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第8話



 瞳を開くと、その違和感に気づくのに時間は掛からなかった。いつもより高くて殺伐と

した天井、いつもより広くて閑散とした一室。それはもちろん自宅の自室じゃなく、周囲

の状況からの判断で自分が病院にいることも分かった。

 隼人は大瀧護に刺されて意識を失い、この病院へと運ばれた。何度か見舞いで訪れた事

のある大部屋ではなく、個室のベッドに寝ている。以前に事故で入院した時に経験がある

ので、そこに感情は左程湧かなかった。

 部屋の中には両親がいた。瞳を開けた時からいろいろと隼人に語りかけている。隼人は

その言葉に対して、目線を送るだけのリアクションに終始した。

 海斗と啓史も同じ救急車で運ばれ、手当てを受けたが入院の必要はなく、1時間前まで

ここにいたが怪我も軽傷とはいえなかったので家に帰した。

 真奈美もここにいて、ずっと隼人の手を握っていてくれたらしい。涙も流していて、彼

女もまた1時間前に帰したようだ。

 今は何時だろうと気になる、深夜の2時を過ぎていた。どれだけ意識を失っていたのだ

ろう、そう考えてるうちに夢に行き着く。

 結愛、それに佳穂はどうなったのだろう。気になったが、おそらく2人を知らない両親

はそのことを知りはしないはずだ。海斗と啓史にそこは頼るしかない、夜が明けるまで持

ち越しだ。

 夢を見た、限りなく現実に近い夢だったと思う。夢の中で福治美月と福岡結愛が重なっ

た。夢じゃない気がしてたまらなかった。大きな何かが繋がり、それが自分を幸福へ届け

てくれた。

 もしかしたら、そう思うと早く彼女に会いたくなる。想像が頭の中で勝手に固体化され、

確実なものかのように形づくられていく。

 早く会いたい・・・・・・そう願いながら、隼人はまた眠りについた。


「よぉ、どんな感じ?」

 瞳が再び覚めると、海斗と啓史の姿があった。

 今は何時だろうと気になる、朝の10時の手前だった。

「ったく、手間取らせやがってよ。死んじまったんじゃねぇかと思って、こっちは冷や冷

やもんだったんだぞ」

 笑おうとしたが、傷口が痛んでそっちが勝った。

 大瀧が廃墟ビルを去った後、すぐに救急車を呼んで5人とも病院へ運ばれた。海斗と啓

史と佳穂は自分で辛うじて動ける余力があり、その日のうちに帰ることができた。結愛は

その前にやられた分もあり、一日ここにお世話になったようだ。

 そして、隼人は当然のように他の4人と同じようにはいかなかった。大瀧に刺された傷

はうまくポイントは外れていたため、致命傷には至らなかった。ただ出血が多かったので、

しばらくは病院の厄介になることとなった。

「だけど、大丈夫かな」

 何が、と啓史が海斗に返す。

「大瀧の野郎だよ。また懲りずに、なんて事になりかねないだろ」

 また同じことが繰り返されるのなら今度こそ、そう頭によぎる。

 心配ないよ、と言ったのは隼人だった。

「もう、大瀧は俺たちの前には現れない」

 確証は何もなかったけれど、不思議とそれには自信があった。

 大瀧護も変わりたい人間の一人だ。昨日のことで、これ以上の痛めつけが無意味である

ことは承知しただろう。

 隼人は傷口を確認する、やろうと思えば心臓を一突きするのも簡単なはずだ。あの時、

隼人は向かってくる大瀧から逃げることはしなかった。大瀧は自分の意思でもって、この

位置にナイフを刺したんだ。大瀧は隼人を殺める選択をしなかった。そんなことをしたら、

変わりたいと願う自分の気持ちにナイフを刺し込むことになる。それは出来なかった。だ

から、彼は変わりたいと願っているのだろう。

 この後に警察の取調べを受けることになっているが、大瀧の存在は黙っておく。大瀧が

隼人の命を奪わなかったように、隼人も大瀧の未来を奪うことを止めた。


 そのうちに秋井佳穂も隼人の病室に訪れた。今日は仕事がある日だったが、さすがに欠

席をしていた。

