9 侍女と馬車と王弟
【 とある転生者の手記 】
魔法のあるこの世界でも、別格のもの。選ばれた特別なものだけが授けられるというコスモ、いや宇宙の力。それは時間と空間の魔法だ。
物体の時間を止める。これは不可能ではない。前世でいう固定や時間停止魔法。私が考える方法は、その物体・部分を時間のない世界に隔離しているようなイメージだ。
同様に四次元空間にものを収納することもできる。魔力が豊富で前世が日本人であれば大抵できるだろう。時間のない世界を収納場所として、提供してくれている存在を怒らせたりしなければ、可能なはずだ。
別格のもの、神の領域は時間を行き来する魔法、そして空間を行き来する魔法だという。これらはどれほど魔力を持とうとも、半神であろうとも、主神の加護がなければ使えないという。
しかしこの知識を授けてくれた存在は、非常に感覚的個性的な表現力を有しているので、私の理解が充分であるかは自信がない。
* * * * *
イオは落ち込んでいた。主とも母とも思っていたカルオキペーに、不快な思いをさせてしまったのだ。父と思っていたプリクソスであっても、そこが居間であっても、二人きりになるべきではなかったのに。
それにカルオキペーは「ついに神話のとおりにイオポッサが」と言っていた。やはりイオポッサというのは神話の登場人物なのだろうか。その役がイオに与えられたのだろうか。
王族の人間は、生まれた時から神話の通りの名を付けられる。生まれながらに生き方を決められるようなものだ。それは王族なら当たり前のことなのだろうか。何故これ程までにギリシャ神話に囚われて生きねばならないのだろうか。
――魔法はそんなに大事? 神を降臨させるのがそんなに大事?
その答えは意外なところから得られた。
相変わらずメデイアの部屋に入れないイオは、館の周りを当てもなく歩き回っていた。使用人棟に手伝いに行っても、上手くはぐらかされて追い出されたのだ。
「あらそこの、紫の髪のあなた。あなたも見送りにいらっしゃいな。」
遠くから若い女性に声を掛けられた。王の妹役であり、クレタ島に帰還するところであった王妃パーシパエだった。
「特別に馬車への同乗を許可するわ。いいわよね、お兄様?」
「あ、ああ。」
王の許可が出たことで、メデイアに確認を取ることなく、イオはパーシパエの見送りに行くことになってしまった。
「それにしても見事な紫ね。お兄様も上手くやったものだわ。」
メデイアが魔法で編み込んだものではなく、イオが自分で三つ編みにしただけの髪は、パーシパエが指先で紐を引いただけであっけなく元のほどき髪に戻った。
「上手くというのは……」
「赤い髪の女を見つけてきて子供を産ませたんでしょう? やはり女は髪の色で人生が変わるわよね。わたくしも金に見える風属性の髪に生まれてきて本当によかったわ。」
「あ、赤? 王が……え? あの。……パーシパエ様は、髪が茶色じゃなくてうれしいのですか?」
「決まってるじゃないの、当たり前でしょ? 髪と美貌は玉の輿に必須よ。」
「玉の輿……」
「ああ、東の島の言葉だったかしら。わたくし気に入ってるの。王家との養子縁組、他島の王族との縁談、神の降臨とまぐあい。全てこの髪と美貌のおかげよ。これでわたくしも神の座に上がれれば、この容姿は永遠に衰えないわ。」
「永遠に……」
「まあ、今でも充分玉の輿だけど。でもあなたのお祖父様、ヘリオス様が輿じゃなくて太陽の戦車で迎えに来てくれたら素敵じゃない? 天上の世界では時も止まって老いも病もないのよ。」
「お祖父様が……王祖ヘリオス神?」
「わたくしは養子になってすぐにお嫁に行っちゃったから、探しきれなかったけど、ヘリオスの子孫に与えられた飛竜の戦車があるって話よ。あなた母親から引き取られてどのくらい? 暇なら探してみなさいよ。」
「……はい。」
「あら? 何の音かしら?」
馬車が港につくと、外がとても賑やかだった。竪琴が鳴り、剣を交えるような音がする。
――剣舞でもしているのかな。
