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一般向けのエッセイ

大衆とエリート

  

 安倍首相の会見を見ていました。コロナウイルスに関する4月7日の会見です。

 

 元々、安倍首相は具体性のない、中身の乏しい事を言って、それから駄目な邦画の主人公みたいな威勢のいい事を言うという印象があったのですが、見ていて(相変わらずだなあ)と思いました。

 

 それで安倍首相の会見のどこに引っかかったのかを書こうと思ったのですが、阿呆らしいし、馬鹿馬鹿しいのでもう書きません。批判する場合には論拠を示すというのはある程度やるようにしているのですが、今回はさすがに馬鹿馬鹿しくてやる気にならないので、飛ばします。やりたい事は安倍首相批判ではないし、主観的印象から始めます。

 

 私は安倍首相の会見を見て、その表面的なハッタリというか、表皮的にはすごい雄々しい、立派な、価値のありそうな事を言っているという姿勢が前から疑問でした。誰に向かって言っているんだろう?という感じでした。

 

 でも今度の会見で、確信に変わった事があります。それはーーどういう言葉を選ぶか難しいですがーー底辺、というか、大衆、というか、庶民、というか、なんと言えばいいか難しいのですが要するに「自分の頭で物を考えない人」に向かって言葉を発しているのだと気づきました。これは貧富の差が問題ではなく、自分の頭で物を考えない人全般を今は「庶民、底辺」的なものと呼びます。だから高所得の底辺も定義上はいます。


 それで、安倍首相はそういう人達に訴えかけています。そういう人達は数が多く、投票権を持っているからです。「いいとも」に出演したのもそういう戦略でしょう。また、そうしたアプローチというのはある意味で正しいわけです。大衆社会ですから。

 

 私が遅まきながらやっと気づいたのは、この社会を構成しているのは、こうした、「自分の頭で考えない多数の人」と「そうした人に訴えかけるエリート」の二層が合わさってできている事です。この二つの層が一つに合わさって今の日本社会の中核ができている。それがよくわかりました。

 

 安倍首相の会見と合わせて思い出したのは電通にいた某ブロガーのある発言です。そのブロガーはこんな事を言っていました。

 

 「電通の先輩が、『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ。世間にはおそるべき量のおそるべきバカがいる。そしてそれが日本の「普通の人」だ』って言ってたの、一番役に立ってる教えの一つだ」

 

 これは有名になったブロガーの発言ですが、実際このブロガーはそこそこ成功しているし、言っている事自体は正しいと言えば正しいわけです。「バカ」と言うと怒るので、もっと良さげな言葉を使えば感情を逆撫でする事もなかったでしょうが、トータルで言えばそうなんだろうなと思います。

 

 私が問題にしたいのは構造なので、このブロガーもいいとも悪いとも判断をくだしません。「電通」というのは大企業です。広告をメインにしている、日本社会においては大きな会社です。その会社がこういう考え方をしている。テレビ局も同じ考え方をしていると思います。この考え方は安倍首相とそのまわりとか、トランプ大統領もそういう考え方をしていると思います。

 

 要するに、この社会においては、そういう、自分の頭で考えない人にうまく働きかけられた人がエリートになるという仕組みを持っているという事です。このブロガーなんかはいつも炎上している人ですが、それとは関係なく有能と言えば有能とも言えます。ホリエモンなんかもそうです。ただ、彼らがどれだけ「賢さ」「有能」をアピールしたとしても、それは愚かな人と一致した基準内の賢さだったり有能さだったりするので、常にうさんくさい雰囲気を身に纏ってもいます。

 

 この愚かさと、愚かさと結託した有能とされるエリートの社会的一致において、この社会の中心的価値観が作られていると思います。私自身はどっちも嫌なのであまり認めたくはなかったのですが、私自身がくだらないと思うものを人が次々と評価する意味がはっきりとつかめなかったのですが、そう考えると納得できます。つまるところ、ブロガーの言った戦略は正しいと言えば正しいわけで、広告屋、テレビ屋、その延長がなんだかんだで大きな力を持っているというのもこれでわかります。

 

 多くの人間は自分の頭で考えているわけでもなく、世界や自分を捉えているわけでもなく、また有能な人や賢い人はそのポイントを利用して巧みに地位を向上させたり富を得たりするという事です。そしてその人が一旦そういうものを築くと、それが「現実」「客観的」なものとして再びその価値観肯定の道具に使われる。そういう反復性がある。

 

 これが今の日本社会の縮図というか、現実だと私は思います。ここでは辛辣な書き方をしましたが、私がもっと「有能」であればこの事実を自分の地位向上の為に使っただろうと思います。庶民とか底辺という言葉も使わなかったでしょう。私は自分に都合の良いものを信じ込む大衆的態度も、そうした人を巧みに利用するエリート的思考も、どっちも嫌だと感じています。

 

 ちなみに安倍首相が変わったとしてもこの構図はすぐ変わらないと思います。ネットやテレビで人気のあるものを見ても(駄目だこりゃ)という感じです。それぞれの主観に閉じこもった世界観が、多数性や社会的地位によって是認され、客観的なものであるように見えていますが、実際は瀬戸際的なところにいる気がします。

 

 私がイメージしているのは沈没していく船の中でカードゲームをしている人達の姿です。彼らに「船が沈没するよ!」と言えば「楽しみを邪魔にするな」と怒鳴られます。「有能」な人はカードゲームで一儲けします。そこで沈没に対処しようとする人間はカードゲームに入れず馬鹿にされるという始末です。それが今起こっている事だと思いますが、多分いつの時代でも起こってきたのでしょう。そして船は沈む時は沈むし、それでも人は生きたり死んだりして先に進んでいきます。自然は人為を越えて進んでいきますが、賢い人は人為の先にある自然に触れるのだと思います。その『自然』を西洋では「神」と呼び、東洋では「自然」と呼んできたと私は勝手に思っています。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 沈没船のたとえが良かったです。大衆層の方々が沈没船の自覚があって逃避のためにゲームをしてるのか、無自覚でゲームにはまっているかは見分けられませんが。 [一言] 巧妙にコントロールされている…
[良い点] 自分がその一人だと気付いてない所。 [一言] まぁ責任ある立場でヒトモノカネと向きあう立場に立てれば変われるんじゃないかな。自分一人だけのヒトモノカネしか見てない人間の限界はそれこそ電通の…
[一言] レッテル張りすぎですね。 決めつけと主観だけの文章に見えます。 本文に書いてある通り。 まあなんでもいいんですけど。 世の中、素直な大衆よりも、自分は自分で考えてるつもりの愚か者が、 一番…
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