「あぁあ、明日会社に行ったら何て言えばいいんだろ」

 手鏡で顔の傷を見ながら佳穂は言った。

「彼氏にやられました、ってのは?」

「そこかなぁ、やっぱ」

「同情はしてもらえるよ。そんなの今すぐ別れなさい、って。少なくとも、昔の不良仲間

とケンカしたとは思われないから」

 そうしよう、と佳穂は海斗の案を採用した。

「そういう事だからごめんね、啓史くん」

「何で俺に謝るんだよ」

「だって、啓史くんがDVって事になっちゃうじゃん」

「ふざけんなって、マジで」

 病室に一時の穏やかな時間が流れる。

「あっ、結愛は夕方ぐらいに退院するって」

 そう、と隼人が返す。

「結愛ね、隼人に会いたいって何度も言ってるよ。もう少しの辛抱だから、って宥めてる

けど」

「おぉっ、愛されてますねぇ、隼人くんは」

 冷やかすなよ、と軽く言い打つ。

 隼人も結愛に会いたくてたまらなかった。自分の中に蠢くわだかまりを解決させたくて

言い様のない思いを巡らす。正直、この病院での緩やかな時間の流れはいじらしくて仕方

なかった。

「ありがとうね、隼人くん」

 佳穂がいやに真剣に言った。

「あの子、あんまり他人から愛情を注がれて来なかったから。両親はいないし、普通の人

達よりちょっとずれた道を歩いてきたの。お爺ちゃんお婆ちゃんには優しくされてきたけ

ど、こと異性に関しては肩肘を張っちゃうし。よっぽど通じ合えないと心許さない子なの、

すっごい不器用だからね。それが同世代の子に、しかも出会って間もないのにこんな歩み

寄るなんて無かったの。隼人くんのおかげ、あなたがあの子の意地っ張りな心扉を開けて

くれたから」

 それは自分も同じだ、と隼人は思った。

 どこか日々に投げやりだった自分を変えてくれたのは結愛だった。こんなにも誰かのた

めに何かをしたい、なんて初めての感情だ。嬉しいことだったし、何より社会に出て揉ま

れる前にそこに辿り着けてよかった。

「隼人くん、結愛のことを支えてあげて」

 お願い、と佳穂は強い眼差しで言った。

 隼人は一度下を向き、「あぁ」と頷いた。

 そうしたい気持ちは募っていく、同時に新たな問題が生まれるのも分かっていた。


 結愛が隼人の病室を訪れたのは夕陽が遠くに沈みかけていた17時ごろだった。退院に

付き添っていた佳穂と一緒に部屋に入ると、彼女は特に言葉を発しなかった。

 父親と兄は仕事で、母親も海斗と啓史がいるうちにと自宅に戻って家事をしている。

 よしっ、と何かの口裏でも合わせていたかのように海斗と啓史と佳穂は「俺ら、飲み物

でも飲んでくっから」と部屋から出ていった。

 3人が出て行くと、病室には無言の時間が流れ出す。窓から入り込む秋風は温めだった。

今日はこの時期にしては気温の高い一日になっていた。吹き抜ける温風は体に心地良く、

何もない時間が心地良いものだという感覚を与えてくれる。

 先に言葉を発したのは結愛だった。

「・・・・・・隼人・・・・・・」

 霞むぐらいの小さい声だった。なのに、それはやたらに温かくて懐かしいものに思える。

「・・・・・・本当に隼人なんだよね・・・・・・」

 結愛は柔らかい瞳をしていた。こんな瞳をした彼女は見たことがなく、歪な感覚が生じ

る。でも、それは体に馴染みのあるものだと気づくのに時間は掛からなかった。20年も

前、こんなに柔らかい瞳をしていた女の子を知っていたから。

 隼人は、結愛の言葉に対してこうべを垂らした。

 結愛は笑った。その笑顔は20年前の美月の笑顔に重なった。あの大好きだった笑顔が

再び目の前にあった。

「やっと会えた」

 そう隼人が言うと、結愛はベッドの方へ歩み寄り、ゆっくりと抱きついた。

「・・・・・・会いたかったよ、隼人・・・・・・」

 胸の辺りから聞こえる声はそのまま体の中へ入り込み、心臓へ響いた。その体から伝わ

るものは20年前と同じではなかったけれど、温もりの中心にある芯の部分は昔に感じた

記憶とよく似ていた。

