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第10話



 瞳を開くと、隼人はしばらく寝たままの姿勢を続けた。この日の朝の冷え込みはこの冬

一番で体は起きることを嫌がっている。

 ただ、体を起こさない理由はそれとは違った。隼人はこれまでに自分に起こった記憶を

昔のものから引き出せるだけ引き出していく。福治美月との思い出、進士真奈美との思い

出、そして福岡結愛との思い出。基本的には思うような人生ではなかったが、彼女たちと

の時間は楽しいものだった。

 壊したくない思い出は山ほどある、それでも決断は迫られている。真奈美か結愛、どち

らかを選択しなければならない。どうしたいかは決まっている、それによって失うものも

分かっている。

 それに変えても守りたいもの、それを守るんだ。


          ☆


 夜、CBR600RRのバイクを走らせて港へ向かった。

 そこで結愛をひろい、徒歩で最寄り駅のレンタサイクルへ向かう。

 スポーツバイクを借りると、2人でゆったりと発車させる。切っていく夜風は寒く、厚

めの上着を着てきたのは正解だったなと思った。

「寒くない?」と後ろを着いてくる結愛に言うと、

「寒いけど大丈夫」と彼女は白い息を出しながら言った。

 誰もいない道路の中央を、曲がりくねったカーブの坂道を駆けていく。土で出来た安定

感のない道を抜け、10mほどのトンネルの先にある森の世界が出迎えてくれる。国境を

越えた子供たちだけの国、大人になりきれない自分たちはそのギリギリのラインにいる。

 今日は結愛がどうしても話したいことがある、と言ってきた。昨日、電話口で泣き続け

ていた彼女の真意が知りたくて隼人も了承した。いつもの場所ではなくて誰もいないとこ

ろがいいと言われ、海斗や啓史とだけ行っているこの森のことを思い出す。3人だけで集

まってる秘密の場所がある、と言うと結愛は「行ってみたい」と言った。

「凄いなぁ、こんなところあるんだ」

「中々こんなところ来ようと思わないからね」

 森に入ると、適当なところで腰を下ろした。ここなら誰に気兼ねする必要もない、夜中

にこんなところに来る人間はザラにしかいない。

「私、ここに来てもよかったの?」

「全然。誰にも教えんじゃねぇぞ、って決まりなんかないし」

「そうか、じゃあ今度は佳穂も連れてきたいな」

「あぁ、いいかも」

 結愛がフッと微笑むと、隼人も続けた。

「でさ、話って何かな」

 うん、と結愛は言う。息をつくと、急に顔は真面目なものになった。

「昨日、結婚相手が私のところに来たよ」

 結婚相手、それが真奈美のことを指してるのはすぐに分かった。

「何しに来たんだ?」

「お金をくれたよ、これから困るでしょって」

 お金、想像できなくはなかったがピンとはこなかった。

「いくら」

「300万円、あんなの初めて目にした」

「どうして、そんな大金を」

「要は私と隼人の手切れ金、ってことだろ」

 それはそうだろうが、真奈美がそんなことをするとは思いがたい。

「そんな、いくら何でも真奈美がそんなことするなんて信じられない」

「多分、親父さんの命令じゃないかな」

 親父、進士真人のことか。

「お嬢ちゃん、親父さんと一緒に来てたんだ。親父さんは車の中にいるだけで、全然何も

話してはいないけど。きっと、金を積んで無理にでも別れさせろって言われたんだろうよ」

 そうだとしても、そっちも俄かに信じがたい。進士真人にも小さい頃から世話になって

いる、彼がそんな汚い真似をするなんて思えない。

「・・・・・・本当にか?」

 あぁ、と結愛は呟く。

 隼人は大きく息をつく、自分のことで裏でそんな行為まで為されてしまっていた。

 隼人、と結愛は言う。

「疑わないで聞いて欲しいことがある」

