3 侍女とピクニックと手記
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なんということだろう。我がバイブル、あのマンガの世界に生まれ変われるなんて。……いや、少し違うな。あのマンガのモチーフになった世界、ネタ元の世界だ。憧れの国。
生前は病室の窓から星を眺めるのが楽しみだった。星座の元となった神話を思い描きながら、か細い星の光を眺める日々。
色々あった夢を叶えるのが難しくても、せめてもっともっと星がキレイに見える所に行ってみたい。
その願いすら叶う前に、あの人生は終わってしまった。ここが憧れの世界なら、サジタリウスに会ってみたい。夢のようなこの第二の人生を、大切に生きたいと思う。
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広い館の端まで来たのではないかというころに、ようやく立ち止まった朝の金の髪の男性は、ドアを開けてイオを中に押し込むと、閉めたドアに張り付いて外の様子をうかがった。
「もう大丈夫かな。……君、気を付けないと! あのままじゃ、来年には叔父上の子供を産んで、王妃に祭り上げられていたところだよ。」
「ええっ?! それは一体どういう……」
「とにかく、叔父上にだけは気を付けて!」
「は、はい。」
「ねえ……ところで、この後の予定は?」
「え? 私の予定は、特にありませんが……」
「じゃあ! ランチを一緒にとろう! 今私が貰ってくるから、ここで待ってて!」
男性はそう言ったがすぐには出ていかず、この部屋にある本棚に指を彷徨わせ、一冊の本を抜き出した。
「これでも読んでて! すぐだから、部屋から出ないでね!」
そう言って今度こそ男性はドアから出ていった。
――なんだか変わった人だったな……。ここは何の部屋だろう? あの男性の部屋ではなさそうだし、ここに居てもカルオキペー様との約束を破ったことにはならないかな。
手近な椅子に座り、本を開く。異国の文字なのか、なんと書いてあるのかイオには分からない。だが、何となく見覚えがあるような気もする。手書きの……日記のようなものだった。最後の方は白紙で、書き込まれたページ数も多くない。古びた感じもしない。最近のものなのだろう。
――辞書があれば読めるかもしれない。
そう考えて立ち上がり、本棚に近寄ったところでノックとともにドアが開いた。
「お待たせ!」
ドアを閉めると、男性はそのまま部屋の奥まで歩いていき、窓を開けた。
「外で食べよう。こういうの、一度やってみたかったんだ。」
男性はバスケットをイオに渡すと、窓枠を乗り越えた。そして本とバスケットを受け取って外に置くと、イオに手を伸ばした。
「ほら、君もおいで。」
男性はイオの手を引き窓枠に座らせると、抱えて外に引っ張り出す。そのままバスケットを拾い上げてイオに渡すと歩き出した。
「あの、歩けます。」
「いいのいいの! やってみたかったんだよ、こういうのをね。」
そう言って、庭の外れの、木々に囲まれた日当たりのいい芝生まで歩いてから、男性はイオを抱えたまま座り込んだ。
「ここは私の、秘密の昼寝スペースなんだ。いいところだろ?」
「はい……あの……」
「あ、ランチね。これが君の分。普通のサンドイッチ。最高だね、彼女とピクニック!」
「あの……あなた様は一体……」
「あれ? 知らなかった? 私の名前はアイギアレウス。残念ながら紫の生まれじゃない。……がっかりした?」
「紫の生まれ? それはどういう……」
「あー、うん。……嫡子じゃないってこと。慣用句だね。王妃の子じゃないって意味。……じゃあ、食べちゃおう!」
「あの……降ります。」
ようやく男性の、アイギアレウスの膝から降りて、イオは昼食にありついた。
アイギアレウスはすぐさま食べ終わり、芝生に寝転んでいる。
「食べてすぐに寝たら牛になっちゃうかな〜。あ、そういえば君、名前は何て言うの?」
「はい、申し遅れました。イオポッサと申します。」
「イオポッサ……じゃあイオだね。私のことはレウスって呼んで。」
「レウス様……」
「二人の時は、様はいらないよ。……ねえ、この本読めた?」
バスケットに入っていた先程の本を手に取り、レウスは言った。
「いいえ。……見たことがある文字のような気もするのですが、読むことはできませんでした。」
「じゃあさ、これから暇な時は二人でその本を解読しようよ。確かあの部屋に辞書もあったはずだし。」
「はい、分かりました。あ、でも私、今日は昼食の後、呼ばれるまで部屋で謹慎するようにメデイア様に言われています。」
「部屋はどこ?」
「まだ入ったことはありませんが、メデイア様の部屋の控え部屋だとおっしゃっていました。」
「あー、それってさっきの物置の、角を挟んだ隣だよね。じゃあ丁度いい! あの物置で待ち合わせしよう。私はいつでも暇だから、昼寝は窓から入ってあそこでするよ。」
「隣……。そうだったんですね。気が付きませんでした。」
今までは使用人棟と程近い、カルオキペー様の別棟にしか出入りしていなかったイオは、本館には詳しくなかった。
「食べ終わった? じゃあ散歩しながらゆっくり戻ろうか。」
レウスは立ち上がり、バスケットを持つと、イオに手を差し伸べた。既視感を覚えつつ、ありがたく手を取り立ち上がると、レウスは手を掴んだまま歩き出した。
「あの……」
「こういうのもやってみたかったんだ。遅咲きの青春だね。遅咲き……。ああ……イオの髪は、まるでハイドランジアみたいだ。」
「ハイドランジア?」
「紫の花なんだけどね、赤紫と青紫が場所によって混ざってるんだ。イオの髪も一色じゃないよね。不思議な色だな。でも、キレイだ。」
寝坊のせいで結ばなかった髪は、今日だけで何度も話題にされた。キレイだとも言ってもらえた。しかし色の違いに気付かれたのは、今までで初めてだった。
「一色じゃないのが分かりますか? 初めて言われました。」
「分かるよ! 何度も夢で見ていたし。」
「夢、ですか?」
「あー、うん。……夢みたいなものだと思う。紫の髪の……女神様に会う夢なんだ。辛かった時に幻みたいに現れて、私を支えてくれたんだよ。……イオ、君が私の、女神さまなのかな?」
「わ、私はただの人間です……多分。」
「多分?」
「両親の種族が分からないので……。この髪なので、獣人かもしれないし、転生者かもしれないし、魔法使いかもしれないのですが、24才になった未だに、どの兆候もないんです。」
「そっか……。じゃあ、女神様でいいじゃないか。私だけの女神になってくれ!」
「え!? でもそんな、えっと……」
「ははっ! 冗談だよ。でも自分が何なのか考えて、不安になったら思い出して。君は私の女神様だ。誰の子供でも関係ないよ。」
「は、はい。分かりました! ありがとうございます。」