 あの花々に囲まれた緑々とした芝生で抱きしめていた体は年相応に大きくなっていたけ

れど、隼人よりも一回り小さい体を包み込む感覚はさほど変わりはなかった。

「ごめんな、こんなに時間が掛かって」

 うぅん、と結愛は小さくかぶりを振る。

「・・・・・・また会えるって信じてたから・・・・・・」

 だから、どれだけだって待てるんだよ。

 その言葉は何より嬉しかった。20年もの長い年月を自分のことを信じていてくれた事

が。

 隼人だって信じていた。何の保障もないけれど、必ずいつかどこかで美月と再開できる

んだと。そう信じてきたから、今日までの張り合いのない生活も過ごしてこれたんだ。


 ガラッ、唐突に開いた扉に隼人と結愛は顔を向けることしか出来なかった。結愛は隼人

の胸に顔を据え、穏やかな感情に身を委ねているところだった。その頃合を見計らい、海

斗と啓史と佳穂が偶然を装って戻ってきたのかと思った。そっちの方がまだマシだったろ

う、扉を開けたのは進士真奈美だった。

 まずいと思ったのは既に時遅く、何の対策も出来ない状況になっていた。明らかにおか

しい光景を目の当たりにし、彼女は扉に手を添えたまま立ち竦んでいる。瞳は気持ち細ま

り、唇は気持ち開き、その内では様々な思考が巡らされてるのが分かった。

 結愛が隼人の体から離れた。この状況を不穏な空気から感じ取って。

 隼人は為す術がなかった。なにより、一人で体を起こすことすら出来ない状態だった。

 無言の時間は怖いものだった。いっそ、心を突いてくれた方がいいと思えるほど。

「・・・・・・あなた、誰ですか・・・・・・」

 真奈美が結愛へ言った。零れ出た声だった。

 真奈美は結愛の存在を知らない。美月の存在も知らない。当然、こんな場面を瞳にした

ら何がどうなっているのか分かるはずもない。

 結愛も真奈美の存在を知らない。突然、こんな場面に出されたら何がどうなっているの

か分かるはずもない。

 それでも、結愛は度胸が据わっていた。イスから立ち上がると、扉の方へ歩いていき、

真奈美の前で立ち止まる。

「福岡結愛、よろしく」

 そう右手を差し出す。

 真奈美は何を返すこともなく、結愛を見ている。数秒で結愛は右手を引き、「じゃあ」と

誰に言ったのか分からないような言葉を残して去っていった。

 再び無言の時間が訪れる、温く心地良かった風が気のせいか冷たくも感じられる。真奈

美は下を向いている、そのまま隼人の寝るベッドの方へ近寄った。顔を上げると、探し物

をしてるような定まらない瞳が隼人に向けられていた。

 お兄ちゃん、と真奈美は言った。

「・・・・・・あの人、誰・・・・・・」

 名前は福岡結愛、そして見た目の情報しか今の真奈美にはない。それが心内を締めつけ

る、早く解放したくてたまらなくなる。でも怖い、それが自分に良好だけを届けてくれる

気がしなかったから。

 隼人は何も言わなかった。あんな決定的な場面を見られたら何を言っても言い訳でしか

ないのもあったし、もう充分に傷ついてる真奈美に対して嘘をつく行為が出来なかった。

 そして、真奈美からすれば隼人の対応が意味するものを把握するのは難しくなかった。

「・・・・・・そうなんだ・・・・・・」

 正直、こんな分かりやすい展開じゃない方がよかった。この病室の扉を開けるまで、こ

んな未来があるなんて思ってもみなかった。もっと頭を抱えるような難題なら、行きたく

もないところに行かなくていいのに。

「・・・・・・そうだよね・・・・・・」

 そうだよね、と真奈美はまた言った。

「私みたいな子、隼人お兄ちゃんが見てくれるわけないんだよ。なのに、一人で舞い上が

っちゃってバカみたいだよね。結婚なんて、そんなことあるわけないのに何を浮かれてる

んだろ」

 真奈美は無理に笑顔を作って、自虐的な言葉を並べていく。悲しみにやられてしまわな

いように必死で自分を繋ぎとめてるようで、聞いてるのが痛かった。

 真奈美、と隼人は言った。

「もういいよ」

 そう言うと、真奈美の連続的な言葉は遮断された。

