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第4話



 瞳を開くと、それまで起きてたかのように眠気は消え去っていた。眠りが浅かったのか、

深すぎたのか、睡眠の余韻は全くなかった。

 ただ起き上がりはせず、そのままベッドで寝転がったままで時間を過ごす。やる事がな

かったわけじゃない、考える事は山のようにあった。

 昨日、港で福岡結愛が打ち明けてくれた過去の出来事。


「私は両親のことを何も知らないんだ」

 それが初めの言葉で、全てを要約した一言だった。

「両親の存在も分からないし、本当に親がいたのかどうかの保障もない」

 悲しい瞳をしていた。そこに、彼女の過去への感情が投影されているようだった。

「当たり前だけど私に親はいる、でもそれがどこの誰かは全然知らないんだ」

「お爺ちゃんやお婆ちゃんから、何か話を聞かされたことはないの?」

 彼女は首を横に振る。

「ないんだ、爺ちゃんと婆ちゃんも何も知らない」

 隼人の瞳が鋭くなる、彼女の言葉の意味が分からず。何も知らない、一体どういうこと

なのか全く理解できなかった。

「なんで? なんで、お爺ちゃんとお婆ちゃんが何も知らないんだよ」

 彼らにとっては子供にあたるわけだろう、なのに何故。

 その考えが見当違いであることは、すぐに分からされることになる。

 彼女は隼人の方を向く、そして「あぁ」と一つ入れた。

「違うんだよ、あの爺ちゃんと婆ちゃんは本物の私の爺ちゃんと婆ちゃんじゃないんだ」

「えっ」

 驚いた、同時に彼女の周囲に起こってる事柄をいろいろと試行錯誤する。そのどれも正

解に触れそうな気はせず、彼女の言葉を待つしかなかった。

「みなしごなんだよ、私」

 言葉が出なかった。これまで、直接耳にしたことのない言葉だった。

 どういう言葉を返せばいいのか迷ったというより、何も言葉が出てこなかった。

 結愛はこちらを向き、フッと清らかに微笑んだ。そんな顔しないで、いつもの隼人でい

て、そう言ってるようだった。

「物心ついた時には、もう私のところに親はいなかった。私は施設にいたんだ、私と同じ

ような境遇の子たちと一緒に。施設の職員さんにも聞いたことあるけど、あの人たちも私

の親のことは知らなかった」

「・・・・・・そうか」

 隼人は特別といって何を言うこともしなかった。この場でどういう言葉を言えば適切な

のか浮かばなかったし、こうやって黙っている空気の方がかえって馴染んでるように思え

た。

 そのまま時間が流れてく、でも重いものだとは感じなかった。ゆらゆら、ゆらゆら、漂

う波に身を委ねる。

「なぁ」

 どのぐらい経った頃だろうか、結愛の方が先に言葉を発した。

「何?」

「何か言えよ、気になるだろ」

「気になる?」

「あぁ、どういうふうに思ってんのかなって」

 あぁ、と言って隼人は考えた。どういうふうに思ったのだろう、自分は結愛のことを。

 考える、そしてありのままを伝える。

「分からない、どう思えばいいんだろうって思ったまま答えが出なかった」

「なんだよ、それ」

 彼女は息をつくように笑った。呆れたのだろうか、その逆なのか。

「ちなみに、正解は?」

「んっ」

「どう思うのが正解だったのかな」

 今度は結愛が考える。どう思ってもらいたかったんだろう、隼人に。

「正解かもしれない、隼人のが」

「・・・・・・どういうこと?」

「同情なんかされたくない、そんなのこれまで数えきれないぐらいされてうんざりしてる

し。でも、無神経なぐらいにスルーされるのも、それはそれで嫌だったりするし。表には

出さないけど、心の中ではそれなりに考えてくれたりするのがいいのかもしれない」

 そう言って、彼女はまた笑った。その瞳が不相応に悲しげだったのが印象的だった。


 あのとき、君の悲しげな姿に福治美月が重なった。

 どうして、まだ出会って1週間、5回しか会ってない男にあんな苦しいであろう過去を

話してくれたのだろう。

 自分に置き換えてみる、きっと話したりはしないだろう。自分に信用を置いてくれてい

る、それだけでは語りきれないものがあると思った。もっと、何か運命的なものが彼女と

はあるような気がしてならなかった。


          ☆


 シャワーで汗を流してから、リビングに行くと両親の姿があった。

「おはよう、隼人」

「あぁ、おはよう」

 母親の悦子はすぐに部屋を後にする、少しして洗濯機のまわる音が聞こえ出した。父親

の一之介は会社へ出掛ける準備をしている、隼人はダイニングのテーブルの席につく。

 テレビの電源をつけ、ニュースを眺めてる。画面では女性キャスターが天気予報を伝え

ている、今日は一日中の晴れらしい。

「隼人」

 一之介からだ、隼人は言葉なしに顔だけを向ける。

「今日の夜、時間を空けておきなさい」

「何か、あるの?」

 今日は何かあっただろうか、記念日などの類は思いつかない。

「進士さんと食事をすることになった。家族全員でだ。お前のこともあるしな、ちゃんと

