24 妻と紫陽と運命の歯車
遅くなりましたが最終話です。
「言わなきゃいけないこと? 何ですか?」
イオの鳥が首を傾げて、レウスに尋ねた。
「とある転生者の手記は、俺が書いたんだ。ホントは翻訳なんかしなくても読めたんだけど、イオと会う口実にしたくてさ。黙っててごめん。」
「そうだったんですね。……私もあの時は読めなかったけれど、なんとなく見覚えがある文字だとは思ったんです。」
「……俺があの手記を書いたのは、この館にアイギアレウスとして来て何年も経ってない頃でさ。まあ大体14才くらいかな。つまりは厨二病だったんだよ。」
「厨二病……。私は日本ではお医者の卵の巣の近くに住んでいて、本も授業もよく見ていましたが、その病は聞いたことがありません。珍しいものなんですか?」
「あー……いや。ごくありふれた病だ。ただ、完治は難しいし罹っていたことはあまり他人に知られたくない類の病なんだ。イオは最初から日本人ぽかったし、芋づる式にバレるのが嫌で、俺が転生者であることも言えなくてさ。ごめんね。」
「つまりレウス様は、前世が日本人……。あの手記は、レウス様が。……お父様の紫のアテナへの執着は誤解だと既に聞いていましたが、女神アテナに憧れていたのはレウス様だったんですね。」
「父上がアテナ信者じゃなかったって?? その話も後で詳しく聞きたいけど……。あの手記に書いたアテナはマンガの登場人物のことだから、全然気にしないでいいよ。」
「マンガ。見たことがあります。イケメンと女王様が出てきました。でも、紙の中の女神を憧れ……。そういえば! あの手記の話をしたら、お父様が読みたがっていましたよ。」
「あー、それはちょっと恥ずかしいな……。それにこの島も少しギリシャ神話から離れた方がいいんじゃないかと思うんだ。」
いつもは笑顔を絶やさないレウスが、先程から苦い顔と微笑をくり返していたが、キリッと話を変えた。
「確かに、カルオキペー様も……。お父様、王様がお母さんと最後の時を共に過ごせなかったのも、神話を知っていた王妃様を、先見の魔力持ちと恐れたためだったそうです。」
「王妃も転生者だったのか……」
「確か転移者だったと思います。……王妃様が神話を知る人では、神話から離れるのも難しいですね。」
「いや……王妃が何時代のギリシャから来たのかは分からないけど、コルキスが絡む有名な神話はもう終わりじゃないかな。あとはメデイアがメーディア国を作るのかどうかくらいで。」
「ではコルキスの王位は、誰が継ぐのでしょうか?」
「アルゴスか、キルケーメデイア姉妹の子供でいいんじゃないか? 俺は王様向いてないし。……そう考えるとイオが鳥になってくれたのもグッジョブだったかもね。俺の伴侶はイオだけだし。……だけどまだ、一縷の願いを……。さあ、俺の幸せの紫の鳥さん。怖がらずに俺の手に降りておいで。」
レウスが広げた手のひらに、紫の鳥のイオはそっと降り立った。すると手に触れた瞬間に姿が変わり、レウスの腕に収まっていたのは紫の髪の人、元の人間のイオだった。
「レウス様……」
「イオ! よかった! キルケーの島での話があったから、もしかしたらと思ってたんだ。鳥のままのイオも可愛いけど、人同士ならまたこうできるね。」
そう言うとレウスは、イオの頬に自分の頬を擦り付けた。イオがそれを好きなことを知っていたようだ。今日のレウスの頬は少しチクチクしたが、それでもイオは幸せだった。
「はい、レウス様! 愛し合えないのは寂しいですものね。それにこれで、卵じゃなくて子供が産めますね。」
「そうだね。でも俺とイオの二人きりでもいいんだよ?」
「私は……お母さんがレウス様に種を残したように、レウス様に子を残したいんです。」
「俺に種を? どういうこと??」
「お母さんは、日本で自分を愛でてくれた前世のレウス様のために、種を、私を残しました。」
「赤い髪の、花の精霊だったお母さんが、俺のためにイオを残した? 俺が愛でた……」
イオを抱いたまま塔に向かって歩きながら、レウスはこれまでのことを考えているようだった。
「そういえばお母さんの最期は、聞けたのかな?」
「はい。お母さんは散ったんです。」
「散った? それは死んだっていう比喩的な……」
「いいえ。花の精霊だったお母さんは、赤い花びらになって散って枯れたんです。」
「それで赤が散ったと……」
「はい。毎年散りますが、花が散って木が枯れたらもう咲かないんです……」