 湧き起こる感情に耐えきれず、その場に座り込んで泣き出してしまった。

 こんな純粋な妹を裏切った自分が憎らしい。これが他人だったら殴ってやりたい。

 只でさえ傷で痛む胸元に、真奈美の鳴き声がズキズキと入り込んできた。


          ☆


 それから一ヶ月が過ぎた。季節はもうすぐ冬に入ろうとしている。

 隼人は病院を退院し、傷の痛みも無理に動かさなければ目立たなくなっていた。

 ただ、もう一方の痛みは回復の見込みも感じていなかった。


「隼人お兄ちゃん、こんばんは。

 今日は大学で3つ講義があって退屈ったらなかったよ。

 でも、その後で友達と食べたパルフェが美味しかったから御破算。知ってる? パルフ

ェ。知らなかったら、今度食べにでも行こうよ」


 真奈美からのメールだった。

 彼女からのメールは2日に1通は必ず届く。病院でのあんな一件があってからも、それ

は変わらなかった。お互いの家や会社の事がバックにあるからか、それでも自分を想って

くれているからなのかは分からない。

 分かるとしたら、これまでと同じ心理状態で自分へのメールを打ってはいないだろうと

いうことだ。

 あの一件の後も、真奈美は毎日のように病院へお見舞いに来ていた。

 本当は来たくはなかったんだと思う。近い将来に結婚する相手のお見舞いに来ないのは

おかしい、という世間的な目を考えてのことだ。

 病室で彼女はそれまでと違わぬ態度に終始していた。無理をさせているのは分かった。

彼女は福岡結愛について何一つの質問もしなかった。聞きたいことは山ほどあるはずなの

に、それを心に塞ぎ込んでいた。それを分かってて、何もできない自分は腹立たしいかぎ

りだった。



「おっす、隼人。

 ちょっといきなりなんだけどさ、明日時間つくれないかな。

 実は爺ちゃんと婆ちゃんにいろいろ話を聞こうと思ってるんだ。もしかしたら、私には

言ってないけど福治美月について知ってたりするんじゃないかなって。

 でっ、私だけで聞くのはアレだから隼人にも来て欲しいんだ。

 よかったら、お願いします」


 結愛からのメールだった。

 彼女からのメールも2日に1通は必ず届く。性格からいって、不精なはずなのに小まめ

に連絡をくれていた。

 あの病院での一件で、結愛が福治美月と繋がった。この20年間、ずっと待ち続けてい

た女の子に巡り会うことができた。ずいぶんと外見も内面も変わってはいたけれど、間違

いなく彼女が美月だ。

 どうして、あんなにも違う性格になってしまったのか。

 どうして、彼女は福岡結愛として育ってきたのか。

 隼人にも知りたいところは数知れずあり、その謎を解きたかった。隼人は了解の旨を返

信でメールした。



 翌日、隼人は久しぶりにCBR600RRのバイクを走らせた。力を感じてこそのバイ

クだったが、今日にかぎっては慎重に走らせることを選んだ。休日の道路は平日より混ん

でなく、運転手たちの苛立ちも緩和状態にある。

 隼人の運転は初心者のように固かった。恥ずかしいマークでも貼ってやろうか、という

ぐらいに。傍目には分からずとも、自分には手に取るように分かった。

 覚束ない走りで市場に着くと、入口のところに結愛が待っていた。

 彼女の家まで案内されると、市場から10分弱歩いたところにある一軒家だった。修理

や増設のあまり施されていない、昔ながら趣のある家で感慨があった。生まれた時から都

市部の高層マンションで過ごしてきた隼人には、こういった類の一軒家に対する憧れは少

なからずあった。

 家の中へと通されると、外観から想像できた通りの日本家屋があった。古くさいという

より、伝統があるという表現が的確だった。

 結愛の後ろを着いていくと、一室の前で彼女は立ち止まった。

「いい?」

 そう訊かれると、隼人は一つ息をついて頷いた。

 なんだか恋人の家に挨拶に来たような緊張感だが、あながち不正解とも言いがたい。伊

崎隼人は福岡結愛に気持ちがあり、彼女も隼人に気持ちを持っている。そして、福治美月