時間通りに来るようにな」

 お前のこと、自分と真奈美とのことか。

 家族全員の出席する食事会で、2人のことについて話でもするんだろう。まるで、もう

何もかもが正式に決定されているかのように。

 こっちはまだ何も返答していないのに、こうやってつつがなく進行させていくんだな。

しまいには、このまま結婚まで親の主導で持っていかされるんじゃないか。

 そう卑屈になれるぐらい、先行きは雲って見えた。


 家を早めに出掛ける、自分の家がなんとなく居心地の悪い空間になってきていた。親が

嫌いなわけじゃない、こういう展開になることも察してはいた。

 ただ現実にそれが起こると、筋書き通りに感情は動いてくれなかった。


「隼人お兄ちゃん、おはよう。今日のこと、聞いたかな。

 なんだか、私たちの知らないところで話が進められてるような感じだね。なんか、子供

の将来がっていうより、会社の将来がっていう気がしてくる。

 そう考えてると、どんどん自分が嫌な人間に思えてくるの。周りを冷観してるようにし

て、自分にそうしてるの。実の親に対して、そんなことしか思いつかない自分に。

 分かってるの、子供のために会社を良くしようとしてくれてるんだよね。

 あっ・・・・・・また、卑屈なメールになってる。ごめん、精神的にまだうまく整理で

きてないっぽい。私はホントに不器用だね、整理整頓もちゃんと出来ないんだから。

 誰かに言いたいけど誰にも言えない、聞いてもらいたい」


 進士真奈美からのメールが来ていた。

 隼人と同じように彼女も迷っている、誰にも打ち明けずにいる。自分のせいじゃないけ

れど、そこに関わっている身としてそんな気にすらなる。きっと彼女も隼人に対し、同じ

ことを思ってしまっているのだろう。

 CBR600RRのバイクに跨ると、隼人は返信のメールを打ち送信する。そして、迷

う心内を振り払うようにバイクを飛ばした。


「真奈美、おはよう。今日のことは、さっき親から聞いたよ。

 多分、今後もこうやっていろいろ決まってくんだろうな。諦められれば簡単になるんだ

ろうけど、そうもいきそうにない。下手に足掻いては何ってことも出来ずに流れてくんだ

ろう。

 真奈美は全部を背負いこまなくていい、誰にも言えないなら俺に言ってくれ。遠慮はい

らないよ、これでも一応兄貴代わりでもあるわけだし。吐き出したいだけぶちまけていい、

真奈美が独りになることはない」


 今の瞬間はこのことは忘れよう、夜になれば否応にも振り戻されるんだし。

 現実は変わらない、変えなければいつまでもしつこく付きまとってくる。隼人にはそれ

をする選択はない、だから現実はそのままで自分の側にあるだけだ。

 なら、せめて一時的にでもどこかに置いておいてもいいだろう。彼女との楽しくなるで

あろう時間を時化たものにはしたくない。



 待ち合わせたのは港じゃなく、5分ほどの距離にある公園だった。木々は無数に各所に

埋められてあり、常勤の清掃員もいるほど自然には気を遣われている。夏場には新緑に生

い茂り、清々しい気持ちはこの上ないものだ。しかし、対称的にこの季節になると葉は枯

れ落ちて、裸になった木々が可哀相に見える。

 奥まで歩いていくと、海に面しているので夜はカップルの溜まり場のようになる。彼ら

彼女らはここへ来ては、暗闇の中の海を見て綺麗だのと言い合う。それは不正解だ。よく

見てみれば、ここだって色は濁りがあるし、ゴミも浮いている。あの港から然程の距離が

ないところがそんなに綺麗であるはずもない。

 昼間の公園には戯れるように遊ぶ家族連れ、日向ぼっこをするようにベンチに座るお年

寄りが多く見られた。休日なので、もっと時間が経ってくれば若者の姿も見受けられるよ

うになってくるだろう。

 隼人は一番乗りだった、早めに家を出たのだから誰も来ていないのも当然といえた。左

腕の時計を見てみる、午前の9時44分。

 10時まではまだ時間があるが、特にやる事もなかった。

 辺りを見渡してみる、ベンチの一つに腰掛ける老夫婦の姿が瞳に残った。何てことない

会話で微笑み合っている、その姿が印象的だった。自分もあんなふうになれるのだろうか、

そう思った。それは誰となのだろうか・・・・・・美月となれるだろうか、そう思った。

「おっす、隼人」

 振り向くと、福岡結愛がいた。

「あぁ、早いね」

 そっちの方がだろ、そう言いたげな顔を彼女はした。

「友達呼んだけどさ、向こうの方が早く着いたら知らないもん同士で落ち着かないんじゃ

ないかって思って」

 あぁ、確かに。

「隼人もそう?」

「あぁ、まぁそうだね」

 本当は違ったけど、そういうことにしておいた。おかしな見栄を張る、そんな自分に隼

人は笑いそうになる。

 昨日、帰り際に隼人と結愛は初めて港以外で会う約束をした。口にしたのは隼人で、結

愛もすぐにOKと了承した。今日が彼女の青果店の休業日であったため、日にちは今日と

いうことに決まる。