先程聞いた重大な話を束の間忘れ、イオはパーシパエと共に馬車を降りた。
「この船まさか……。でも大きすぎるし少し早いんじゃ? しかも呑気に小銭稼ぎ? うーん……」
パーシパエがブツブツ言う横で、別の馬車から降りてきた王弟が声を張り上げる。
「責任者よ、前に出よ!」
すると立派な体格の男性が前に出て、優雅な仕草で挨拶をした。
「私はアテナイの王子、テセウスでございます。……そちらの姫はメデイア様でしょうか? 寄港の許可をくださり感謝いたします。」
テセウスは後半はパーシパエとイオを見ながら言った。弾んだ声で、パーシパエが答える。
「まあ! あなたがテセウスなの? 今度クレタ島へもいらっしゃいな。寄港も興行も許可します。それにしばらくしたら、迷宮の怪物退治の英雄も募集しますから、覚えていてちょうだい。」
「はい。ありがたき幸せにございます。他の乗組員と相談し、良き時に参りたいと存じます。」
高貴な身分と丁寧な挨拶で王弟を黙らせ、テセウスはさっさと去ったいった。
「ぐぅ、メデイアめ! また勝手な真似をしおって!」
「まあ、いいじゃありませんのお兄様。多分あれ、アルゴー船ですわよ。お兄様の明日も近いのでは?」
「おお! そうだったか! ……しかしテセウス? 確か来るのは……」
「お兄様! わたくし見送りの音楽があるうちに出航しますわ。この調べ、まるであの一夜に聞いたヘルメス様の竪琴のようだわ。」
パーシパエはそう言って、鼻歌を歌いながら自分の船へと消えていった。
パーシパエの船が動き出すと、アルゴー船も出航の準備を始めた。イオがそれをぼんやり眺めていると、甲板から沢山の男たちが手を振ってきた。アルゴー船の英雄たち。アルゴナウタイ。あの手記にあった内容。
――あの手記を書いたとある転生者って誰なんだろう……。
前世の記憶を持ったまま転生してきた人。女神アテナに憧れている人。どこかの島に住んでいて、魂が地球のもの。茶色の髪ではない。冊子自体は古びたものじゃなかった……。
考え事をしながらイオがなんとなく船に手を振り返すと、男たちからどっと歓声が上がった。
「やめよ! はしたない。お前はすぐに私の馬車に乗りなさい。」
掴まれるまま、イオはペルセースの馬車に乗った。
「アルゴー船が来たということは、襲撃はもうすぐだな。あやつら、歌舞音曲の興行師の振りをしておったが、偵察に違いない。今日のところは出航するようだが、もう猶予もないか……」
ブツブツつぶやくペルセースを見て、イオはこの人もアルゴー船のことを知っているのだと気が付いた。髪は金。思い切って聞いてみた。
「ペルセース様は女神アテナをご存知ですか?」
「アテナ? あの船の守護女神のことか? ……そういえばゼウスにあやかると、兄上は大層ご執心だったらしいな。」
「王様が?」
「アテナを産めばゼウスになれるとな。どこぞから色々聴き込んで、母となるべき赤い髪の娘を連れてきたほどだ。」
「赤……アテナを、産む……?」
「……そして私は、正当な後継者を得て王座につくのだ! お前は私の子供を産め!」
そういうとペルセースはイオを馬車の座席に押し倒した。突然のことにイオはもう、大パニックだった。
「えぇ!? 子供? だってそんなっ、止めてください! だって、だってあなたは……私の、叔父様なのでしょ?!」
「おや? 知っておったか。ああ、その通りだ。でも大丈夫、近親でも愛し合えるさ。いや……父親の違う兄の子なんて、近親のうちに入らんな。」
「そんな……」
――メデイア様にもゲス男に気を付けろと言われていたのに。カルオキペー様の言い付けも、殿方のいる居間が駄目なら、馬車も駄目だって気付けばよかった……。それに、それに私がお慕いするのは……。あの方になら触れられても嫌悪はなかったのに。でもそれも、もう駄目な気持ちだ。あの話が本当なら私たちは……。
色々な事実にショックを受け、狭い馬車で上手く抵抗もできず、イオは茫然自失に涙を流すばかりだった。