としても隼人と20年も前に想いを通じ合っていた。

 それに、この一室にいるであろう結愛のお爺さんとお婆さんも同じだった。ここに来る

までに結愛に聞かされた話によると、彼女から2人には今日の朝に「話したい事がある」

と伝えたようで、その時に「人を呼んでるんだ」とも伝え、それが男だと聞くと変に質問

攻めにあったらしい。そういう話じゃないからと伝えると、2人はようやく落ち着いてく

れたそうだ。それでも、手塩に掛けて育ててきた娘が初めて異性を家に呼んだことに緊張

しているらしい。

「開けるよ」

 そう目の前の障子を引くと、結愛の親代わりの福岡宗一郎と福岡節子がいた。

 畳部屋の和室には使い込んである艶の放った木製のテーブルが置かれ、2人の座ってい

る後ろには掛け物や陶器などが飾られている。

 宗一郎に「どうぞ」と言われると、結愛がテーブルを挟んで対面に座った。濃い紫を出

した座布団にあぐらを組んでいたので、隼人も同じように座った。

「初めまして、伊崎隼人といいます」

 そう軽く頭を下げると、対面の2人も同じく自己紹介をした。本当に恋人の家に挨拶に

来たような感覚がする。でも、それは違う。錯覚の空気を散らすように結愛が本題に口を

入れる。

「でっ、話なんだけどさ。前に言ったように、私、昔の記憶がちょっと戻ったのね」

 その事については、結愛が記憶が戻って間もなくに伝えてあった。

 この家に福岡結愛として拾ってもらう前、施設で自分が誰かも分からずに育てられる前、

福治美月として生きた少しの時間。

「私自身、まさかこんなに時が経ってからの事で戸惑ってるところもあって。その記憶も

小さい頃のだからハッキリとしてないんだけど、唯一鮮明に思い出せるのがここにいる隼

人のことなんだ。よくお互いの家に行って、2人で遊んでたのは昨日のことのように分か

る。だから、それ以外のことを爺ちゃんと婆ちゃんは知らないかなって思って」

 結愛は幼少の記憶が戻ったが、そのほとんどが隼人との記憶だった。それはあくまで全

体の断片的なものでしかなく、全ての過去を取り戻すのは散らばったピースを集めながら

やるパズルのようだった。

 隼人はそれよりかは記憶を留めてあり、その差分は彼女に伝えた。結愛には確かに両親

はいたし、裏のない恵まれた一家だった印象がある。ただ両親の顔や声までは憶えてなく、

それは何故あの一家が壊れてしまったのかという最も大事な部分も同じだった。

 結愛はいつからか隼人の前に現れなくなった。どうしたんだろうかという疑問は当然あ

ったけれど、それを両親に聞くことはしなかった。子供ながらに美月は長い時間ここに戻

って来ないだろう、という根拠のない思いが宿っていたから。両親に訊ねることで、美月

が二度とここには来ないと聞かされるのを危惧していた。美月はまた自分の前に来る、2

人でまた笑い合える日が来る、そう信じていたかった。だから、こうなるまで美月との事

は誰にも話さずに胸の内に閉まってきた。

「そうだねぇ、力になってあげたいのは山々なんだけれどね。私らは本当に結愛がここに

来る前のことは知らないんだよ」

 宗一郎が言い、節子がその後に続けた。

「私はアンタのいた施設の先生と仲良しだったんだ。私は昔から子供が好きでねぇ、小さ

い頃の夢は保母さんだったんだよ。だけど、早いうちにお爺さんと結ばれて、ここに嫁に

来たんだ。子供は欲しかったけれど、どうも子宝の恵みにはソッポを向かれちゃったみた

いでね。そこで、友達に会いに行くついでって認識で施設に遊びに行ってたんだよ。あそ

こにはいろんなタイプの子がいるけど、特にアンタは目に付いてね。いつも子供たちの輪

から外れたところにポツンといてさ、とっても淋しそうな子だった。気になって聞いてみ

たら、そこに預けられるまでの記憶がないっていうじゃないか。孤独を独りきりで抱え込

んでる姿を見てたらねぇ、居ても立ってもいられなくなって。お爺さんに相談というより、