 折角だから友達も呼ぼうと言ったのは結愛の方だった。2人で待ち合わせるのが恥ずか

しかったのかは分からないが、こっちを警戒してるということじゃないのは分かっていた。

 隼人は海斗と啓史を呼び、結愛も友人を呼んだようだ。女の子と遊ぶと言うと彼らはあ

っさりと掛かり、男の子と遊ぶと言うと向こうもあっさりと掛かったらしい。

 10時までに海斗と啓史が来た。休日の朝ということもあり、まだ眠気が残ってるよう

に見える。

「結愛は? 週一の休みなのに、朝からで大丈夫だった?」

「うん。休みって言ってもさ、体が慣れてるせいで結構起きちゃうんだよね。さすがに5

時半ってことはないけど、7時とか8時には自然に。そんな時間に起きてもやることない

し、かえって助かるよ」

 そうなんだ、と返すと後ろから身を引かれる。

「なぁ、あの子、見た憶えがあるんだけど」

 引いたのは海斗で、耳打ちで小さく言われた。

 隼人は隠すことはせず、1週間前に市場でぶつかった女の子だと伝える。

「うっそ、マジ!?」

 海斗のリアクションは大きめで、それは啓史や結愛にも届いてしまった。

「なに、なに、なに」

 そう啓史が近寄る。結愛もこちらを気にしている。

「いやぁ、まさかあの時の子だったとはね」

 そう海斗が言うと、結愛は全て納得したようだった。納得できない啓史に海斗が説明す

ると、彼も同じようなリアクションをした。

「あんなところから繋がりがあるんだねぇ。怪我とかしませんでしたか、みたいに近づい

てってナンパしたとか?」

「しねぇよ、ナンパなんか」

 隼人が言う。

「されても無視するし、そんなもん」

 結愛が言う。

「ナンパなんかする奴の気が知れねぇよ」

 隼人が言う。

「そうそう、あんなの格好悪いったらねぇし」

 結愛が言う。

 海斗はフフッと微笑む、この2人は似た者同士だとすぐに分かれた。

「ところで、遅いね」

 結愛の方の友達を差して言う、午前の10時8分。

「ごめん、よく遅刻する子なんだよね。時間にルーズっていうより、髪型がきまらないと

か、洋服がきまらないとか、優柔不断なんだ」

「ごめ〜んっ」

 後ろから、今まさに話しているらしき女の子が走って来る。厚底のサンダル、耳あて付

きのニットキャップにシックな色遣いのファッションを粧し込み、走ってきた。息遣いは

あまり激しくない、おそらく走り始めたのはそこら辺からだろう。

「何やってんだよ、遅刻すんなって言っただろ」

「ごめ〜ん、髪型がきまらなかったんだもん」

 結愛の言葉のとおりの返答をする女の子に、隼人と海斗は笑いを堪える。

「帽子かぶってんのに髪型もクソもねぇだろうが」

「だってぇ、ニットから出てる前髪の跳ねぐあいが命じゃんか」

「知るか、そんなもん」

 どうやら、この2人はいつもこんな関係なんだろう。懐いてくる女の子と突っぱねる結

愛、対称的だけど本人間では釣り合いが取れてるのだろう。似た者の集まりで釣り合いが

取れている隼人たちとはまた違った形の友情だった。

「あぁっ!」

 急に響いてきた大声に、隼人は思いの外に驚く。

「あぁっ!」

 今度は高く響く大声に、またも驚かされる。

「何で、ここにお前がいんだよ」

 トイレでいなかった啓史は帰って来ると、今来たばかりの女の子にたいそう驚いた様子

を見せている。

「そっちこそ、何でいんのよ」

 女の子の方もたいそう驚いている、何やら顔見知りらしい。

「何? 何? どうしたの」

 海斗が間に入り言うと、2人は気を落ち着けることが出来たようだ。

「何? 知り合いなの?」

 結愛がそう訊くと、女の子は「昨日から」と言った。

 それに疑問が生じないはずがなく、突っこんでいくと2人の関係について話してくれた。

 2人は昨日出会った。そう、今そこにいる女の子は啓史が昨日した万引きの一部始終を

見ていた女の子だった。そんな相手にいきなり翌日に出くわし、驚かないはずがない。

 2人の関係については、もちろん万引きというところだけ外して話された。啓史の落し

物を彼女が拾って声を掛けた、ということになった。

「へぇ、そんな偶然あるんだな」

 他の3人はそんな裏があるとは知りもせず、思いがけない展開を素直に受け入れた。


 5人は近場にある遊園地へと行った。

 代金は割り勘、そうしたのは隼人だった。正直、男側のサラブレッドたちには全員分を

払う余裕があったがそうした。結愛には社長の息子だとか、まだ自分の置かれてる環境に

ついて話してないし、そんなことをしなくてもこうして彼女たちは自分たちのところにい

てくれる。

 だから、かえって自分のことを話して、そっちに目が行かれてしまうのを恐れもした。

結愛は生身の隼人でも近づいてくれたのに、それが壊れるかもしれない気がしたから。

「まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったなぁ」

 ニットから本人的に絶妙なウェーブを流し、息をつく。あぁあ、そう愉快でなさそうに、

