5 侍女と記憶と王家の人々
【 とある転生者の手記 】
この世界は憧れの世界ではなかった。ここは地球でもない。空に広がる星々の配置はまるで同じなのに……。しかしここには地球から、しかも古代から転生・転移してくる人間が多いらしい。
その古代人たちは、肉体という牢獄に繰り返し転生するという、拷問の環から魂を解放することを目指しているらしい。この世に生まれ変わることを終わりにし、あの世に留まりたいのだ。
自分の持つ輪廻転生のイメージとあまりにも違っていて驚いたが、前世で読んだオルペウス教の話に似ている気がする。
人が肉体内に転生するのは、苦痛であり身を裂く試練だ。人は現世で、体の中に埋葬されている。原初にあった不死なる魂を取り戻すには、穢れを浄める救いが必要だ。不死たる神に同化するには、禁欲すなわち修行が必要なのだ。そのためには殺生を禁じ菜食の道を選ぶ。Buphoniaなどもってのほかだ。
そういった内容だった。
しかし島々の王族も含め、彼の地の影響を受けた者らのやっていることは、どちらかというとディオニュソス信者に近いようだ。神話の流れをなぞって神の降臨を促す。そのためには善行悪行問わず神性と称して力を見せつけているのだ。
ディオニュソスは自らの神性を認めさせるために信者の獲得に勤しみ、認めない人々を狂わせたり、動物に変えるなどの力を示し、神として畏怖され、晴れて神々の仲間入りをしたという。彼らは信者というよりむしろ、ディオニュソスその人の神話を模しているかのように思う。
* * * * *
「レウス様、やっと2ページ翻訳できましたね。」
「そうだね。中々言い回しが難しいな。」
あれから時間を見つけては、この広くて明るい物置で翻訳作業を続けている。イオがこの部屋に来ると、必ずレウスが昼寝をしているのだ。
「この世界、というのはここのことですよね?」
「あーどうかな。多分この西の諸島のことじゃないかな。」
「西の諸島? 東もあるんですか?」
「今知られているのは東の島、中央の大陸とここ、西の諸島。それと、ここからもっと西にはエリュシオンがあるらしいよ。」
「手記の1ページ目にあった偉人の楽園ですか? うーん、……もっと西って東の島のことなのでは?」
「え? イオはこの西の諸島からもっと西に行ったら、東の島に着くと思うの? どうして?」
「え? どうしてでしょう……。なぜかふと、そう思ったんです。」
レウスに問われてイオはまたあの感覚に陥った。そこはかとない恐怖だ。自分では考えようがない言葉を、どうしてか口にするのだから……。
「イオはもしかして、転生者なんじゃないかな? レテの水を飲みすぎて、他の人より思い出すのが遅いのかもしれないよ。」
「確かに……。あの日、レウス様にぶつかった日から、時折自分でもよく分からない言葉が思い浮かぶんです。」
「うん……。ハイドランジアってさ、水と器って意味なんだ。だからレテの水もイオの体に多く留まってるのかもしれないな。」
「そうかもしれませんね……」
毎朝メデイアが魔法で編み込んでいる髪に手を触れ、イオは考え込んだ。それをじっと見ていたレウスがイオに問う。
「イオは前世を思い出したいの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ、気にしない! 前世があっても無くても、私の女神ってことは変わらないよ。」
「ふふ……はい。」
今日の午後は賓客が訪れるという。メデイアは魔法で何でも出来てしまうので、むしろイオの支度を手伝ってもらい、大広間へと集まった。今日は、このコルキスからクレタ島王家に嫁に行った、王妹パーシパエの一時帰還の日だった。
「おお、パーシパエ、よくぞ戻った。」
「お兄様、お久しぶりです。」
パーシパエは砂色に近い金髪で、兄二人よりずっと若かった。
「ミノス王は息災か。」
「ええ、相変わらずですわ。ペルセース兄様もごきげんよう。」
「おお、あいかわらずお前は美しいな。」
「嫌ですわ、お兄様。おだててもわたくしは夫と神の子しか生みませんわよ。」
「ああ、そのキュドーンも息災か?」
「ええ! わたくしが母親ということは内緒にしてますけどね。」
「試練だな。わはははは!」