ほとんどお願いだったね。あの子を引き取ってあげたい、ちゃんとした育て方を受けさせ

てあげたい、って。それでアンタはここに来たんだよ、おかげで優しい子に育ってくれた。

ちょっと短気なのは玉にきずだけど、そのぐらい構いやしないさ。元気に育ってくれれば、

親はそれだけで嬉しいもんだ」

「・・・・・・婆ちゃん・・・・・・」

 節子の言葉に結愛はいたく感動した。実の娘でもない自分を20年弱も家族同然に見て

くれて、そんなにも強い気持ちで育ててくれたことが何よりの幸せだった。

「お前はこの家の子だ、誰が何と言おうとそれに変わりはない」

「・・・・・・爺ちゃん・・・・・・」

 宗一郎の言葉に結愛は溜まっていた感情を出した。ありがとう、と涙を見せて言った。

 隼人は横から彼女を見ていて、素直に羨ましいと思えた。血縁関係のない親子にこれだ

けの絆があるのに、同じ血の流れてる自分の親子関係は何なのだろうかと気分が落ちた。

 これ以上に結愛の過去について2人に探ることは止めにした。彼らは実際にそれを知ら

ないし、この美しい親子関係を壊したくないと思い。



 福岡家を出る頃には夕焼けが色を強く空に広がるキャンバスに打っていた。

 2人は自然に気を遣われ、海に面した公園を歩いていた。いつかに海斗や啓史や佳穂と、

5人で待ち合わせをした公園だった。休日だったが家族連れは帰宅を始め、代わりにとカ

ップルの姿が目立ってきている。自分たちもその中の一組と思われているだろうか、と考

えてみたりもした。

「ごめんな、なんか変な家族ドラマみたいなの見せちゃって」

 いいよ、と隼人は首を小さく振った。

「あんな素敵な家族ドラマならいつまでも見ていたい、理想的だよ」

 隼人の言葉に、結愛は顔をしかめた。

「それに私の事も結局聞けずじまいになっちゃったし」

「いいさ、お爺さんお婆さんも知らないって言ってたから」

「でも、結果何一つも進めずってことだもんなぁ」

「いいよ、無理して知る必要はない」

 そうだ、今があれだけ幸せなのなら苦しいであろう過去を知ることはないのかもしれな

い。

 秋風と冬風をからませたような風が吹く、冷たい感触は確かに把握できた。

「なぁ、隼人の親ってどんな人?」

「どんなって・・・・・・他の一般的な家と変わらないよ。父親は体裁にうるさくて、母

親は割と子供に甘い感じ。兄貴もいるけど、結婚して今は家にはいない」

「結婚してんだ、お兄さん」

「あぁ、政略結婚だけど」

 金持ちの家に生まれてしまった運命、その逃れられない渦に巻き込まれる。そこに自分

も入り込もうとしている、張り巡らされた蟻地獄に。

「・・・・・・隼人も」

 結愛の言葉は隼人の揺らぐ心を捉えた。

「・・・・・・隼人もするの?」

 政略結婚、と言葉の裏に空の単語が添えられていた。

 結愛の顔を見る、少し悲しそうだった。間違いなく、彼女の頭の中には先日の進士真奈

美の姿が映し出されているのだろう。真奈美のことは幼なじみで妹のように可愛がってる

存在、と伝えた。それでも、結愛はあの病室でのやり取りから彼女の想いの矛先を掴んで

いるはずだ。だから、政略結婚という話を隼人へと結びつけずにはいられなかった。

「あぁ、そういう方向で話は進んでる」

 隼人は偽らずに答えた。

 そうか、と結愛は言った。

「・・・・・・もし、私の記憶がなくなるような事がなかったらさ、福治美月と伊崎隼人

はどうなってたのかな。付き合ったり、結婚とかしたりしてたのかな」

 隼人は返答に迷った。そうしたい気はもちろんだったけれど、現実的な話ではなかった

から。現実では福治美月は福岡結愛になり、伊崎隼人には進士真奈美が結婚相手として浮

かんでいる。

 ねぇ、と結愛は言う。

「隼人はその結婚したいの?」

 確信に触れる質問だった。

 当然に返答に迷う、本音だけでどうこうなる問題ではない。真奈美は悪い子じゃない、

きっと彼女と結婚したら幸せな日々になるだろう。それに彼女の想いの強さも知っている、