横にいる啓史に聞こえるように言ってみる。

「なんだよ、楽しくないなら帰ればいいだろ」

「そういうんじゃないよ、ただ私としては何か新しい出会いがあると思って来たってわけ」

 折角のコーヒーカップなのに2人とも自発的に回転させることもなく、機械的な回転に

身を任せている。他のカップに乗っている3人は楽しそうにしてる、皆でハンドルを回し

まくってる。

「すいませんね、こんな野郎が来ちゃって」

「だから違うって、啓史くんは一切悪くないの」

「じゃあ、俺はどうすりゃいいんだよ」

「どうもしないでいいよ、きっと悪いのは私だから。私が勝手に頭で煌いた想像を働かせ

てただけで、勝手に玉砕くらったの」

 そう溜め息をつく、自分に腹立ってるんだろうが啓史も釈然としない。


 昨日の彼女との一連のことを思い返す。外見の変化はあるが、内面は全く同じだ。

 あの後、彼女に連れて行かれたのはスイーツショップだった。もっと腹に溜まるものを

と言ったが、食事をしたばかりだからと言われてそうした。

 甘い物が大好きらしく、目星をつけたケーキを何個も注文しては口に運んでいく。よく

食事したばかりで入るなと思った、これは別腹だからと言われても男には訳が分からない。

別の腹だって要は腹なんだろ、と堪らなく思う。

 そんなふうに思いながら、彼女が美味しそうに食べる姿を目にしていた。

「ねぇ、君は食べなくてもいいの?」

「あぁ、いらないよ」

 啓史の前には淋しそうにブレンドコーヒーが一つあるだけだった。

 彼女の前にはお姫様の休日のようにミルクティーと華やかな色とりどりのスイーツが並

んでいる。

 ここまで露骨なほど差があると、奢ってもらう側としてもさすがに気が引ける部分もあ

る。

「私だけ食べてるの変じゃん。周りの目もあるし、一つぐらい食べてくんない?」

 そう言い、彼女はテーブルに置かれたケーキから一つを差し出す。

「気にしないでいいから、そんな気分じゃないんだ」

 啓史は視線を窓外に向ける。

 なんだよ、と女の子は息をついたがよくよく考えれば尤もだった。人生で初めて万引き

したばかりだ、心持ちが定まってないんだろう。

「美味しかったぁ、ごちそうさま〜」

 店を出ると、さっぱりとした笑顔でお礼の言葉を言われる。

 それからもしばらくは歩きながら、彼女のどうでもいいような話を聞かされた。名前は

秋井佳穂、同い年だが普段はOLとして事務仕事をしている。OLといっても、煌びやか

なものじゃなく唐辛子を扱う錆びれた小さな会社らしい。佳穂以外の社員は全員が既婚、

何の感情も生まれはしない退屈な日々。只でさえ面白味もないデスクワークなのに、環境

にさえ恵まれていない。

 そんな愚痴がほとんどの話を聞かされ、啓史はなんとなくで聞いていた。まださっきの

自分の行動に体が打つ波が終わっておらず、細波程度だが揺れていた。やってはいけない

事をしてしまった罪悪感が2割、よく分からない手応えが8割を占めている。

「ねぇねぇ、聞いてんの?」

 こっちの心持ちなど無視するよう、能天気に彼女は言う。

 さっきの話だと、彼女も何度となく万引きをしているのだろう。なら、こっちの気持ち

も察してくれ。それとも、もう感覚が麻痺してしまっているのか。

「私、こっちの道なんなんだけど、君はどっち?」

 気づけば、2人は大通りまで出ていた。啓史は家に帰ろうと決めた、今は何も考えずに

ゆっくりしたい。

「俺はこっち、家に帰るよ」

 それは彼女の示している行き先とは別の方角だった。

「そうか・・・・・・じゃあ、ここでさよならだね」

 あぁ、とだけ言うと佳穂はジャンパーのポケットから携帯を差し出す。

「これ、君のアドレスを入力してくんない?」

「アドレス?」

「うん、こんなふうに会ったのも何かの縁だし。今日だけで終わらせたくないんだ」

 啓史はその言葉にこうべを垂らし、受け取った携帯にアドレスを打って返した。

「ちょっと、名前ぐらい打ってよ」

 強めに携帯を突き返され、名前を打つ。

「これ、どう読むの?」

「ミズシタケイジ」

「ケイジくんか、分かった」

 そう彼女はハニかむと、バイバイと手を振りながら姿を小さくしていった。


「いやぁさ、まさかだよね」

 アトラクションもいくつか回り、空腹になったので昼食を摂ることになった。売店で適

当に見繕い、屋外に点在してるテーブルで食べた。席は自然と隼人・海斗・結愛、啓史・

佳穂という分かれ方になっている。

「何が?」

「何がって、こうやって啓史くんとまた会ってるってことだよ。昨日あんなふうに会った

のに、今日こんなふうに再会するなんて凄くない? ホント、私たちって何か運命みたい

なものがあるんだよ」

 秋井佳穂の口調は出会って2日目の異性に対するものとしては随分とフランクなものだ

った。

 思えば、昨日の初対面の時点で彼女は優にそういえたが。

「運命、ねぇ・・・・・・」

「そうだって、絶対。こんな確率、滅多にないんだから。朝会ったとき、驚いたでしょ? 

