7 侍女とテラスと兄
【 とある転生者の手記 】
アルゴナウタイに関して、この島に関わる重大な神話の出来事を記す。
彼らの目的は、プリクソスの乗ってきた空飛ぶ金羊の毛皮を、コルキス王から奪うことだ。神話では、娘婿から譲られた毛皮を、コルキス王は眠らないドラゴンに守らせていた。
欲しくば取ってみせよと、コルキス王はアルゴー船の発起人であるイアソンに試練を課したが、イアソンに惚れたこの島の王家の娘、メデイアの裏切りによって金羊毛は奪われる。しかしそれは魔女たるメデイアに対抗するために、イアソンが呪具イユンクスで魅了の魔法を掛けたからだとも言われている。
イアソンと共に島を出るメデイアは、兄弟を拐い、そして殺した。
神話の出来事をここで再現させてはならない。困難に直面した時は、救いの魔女に手を伸ばせばよい。
* * * * *
館に帰還した一同は、各自自室に戻った。
夕食のセッティング後、部屋でイアソンと過ごすからと、今日の業務終了を告げられたイオはメデイアの部屋を出た。
――今日は使用人棟の食堂で食べればいいかな。でも、急に一人増えたわけだから、私の分はないかもしれない。
イオが思案しながら廊下を歩いていると、行く先のドアが一つ開いた。
「おや、イオポッサ。どうしたのですか? メデイア姉上の部屋で夕食じゃないのですか?」
出てきたのはアプシュルトスだった。
「はい。メデイア様はお客様と夕食をとられています。」
「お客様? まさかパーシパエ様じゃないですよね? 姉上に遊びに来る友達なんていましたか?」
「ふふ。ちゃんといらっしゃいますよ。」
「そうですか……。つまり今日はイオポッサは一人なのですか。やっと巡ってきたチャンスですね。では私と一緒に食べましょうか。」
「あ……でもあの、私の分はないかもしれません。」
「厨房では、いつでも多めに作っているはずですよ。なければ私と分け合いましょう。私はいつもは食堂で食べるのですが、今日は叔母上が来ていますのでね。部屋で食べると言いに行くところでした。イオポッサは私の部屋に入って待っていてください。」
「そんな! 私が取りに行きます。……それにあの、男性の部屋には入ってはいけないとカルオキペー様が。」
「ああ、ここでも先手を打たれていたのですね。では一緒に取りに行き、一緒にテラスで食べましょう。庭からも上がれるテラスです。それなら姉上も咎めないでしょう?」
「そう、ですね。分かりました。ご一緒させていただきます。」
そのままイオとアプシュルトスは厨房へ行き、無事、二人分の夕食をもらうことができた。
部屋から明かりを沢山持ち出してきたアプシュルトスの手によって、テラスは淡い光で満たされた。
「これはこれで素敵な夕食になりそうですね。」
そうして和やかな食事が始まった。
アプシュルトスは、イオが普段どんなことをしているかを聞きたがったが、レウスとのことは二人の秘密なので、イオはもっぱらメデイアのことを話して聞かせた。
「姉上がそんなことをするなんて……。やはり、私は恨まれていても仕方がありませんね。」
「……どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
「うん。私はね、転移者なんですよ。古代ギリシャから来たんだ。」
「ギリシャ? ……プリクソス様の前世とは、違うところのようですね。」
「自動翻訳が上手くいってないですか? 私がいた頃はポリスごとの国だったけれど、ここの翻訳では一つの世界、古代ギリシャとして表されるみたいですね。細かいことは分かりませんが、元の世界にプリクソスという人物がいたことは、かつての私も知っていましたよ。」
「……そしてまた、同じこの島に転移したんですか?」
「そう……。そして名前を名乗ったらすぐに今の父上、コルキス島の王の前に連れて行かれ、自国のことを根掘り葉掘り聞かれましたよ。……そうなんと、ここもコルキス国だったんです。」
「ここも? ……つまり、前の世界でもコルキス国に住んでいたんですか? 古代ギリシャ世界の? この島は、アプシュルトス様の元の国を……真似して、いる?」
「そうなんです。私は……驚愕しました。でも驚いたのは私だけじゃなかったのです。私が、ここでのアプシュルトス役をやることになって、不利益を被った人間がいたのです。」
「メデイア様、ですか?」