あんなに想ってくれる子はそうはいない。

 ただ、自分の想いはどうなんだと訊かれたら・・・・・・答えは違うものになる。こん

なに複雑に糸が絡んでいなければ、今すぐにでも結果を出したかった。

 隼人は結愛を見つめる、彼女もこちらを見ている。

「お兄ちゃん」

 後ろから響いた声は声音以上に隼人の心を揺らした。誰の声なのかは瞭然で、すぐに展

開のまずさを察知した。

 後ろを振り向くと、数m先に真奈美の姿があった。過ぎていく夜風のように冷たそうな

瞳でこちらを見ている。それでも、瞳の奥には強い芯があり、グッと歯を噛むように感情

の起伏を堪えていた。

 真奈美は2人の方へ歩き寄ると、結愛に言った。

「あなたのこと、悪いけど調べさせてもらいました。福岡結愛さん、22歳、5歳の時に

引き取られた青果店を営む夫婦の家で育てられる。その後は・・・・・・見させてもらい

ましたが、お世辞にも褒められたような生活は送ってないですよね」

 強めの口調で言う真奈美に、結愛は瞳の色を少し変えた。結愛を調べたのであろう調査

の内容が記された紙を見ながらの言葉に、そんな紙切れで私の何が分かるっていう、私の

上っ面が書いてあるだけだろ、と言いたげに。

 だが、真奈美も怯みはしなかった。ずっと想いを寄せてきた隼人を急に横入りしてきた

人間に奪われるなんて、あり得ない。隼人はこの女に誑かされてるだけなんだ、そう決め

つけたかった。だから、この邪魔な女を隼人から遠ざけないとならない。そんな使命感を

植えつけ、福岡結愛のところへ直接言いに行くところだった。

 それなのに、彼女のところに隼人の姿があった。もうよく分からなくなっていたけれど、

とにかく許せなくなった。隼人に対する怒りはなく、矛先は完全に福岡結愛に向けられて

いた。この女が全ての悪の元、隼人を揺らせて自分を乱す。

「私のお兄ちゃんに手を出さないで!」

 強い言葉だった。絶対に負けない、という気持ちがこもっていた。

「私の?」

「そうよ、私のよ」

 へぇ、と結愛はなぜか余裕たっぷりの様子で言う。迷いはないのか、それとも相手に負

けないようにとそう取り繕っているのか。

「残念、私も隼人が好きなんだ」

 そう言うと、結愛は隼人にキスした。

 突然すぎて、隼人も真奈美も何もすることが出来なかった。不意を打った結愛の一人勝

ち、勝ち負けをつけるならそういう結果だろう。

 キスの時間は結構長かった。離れていた隼人と美月の想いを埋めるように。結愛は美月

の想いも携え、2つ分の感情を込めているようだった。隼人は身を任せるのみだった。状

況的にもどう対処していいか分からない。真奈美の顔を一度だけ見た。感情は迷子になっ

ていて、今にも泣き出しそうだった。ただ結愛の唇は柔らかくて、そこに触れていられる

時間は気持ちのいいものだった。


          ☆


 その日の夢はいつもと違うものだった。

 スヤスヤと眠りについていると、何度となく強く揺り動かされる。瞳を開けると、息を

切らして汗をかいている美月の姿があった。夜の草地で眠る隼人を懸命に起こし、彼女は

息を整える。

 ハヤト、と細い声で彼女は言う。

「・・・・・・お父さんとお母さんが・・・・・・」

 只ならぬ予感がして、隼人は身を起こす。

 どうしたの、と美月に問い掛ける。

「・・・・・・お父さんとお母さんがいないよぉ・・・・・・」

 ハヤトぉ、と彼女は瞳に涙を溜めながら言った。

 どうしていないの、と美月に問い掛ける。

 分かんないよぉ、と彼女はベソをかいて言った。

 不安に暮れる彼女を慰めないと、と思って隼人は身を寄せた。美月の髪を撫でていく、

彼女は隼人にしがみついている。

 大丈夫だよ、僕がいるから。

 福治美月を守る小さな戦士は彼女を包み続けた。

 同時に新たなる決意を胸に宿す。

 この先、何が起ころうとも美月は自分が守っていくと。



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