その驚いた分がこの運命なんだよ」

 佳穂は口を噤み、瞳を輝かせている。おそらく、こういった運命だとかを信じるロマン

チストなのだろう。

「一つ、聞いていい?」

「うん、何かな」

「昨日、どうして俺の後を着いて来たの?」

 冷静になれば、万引きをするような男の後ろをつけ、自ら声を掛けるなんて普通じゃな

い。明け透けな性格としても、危険性めいたものを感じたりはしないんだろうか。相手が

啓史だったからいいが、もしかしたらという可能性も充分にありうる。

「うぅん・・・・・・よく分かんないんだけど、この人はきっと良い人だって直感で思っ

たの。良い洋服着てるし、真面目一貫には見えないけど万引きとかの類はしそうにない。

なのにしてるって事は、しなきゃいけない理由があった。多分、理由はどうにもならない

葛藤をおさえきれなくて。その悩みが何かは分からないけど、そこまで追い詰められるよ

うな事が起こってた。だからね、単純明快に言うと君に興味が湧いたの。たどたどしい万

引きの啓史くんを見てて、心がくすぐられたんだ。気づいたら、もう啓史くんを追ってた。

君が走れば私も走って、君が止まったら私も止まる。啓史くんはかなり動揺してたから、

君のバッグから漫画を取るのは簡単だったんだ。あとは・・・・・・昨日のまんま。ちょ

っと長くなっちゃったけど、複雑に考えないで。私は案外普通に考えてやった事だから、

ねっ」

 この話はここで終わり、と線を引かれる。今は今、昨日は昨日、だから今日この時間を

楽しもう、と言いたいように。

「ねぇ、何か違う話してよ」

「違う話、ねぇ・・・・・・」

「何かあるでしょ、私にも興味持ってよ」

 そう立ち上がり、クルッと一回転してみせる。

「そういう服、着るんだね」

 佳穂の今どきのファッションを指して言う。昨日のジャンパー姿の彼女と比べれば、別

人と言いたいぐらいの気の遣い様だ。

「あぁ、似合ってるでしょ?」

 ちょっとしたポージングに合わせ、次の言葉を期待するように言う。

「うん、かわいいね」

 彼女の期待してるであろう言葉を言う。

「ホント? よかったぁ、昨日ずっと鏡とにらめっこしながら選んだんだよねぇ」

 どうやら、期待通りだったらしい。

「どっちが本当の君?」

 昨日と今日、という意味を込めて。

「どっち、って・・・・・・どっちも、っちゃあどっちもだし。普段、仕事では制服があ

るし、会社の人たちに女を見せる必要もないから気合い湧かないんだよね。プライベート

ではオフってるから、もっぱら昨日みたいな感じ。学生時代のお金ない頃から、結愛も私

もスカジャンにジーンズっていうのが常で。仕事はじめてからは好きな洋服買えるからこ

ういうのも買って、今日みたいな日に「待ってました!」って着るの」

 ふぅん、と啓史はもう一方のテーブルに視線を向ける。

「結愛ちゃんはこういう日もスカジャンにジーンズなんだね」

「あぁ、結愛はずっとあの感じだよ。あの子、青果店やってるけど正直そんな儲かるもの

でもないし。お爺ちゃんお婆ちゃんと3人で住んでるから、あんまり贅沢とかしないんだ

よね。あと何年もすれば結愛がお店をやるようになるんだろうし、その後はお爺ちゃんお

婆ちゃんの面倒もみていかないといけないし。今からお金貯めてるみたい、ホント孝行娘

だよ」

「・・・・・・そうなんだ」

 啓史は息をつく、そんな裏があるとは思ってなかった。

「ああいう格好してるし、言葉もきつめだから誤解されやすいんだけどね。本当はすごく

優しい子なの、周りのことをよく考えてくれる」

 人は見た目で判断してはいけない、確かにその通りだった。

 