広間にペルセースとパーシパエの楽しそうな笑い声が響き渡った。
「私もう部屋に戻りますわ!」
王弟たちの笑い声を遮って、メデイアが声を張り上げた。
「メデイア。ひさしぶりね。もう結婚相手は訪れたのかしら。」
少し気分を害した表情で、パーシパエがメデイアに問いかけた。
「そんなもの、来る時には来ますわ。私は浅ましく男に媚びたりはしませんの。」
「まあ! なんて言い草。わたくしはちゃんと王家に嫁入りして、ヘルメス様の子供も産んだわ。」
「夫以外の子を産むなんて信じられないわ! イオ、もう行きましょう。」
「あら、その子は誰なの? 変わった髪ね。紫なんて、まるで……」
「私の侍女よ! その減らず口は部屋に戻るまで閉じておきなさい!」
メデイアがパチンと指を鳴らすと、パーシパエはピッタリと口を閉ざした。
やり取りを眺めていた王も、さすがに見兼ねて取りなしに入る。
「メデイア、仮にもそなたの叔母であろう。もう少し何とかならぬのか?」
「叔母役の、頭数合わせの他人でしょ? 何ともなりませんわ。」
「それは口にしてはならん!」
途端に声を荒げて立ち上がったコルキス王をものともせずに、メデイアは言い返す。
「大の大人が揃いも揃ってごっこ遊びとは、それこそ何とかなりませんの?」
「そなたの魔法はそのごっこ遊びのおかげで得られたのだ。謹んでわしのために使え!」
「好きでこんな目の色に生まれたわけじゃありません。イオ、行くわよ。」
「待ちなさい!」
今度は王妃だった。終始冷やかな顔で一同の言い合いを見ていた王妃が、以前より小綺麗な格好をしたイオを見咎め呼び止めた。
「その娘はカルオキペーに預けたはず。何故メデイアが連れ歩いているのです?」
問われたメデイアではなく、カルオキペーが答える。
「お母様、アルゴスももう旅立ちました。今度はメデイアのお守りを頼んだのです。現に最近は誰も動物になっておりませんわ。」
「私からイオを取り上げたらひどい目に合うわよ。ほら、おいで。」
メデイアはイオの手を掴み、足音も荒々しく広間を出て行こうとする。イオはなんとか王に頭を下げて、メデイアの後に続いた。
「全く! あなたのせいで出るが遅くなっちゃったわ。」
「申し訳ありません。」
「嫉妬深い王妃にも、町娘の分際で王妃ぶってるあの女にも気を付けなさい。私がいない時に何かあったら側妃か、いざとなったらカルオキペー姉上を頼るのよ。」
いつも怒っているかニヤリと笑っているメデイアが、珍しく美しい顔を歪ませて苦い顔をしている。
「側妃様は先程いらっしゃいましたか?」
「母上はこちらには来ないわ。大概、森の塔にいらっしゃるの。」
「塔、ですか?」
「イオもそのうち偉大なる魔女殿に会わせてあげるわ。」
「はい。」
そのまま気晴らしに外出するというメデイアに、イオも同行することになった。
一頭引きの簡易馬車を、口笛一つで自ら操るメデイアに、イオは先程のことを聞いてみた。
「メデイア様は、本当に人を動物に出来るのですか?」
「そんなの出来るわけないじゃない。そいつが動物になったと、本人も含めて見ている人間に思わせるのよ。」
「なるほど……」
「でもね、本当に出来る魔女もいるのよ。多分だけど……。触った感じも動物だったし。」
「魔女……側妃様とは別の方ですか。」
「そうね、別よ。あの女には誰よりも気を付けなさい。この島にいないのが唯一の救いよ。」
「はい。」
海が見えるところまで来て、メデイアは馬を止めた。
「わ〜海だ〜!」
「イオ! あなたまさか、島に住んでて海を見たことがないなんてこと……」
「見たことはあります、多分。でもずっと使用人棟と別棟との往復だったので、覚えてないくらい久しぶりで!」
「こんなのすぐに飽きるわ。船だって滅多に来ないし。今はあの女が乗ってきた船が止まってるけど。……あら? あれは何かしら?」
メデイアが指差す先、島から少し離れたところに、とても大きな船が見えた。
「あんなところに止まって、漁でもしてるのかしら。」
首をかしげる珍しいメデイアをイオが眺めていると、そばの茂みから急に男が飛び出してきた。
「魔女はどっちだ!」
それは立派な体格の金の髪の男性だった。そして何故か、手にぶんぶんゴマを装着していた。