母が散った時の光景を、イオは脳裏に浮かべて悲しみを新たにした。それでも忘れたまま思い出せないよりは余程よかった。束の間でも母に愛情をもらったのは事実なのだから。
色々な感情が混ざった涙が、鳥の時と同じ、黒に変わったイオの目からハラハラと流れていった。
イオが泣き止むまでの間、レウスは切り株に腰掛けて抱きしめていてくれた。そして再び歩き出すと、疑問を口にした。
「赤い花ってなんだったんだろう。長年の入院生活で、見舞いに花は沢山もらったけどな……」
「お母さんは紫の花でした。私の髪のような。」
「え? ……じゃあもしかして、あの紫陽花が、イオのお母さん?」
「あの時の私には花の名前は分かりませんでしたが……」
「いや……。いや、いいんだ。どっちにしてもイオは俺の愛する奥さんだし、紫の女神は俺の恩人であることには変わらないからさ。」
「初恋の紫の女神はお母さんでしたか……」
自分がなろうとしていた紫の女神が、自分の母だったことになんとも言えない感情を抱いたイオは、落胆した声をだした。そのイオの様子にも気付かぬほどに考え込んでいたレウスが、イオに質問する。
「それなんだけど……。お母さんは俺が死ぬ時に会いに来てくれたのかな?」
意外な質問内容に、イオは懸命に記憶の糸を手繰り寄せる。
「お母さんは夫婦鳥の先生たちに聞くまで、前世のレウス様が枯れたことは知らなかったそうですよ。」
「そうなると……あの紫陽花はイオのお母さんだけど、死ぬ時に現れた紫の女神は、ただの夢だったってことだな。」
イオは、レウスの初恋の人は実在しなかったと聞いて、一瞬喜んでしまったことにハッとした。そして少し寂しそうにうつむくレウスを見て胸が締め付けられた。
神と人の子である父と、精霊の母を持ち、鳥として人の文化を学んだイオにも、人として生きてきた間に培った感情があった。それはこれまであまり表に出ることがなかったが、レウスと関わることでより豊かになっていった。
そして今、イオはグチャグチャに乱れた感情のままに必死に言い募った。
「あの! 私! ……ずっと紫の髪のせいで独りぼっちだったと思ってきました。たけど私の髪はお母さんの花みたいな色なんです。この髪がある限り、私は独りぼっちなんかじゃなかった。だからそれは、ただの夢なんかじゃなくて……。だからやっぱり、私がレウス様の紫の女神の役になります! レウス様が辛い時には、今度は私が支えます!」
急に感情をあらわにして大きな声を出したイオに、立ち止まり目を見開いて驚いていたレウスだったが、微笑んで、一筋涙を流した。
「イオ……。イオは役なんかじゃなくて、もう既に俺の女神だよ。支えてくれてる。俺が辛くならないように明るく照らしてくれてるよ。ずっと空虚に乾いてた俺の心を、あふれる愛の水で満たしてくれただろ? イオ、俺の紫陽の女神様。愛してるよ。俺たちはきっと、愛し合うためにこの世界に呼ばれたんだ。」
「レウス様……。私、レウス様には笑っていて欲しい。レウス様と触れ合いたい。温かいキスもしたい。種を残したい。これは愛ですか? 私、他の人じゃ嫌だった。レウス様じゃなくちゃ嫌なんです。これは愛ですか?」
「うん、俺はそう思う。でも愛が何か、これからずっと二人で考えていこう。」
「はい、分かりました!」
* * * * *
夜の帳が下りてきた空。
月を背に飛んできたフクロウは告げる、「このまま私はペルセースのロバをアイアイエ島まで運んで、そのまましばらく滞在するから、二人には塔の留守番を頼む」と。
実は月と魔術、出産の女神でもあるヘカテーには、この後の二人のことなどお見通しだったのかもしれない。
遠く本館からは、気の早いヘルメスが奏でる、生命の誕生を祝う曲が聞こえてくる。
巡り巡る魂の円環。
安息の地に留まるもの、報いの苦痛に落ちるもの、迷い戸惑い導きを必要とするもの、希望をもって次なる生に向かうもの、全てを忘れてまっさらな魂に戻るもの。
この世界で巡る輪廻を見つめるのは、翼を持つもの、空を飛ぶもの。天空に輝く太陽と月。陰陽和合した夫婦神。
新たに生まれる小さな運命の歯車が、数多の星々と共に輝くように、今日も鳥神たちは見守っている。
おわり
最後までお読みいただきありがとうございました。よろしければ是非、ブックマークと評価もお願いいたします。
既に投稿済みの短編「はっせん花と赤い髪の女」も、未読の方は是非。知らずにネタバレしてしまった方は申し訳ありませんでした。
「十五 星と花と妹(Aigialeus)」の後から
「1 侍女とイケメンと花」の前までのお話です。