「しかしなぁ、あの市場で怒声吐かれたときは怖い女だなって思ってたんだけどねぇ」

 最初の隼人と結愛がぶつかった時のことを海斗は言う。

 3人のいるテーブルはすっかり和んでいて、結愛も苦笑いを浮かべた。

「もしかして、元ヤンとか?」

 身を乗り出して聞く海斗に笑みを見せながら彼女は首を振る。

「でも、絶対に近いものはあったでしょう。じゃないと、あんな突発的に「どこ見て歩い

てんだ、てめぇ!」なんて出ないでしょ」

 海斗は結愛のマネをして言うと、彼女はお手上げの様子だった。

「・・・・・・まぁ、ちょっとね」

 うそぶくことを諦め、身をすくませながら言う。

 やっぱりね、と正解に手を叩く海斗のように隼人も驚きはしなかった。彼女が昔に悪か

ったであろうことは容易に想像がつく、身なりや言動から。逆に、全く悪くなんかないと

か言われた方が嘘っぱちだと思うだろう。

「まぁ、今はちゃんとやってるから」

 そう、今の彼女はしっかりと毎日を過ごしている。以前の彼女がどうだったかは分から

ないが、今はお爺ちゃんお婆ちゃんと店を切り盛りする一般的な女の子だ。

「中卒で実家の手伝いでしょ、大したもんだよ。俺らみたいにのうのうと暮らしてる奴ら

と比べたら結愛ちゃんは鏡だよ」

 確かにそうだ、隼人たちのように馴れ合いで学生をやっている人間とでは大違いだ。そ

れなのに、日々を献身的に過ごしてる彼女の方が人生に余裕というものを持っていない。

頑張って苦しんでる人間に世界は案外に冷たい。そんな世界だから頑張りたくなくなる、

隼人たちのような人間が出てしまう。

「みんなは大学生なんでしょ、どこの大学に行ってんの?」

 今まで触れてない話題だった。触れてないというより、あえて触れてこなかった。その

話になりそうになると、隼人は逃げ道を探すように別の話へと持っていったから。

 それを結愛はあっさりと聞き、海斗もあっさりと答えた。

「マジっ? あそこの大学なの?」

 予想を裏切らず、彼女は声を大きくして驚いていた。隼人たちの通う大学は小学校から

エスカレーター式といっていい私立の一貫校で、そこそこの金持ちでもなければその循環

移動に乗り続けることは難しい。当然に福岡結愛や秋井佳穂にはその昇降に関わることさ

えなく、そんな環境にいる人間に対して劣等感に似たものを抱いてるのは事実だった。

「なんだよ・・・・・・ボンボンか」

 結愛は気を落としたようにイスの背凭れにもたれながら言った。

 隼人に一度視線を向ける、もしかしたらショックを受けてるのかもしれない。

 隼人は何も言わなかった。変に言い訳じみたことをするのは止めた。

「ボンボンったって、そんな嫌な奴らの集まりじゃないよ。まぁ・・・・・・そういう奴

がいるのも否定はしないけど」

 でも俺たちは違う、そう含ませた海斗の言葉だった。

 隼人も同意見だ、そんな奴らを疎ましく思ってきた。それと同じ分、自分にも厭わしさ

を感じた。綺麗事を並べても、結局は自分だってそこに寄っているところはあるから。


          ☆


 夜、隼人はダークブラウンのジャケットを着て傾斜の道を上がっていく。

 傾斜のてっぺんにある伊崎家の御用達の高級イタリアンのレストラン、1週間前に進士

真人と食事した場所で夕食を摂ることになっていた。

 眼下の街を見下ろすと、いつもと変わらぬ景観にスッと胸を撫で下ろす。歪な形状の星

座のように点灯している明かりの中に過去の自分を映してみる。この街には生まれた頃か

らの隼人の軌跡があり、思い出もある。楽しいものもあれば、悲しいものもあり、一つ一

つは今も彼の体の中に組み込まれている。

 何かが変わっていこうとしている、変わってほしくないものが変わろうとしている。そ