「ある意味では。……私が来る前に、実は既にアプシュルトス役はいたんですよ。しかし最適任ではなかった。金の髪ということ、メデイアより年下であること。その2点で選ばれた少女だったんです。」
「女の子……」
「ある程度の年齢になってから、役が与えられたのだとは思いますが、それでもそれなりの時間をここで過ごしたのです。手当をもらったとしても、役を外されるのは不本意だったのでしょう。」
「そんなことが……」
イオは転移者と会ったのは初めてだった。今日聞いたばかりの役のシステムも、どうにも腑に落ちないものだった。
「この島では、王といっても……君臨すれども統治せず、とでもいうのか。ただ広い土地を持ち、人を沢山雇っている地主みたいな感じでしょう? 使用人も、奴隷じゃない。けれど昨日まで王族役をやっていたのに、明日からは使用人として働く、というのは嫌がったみたいですね。その子は出て行ってしまいました。」
「私も使用人なのに、カルオキペー様にもメデイア様にも良くしてもらっています。」
「そう。メデイアはね、アプシュルトス役の子をとてもかわいがっていたんです。傍目には手下をこき使っていたように見えたかもしれないけど、客分として滞在中の私が見た限りでは、愛情を持って接していたと思います。今の、イオポッサに対してのようにね。」
「そうですね。メデイア様はツンデレですから……」
「ツンデレ? ですか?」
「あ、また。……最近、よく分からない言葉がふと、口から出るんです。……ツンデレは、素直になれないけど好き、みたいな意味だと思いますが。」
「……そうですか。まあ、そんな訳で、メデイアの愛情は、少女本人には伝わってなかったのでしょう。あまりいい別れ方をしなかったようです。それもこれも私が転移してきたせいですからね。恨まれても仕方のないことです。」
「それは……皆さんお辛いですね。私には、メデイア様の優しさは見え見えに思いますが……」
「イオポッサが妹に、いえ、側に付いてくれて、メデイア姉上も幸運でしたね。あの人は妹を可愛がりたかったのですよ。お人形のようにね。」
「確かに。着替えを用意してくれたり、魔法で髪を結ってくれたりしますね。」
メデイアが自分を可愛がりたいと思ってくれるのが嬉しくて、イオは自然と顔が笑んでしまう。
そんなイオを切ない表情で見つめていたアプシュルトスが、おもむろに口を開いた。
「私にも……。私には妹がいました。それも同じくイオポッサという名でした。髪は私と同じような栗色の巻毛でしたが……あなたはまるでイオポッサのようだ。」
「私もイオポッサですけどね。ふふ。」
「あなたをイオポッサのように……愛してもいいでしょうか?」
「え? 愛……? 妹のように? でも王族の妹なんて、恐れ多いです。」
「あなたは……転生者なのですか?」
「この髪で、魔法も使えず、獣人でもないとなると、その可能性が高いかもしれません。突然口にする不思議な言葉のこともありますし。」
「では体はこの世界のもの。魂が……私の妹である可能性も、ありますよね。」
「うーん、イオポッサからイオポッサに、転生することなんてあるんでしょうか?」
「現にプリクソス義兄上はそうですよ。前世でプリクソスだった人が、プリクソスと名付けられる王家の子供に生まれ変わったんです。」
「プリクソス様も他の王族の方も……生まれながらにして、ギリシャ神話劇場の役を与えられている、とも考えられますよね。そう考えると、プリクソス様以外は本人と言えるのでしょうか? もはや皆さんが役なのでは?」
「確かにそうですね。……そこまでして神に会い、魔力や異界への道を得たいと考える気持ちが、私には分からないよ……」
うつむいてしまったアプシュルトスを元気づけるために、イオは何かないか周りを見回した。
「アプシュルトス様! ほら、星がきれいですよ。」
「ああ……本当ですね。ここもギリシャも、星座は同じなんですよ。見やすいように、少し明かりを消しましょう。」
そう言って、いくつか明かりを消すと、アプシュルトスはイオに手を差し伸べた。
「テラスの端の方が見やすいですよ。」
イオを立たせて手を引くと、後ろから抱きしめた。
「イオポッサ……よく一緒に星を見ました。少しだけ、このままで……。ごめんよ。」
そう言ってアプシュルトスは泣いていた。体が密着して、内心気が気ではなかったイオも、すすり泣くアプシュルトスに気付いてからは、大人しく抱きしめられたままに星空を眺めたのだった。