじゃねぇ!!!!』

『えっ、うあぁぁぁっ!!』


 入ってきた男こと親父は俺の手元に財布があるのを確認するなり、俺の頬に全力で拳を入れてきた。幼く体が小さかった俺は壁まで吹き飛ばされ、体を強く打ち付ける。


『あぐっ......い、いたいよ......』

『雪片ぁ! お前が隠してたのか!! 役立たずの穀潰しが!!』

『ひぎっ、ち、がっ!!』


 今度は胸を蹴られ、激しい痛みを感じ立ち上がれず床に這いつくばる。何とか自分の無実を訴えようとするも声が上手く出せない。そんな俺をお袋が庇うようにして立ち、親父を睨みつけて糾弾する。


『あなたが忘れただけでしょう!! それなのに雪片にこんなことするなんて、あなたは外道よ!!』

『うるせぇベニウメ! それともお前の差し金か? いいか、今度俺の私物に触ったら誰であろうがブッ殺すからな!!』

『あぐっ......』


 財布をポケットにしまい込み、その足でお袋の腹を蹴りつけ親父は出て行く。あとに残されたのは蹲る母子だった。俺は全身の痛みに苦しみ、お袋は酷く咳き込んでいた。心配になった俺は痛みに堪えながらお袋に寄り添う。


『お、かあ......さ、ん』

『雪片、ごほっ......』

『おかあさん!! それ......』


 咳を抑えた手のひらには、ドロリとした赤いものが付着していた。それを血だと認識した俺は、震える声でお袋に問うもそこで映像がプッツリと切れ、記憶の扉が再び閉じてしまった。まるで必要なものは全て見せたと言わんばかりに。


(待て! こんなところで止めるんじゃない!!)


 心の中で叫ぶ俺だったが、無情にもその扉は再び開かれることはなく、意識が急速に浮上していく。


「雪片くん、うなされてたみたいだけど大丈夫......じゃないよね?」

「やっぱり青汁が濃すぎたのかな? ごめん雪片」

「すごく顔色悪いです......雪片お兄ちゃん、タオル持ってきますね」

「お辛そうです。少し横になりますか?」


 目を開けると、佐藤家の四人が心配そうな顔で俺を見ていた。無理もない、もう十二月も中頃だというのに全身から発汗しているのだから。しかし、体調不良ではないので否定しておく。今寝ると逆に悪夢を見そうだから。


「タオルは要るが体調は問題ない」

「えっ、でも」

「それより俺が見た過去のことを聞いて欲しい」


 桔梗からタオルを受け取り汗を拭ってから、これまで見た過去の中で、とびきりに理不尽で胸糞悪い内容を、四人へと話す。最後にお袋が血を吐いたところまで含めて。


「酷いです......自分が忘れものしたのに」

「どうしてそんなこと出来るのでしょうか?」

「さあな」


 楓さんと桔梗の反応は親父のことを責めるものだった。悪意から縁遠い二人らしいといえばそうなのかもしれない。


「雪片くんのお父さんのことはともかく、お母さんの名前がわかったのは収穫だと思うよ。これで幾島さん達に聞かなくてもいいかな?」

「いや、むしろ名前がわかったからこそ、聞くことが増えた」

「千島ベニウメか。病弱だったならどこかの病院の世話になってるかも。そういえば雪片って子供の頃どの辺りに住んでたの?」

「覚えてないっす」

「ならその辺も聞かないとね」


 対して鈴蘭と彩芽さんは今回の記憶で得られた情報について語っていた。ただ二人の目をよく見ると、怒りの感情が渦巻いているのがわかるので、そうでもしないとやってられないといった感じだろう。


(お袋が生きていたら、この輪の中に入って盛り上がってたのかもしれないな)


 そう思い目を閉じると、瞼の裏に映るお袋が笑ったような気がして、一滴の涙が流れ落ちる。幸いだったのは、この場にいる誰にも見られなかったことだ。

お読みいただき、ありがとうございます。


雪片にとって、母との想い出は優しいものでしたが、それを上回るほど父親に辛い目に遭わされていたので記憶に蓋をしていた感じです。

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