の狭間で揺れる自分に答えは出せず、息をついてまた歩き出した。

「おぉ、こっちだ」

 そう小さく手を振ったのは進士真人だった。

 店内には兄の隼風を除く5人の姿がすでにあった。一之介と悦子、進士真奈美、その父

の真人と母の奈津。両親同士は良い顔をしていた。何か一段落終えたようだった。おそら

く、それは隼人と真奈美のことで、まだ当人同士の間では何も決着のついてないことだっ

た。

「兄貴は?」

 何か、何でもいいから第一声としての喋り出しを探し、不在の兄のことを選ぶ。

「まだ仕事が残ってるから遅れて行く、そうだ」

「隼風くんも仕事熱心ですな」

 いえいえ、と一之介は真人の言葉に謙遜する。

 隼人は真奈美に瞳を向ける、こちらを見ていた彼女と瞳が合ったがスッと避けられる。

自然に避けようとしたんだろうが不自然だった。自然にしようと意識してる時点で不自然

として成立していた。

「ほら、真奈美。隼人くんに挨拶ぐらいしなさい」

 奈津に言われ、真奈美はハッとなる。挨拶をするという行為も忘れていたようだ、彼女

の頭の中は思ったよりいっぱいいっぱいらしい。

「・・・・・・こんばんは、お兄ちゃん」

 どこかばつの悪そうな言い方で、それはすぐに指摘された。

「お兄ちゃんじゃないでしょ、もう」

 そう笑い合う大人たちとは別に、真奈美の顔は晴れていなかった。そう言われても困る、

と言いたげな表情になっている。

「まず、その「お兄ちゃん」という呼び方から変えてもらわないとな」

 またそう大人たちは笑い合い、隼人は苦笑いを浮かべ、真奈美も続けた。



 隼人が港に着くまでに雨はポツリポツリと弱く降り始めていた。そういえば、今日は天

気予報を見ていなかった。

 朝の自分に息をつき、隼人は雨粒を受けながら小走りに進む。

 彼女は先に着いていた。傘は閉じ、市場の倉庫の軒下で降り続く雨に目を遣っていた。

声を掛けると、「あぁ」とだけ言った。

 今から会えないか、とメールを送ったのは隼人だった。どうも心内が定まらないまま家

に帰って悶々と過ごすのは嫌だった。

 隼人の送信に、結愛は簡単にOKをしてくれた。おそらく、昨日は彼女の方から呼び出

したからという考慮もあってのことなんだろう。昨日の夜、今日の昼、そしてまた今こう

して2人はいる。よくもそんなに会って飽きないな、と思われるかもしれないが、そうい

う感覚ではなかった。飽きるとか飽きないとか、それとは別の種類の感情の中にいる気が

した。

「どうしたの? 今度は隼人が客にクレームつけられたか」

 結愛が小さく笑うと、隼人も同じくらいに笑う。

「本当のところは? 言ってごらん、何でも」

 そう言いながら、結愛はそこにしゃがんだ。それがよかったのかもしれない、前を向い

ていると彼女のことがさほど感じられなかった。

「・・・・・・君に会いたくなった」

 彼女がこちらを見上げてるのはぼんやり分かったけれど、前を向くことを続けた。

「からかうなよ、ぶっ飛ばすぞ」

 彼女が笑っていたのは声で分かった。

 こちらが返答をしないでいると、結愛が口を開く。

「アレだろ、私に惚れちゃったとか?」

 彼女が照れ隠しで言ったのは分かった。

 惚れちゃった、か・・・・・・隼人は軽く笑った。近からず遠からず、そう思った。

 福治美月という待ち人がいて、進士真奈美という婚約者がいて、隣には今は彼女がいる。

 どうなんだろう、と自分へ問いかける。自分は彼女に惚れてるんだろうか、それとも別

の誰かを想ってるんだろうか、と。

「あいにくだけど・・・・・・気の強い女は好みじゃない」

 隼人が小さく笑うと、結愛も同じくらいに笑う。

「こっちだって、好きでそうなったんじゃないよ。そういう環境で育ったんだからそうい

う人間になる、自然の摂理ってやつだよ。小さい頃から周りには威勢のいい大人たちがい

て、大声を張り上げてるんだ。陰気な引きこもりになる方がよっぽど難しいよ、分かるだ

ろ?」

 確かに、隼人は納得した。

「そちらさんみたいにさ、お金持ちの家に産まれてれば私だってお嬢様になってるんだっ

て。ちゃんとした家で、ちゃんとした教育で、ちゃんとした生活してりゃ、大概そうなる

よ」

 お嬢様の結愛、想像したくもない。はっきり言って、似合わない。似合わない、それで

いい。彼女は今のままが似合う。

 それを言うと、怒られそうな気がしたのでやめておく。

「なんで言わなかったんだよ、金持ちだって。庶民への同情、とか言いやがったらマジ許

さねぇぞ」

「そんなんじゃないよ」

 でも、と隼人は先を続ける。

「全くそうじゃない、って言ったら嘘になると思う」

 なるべく、彼女には言うつもりはなかった。それを言うことで、2人の間に線引きがさ

れてしまうんじゃないかと思ったから。

「ざけんじゃねぇよ」

 結愛の拳が隼人の腿のあたりに入る、言葉と同じぐらいに力は抜いてあった。

「ふざけんな。そんなもん、何も関係ねぇっつうんだよ。お前はたまたま金持ちの家に産

まれただけで、私はたまたまそうじゃなかっただけだろ。私は今の生活で幸せなんだ、そ

れでいいじゃねぇかよ」

 強い言葉だった。芯から出した力強いものだった。私は私、お前はお前、同じ人間だろ。

そうガチガチに固まった芯のある表情で隼人を見ている、視線は外せなかった。

「・・・・・・俺、結婚させられそうなんだ」

 息をつき、隼人は進士真奈美とのことについて話しはじめた。


          ☆


 その日の夢も、いつもと違うものだった。

 原色の歪なキャンバスを張り合わせた空間、不格好なようでまとまりもある。分かる人

には分かりそうな芸術、専門家には目を引くものなのだろう。

 当然のごとく、隼人には分かりはしない。目がチカチカする、居心地の悪い場所にしか

ならない。こんなところに長時間いたら、だんだんと気が触れていきそうだ。心が蝕まれ

るように侵され、イライラが体を締めつけていきそうだ。

 彼女は隼人から数m先のところで後ろに凭れ掛かったまま瞳を閉じていた。凭れるとこ

ろは何もない、なのに彼女は後ろに倒れることがない。空気に支えられてるように見える、

見えるだけなんだろう。

 後々で考えてみれば、夢だから何でもアリということだ。ただ、この瞬間では隼人には

これが夢であることは分かっていない。なら、この現象は不思議で仕方ないことなのだろ

う。

 だが、彼はそれを不思議だとは思わない。そのことに特に疑問を抱かず、一つずつ彼女

との距離を詰めていく。

 どうして、彼は何も疑おうとはしないのだろうか。現実にこんなことが起こっているの

なら、世界中の学者が仰天して真相を突き止めようとするはずだ。これも冷静になれば簡

単だった、夢の中に現実なんかいらない。

 隼人は隼人、美月は美月、それでいい。それだけでいい、2人には。

 彼女はそこに凭れたまま動かない、人形やロボットのようにピクリとも。息もしていな

い、でも死んではいない。本当に人形かロボットなのだろうか。違う、これは間違いなく

美月だ。

 どうすれば、彼女の瞳は開くのだろう。考える、考えて考える、考えに考えぬく。

 答えは出ない、どれだけの時間を費やしても不可能だった。

 やがて、原色の世界に眩しく光が射し込んでくる。タイムリミット、もうすぐ目覚めの

時だ。



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