 彼女の瞳はさっきよりも断然に強いものになっている。

隼人がこうべを垂らすと、結愛は開口した。

「私・・・・・・あの親父さん、知ってるんだ」

 一瞬、理解に悩んだ。何故、結愛が進士真人のことを知ってるのか繋がらなかった。

「どういうこと?」

「あの親父さん・・・・・・私の家にいたんだ」

 分からない、全く画が浮かんでこない。

「火が私の家に立ち上がろうとしてる、そこにいたんだ」

 火、家に立ち上がる、そこに進士真人がいる。繋ぎにくかったが、何か大事のような気

がした。

「ごめん、もっと詳しく話してくれないか」

「・・・・・・20年前、私の、福治美月の家が火事にあったんだ」

 火事・・・・・・初めて耳にすることだった。

「私はその時に記憶が失くなって、そのことについては詳しく知らないんだ。だけど、今

日調べてみたら20年前の記事が見つかった。その火事で一軒家は全焼して、父親が遺体

で発見されたらしい」

 父親、結愛の実の父親はその火事で亡くなったのか。

「あの夜、私は眠れなくて夜中に目が覚めたんだ。そしたら、横で寝てるはずの母親の姿

がなかった。心配で、お母さん、お母さん、って探しに寝室を出たら、様子がおかしかっ

た。その時はまだ3つぐらいだったし、よく分からなかったけど発火して煙が充満しはじ

めてたんだと思う。私は動揺して、2階から降りる階段で立ち尽くしてた。その時、1階

に母親が知らない男といたのが見えたんだ。お母さん、って言ったら、母親は私を見て固

まってた。私をジッと見たままの母親に、玄関にいた男が早くしないとって声を掛けた。

母親が私から遠くなっていった・・・・・・私が憶えてるのはここまでだ」

 その知らない男が進士真人、と言いたいわけか。

 しばし隼人は口篭る、何を発していいのかも分からなかった。秋の夜の気温は低かった

が、森の中にいることでより一層に冷えは感じられる。

「それは、どうして今になって思い出したの?」

「昨日、あの親父さんを見た時に何か降りてきたように思い出したんだ。大瀧との一件で、

隼人とのことだけだけど過去の自分を思い出せた。きっと、福治美月として関わったこと

のある人間に会えば記憶は戻ってくるんだと思う。あの親父さんを瞳にしたことで、あの

親父さんとの過去を思い起こしたんだ」

「何で、福治美月の家に小父さんが」

 しかも、火事の起こってる夜中なんかに。

「分からない・・・・・・だから、隼人にお願いしたいことがある」

「俺に?」

 あぁ、と結愛は言った。


          ☆


 次の夜、隼人と結愛は高級マンションの27階にいた。隼人には慣れたものだが、結愛

にとっては逆だ。こんな上階に訪れる機会なんてなく、地に足が着かないような心持ちに

なる。

「結愛、大丈夫?」

「何がだよ」

「いや、引き返すなら今のうちだと思ってさ」

「どういう意味?」

「正直、この先には結愛が望んだような未来はないかもしれない。一生残るような傷が待

っているかもしれない。そこまでして知るべきことか、もう一度聞いておきたいんだ」

 結愛は隼人を直視したまま考え、言う。

「確かに望まない未来かもしれない、知らなくていい過去かもしれない。聞いてしまった

ことを何度も後悔すると思う。でも、それでいいんだ。このまま、真実に背を向けて暮ら

していく方がよっぽど後悔する。モヤモヤしたままで毎日を過ごしていくことになるし、

そんな状態で爺ちゃん婆ちゃんと一緒にいるのは嫌なんだ。気づいてしまった以上、全て

知らないといけない。私は先に進みたいんだ・・・・・・隼人といる未来に」

 その言葉に、隼人は息をのむ。

 結愛の決意は固かった。分かった、と隼人は納得する。

 息を一つつき、進士家のインターホンを押した。

 玄関を開けたのは真奈美だった。ここに来ることは事前に言ってあったから。

「・・・・・・お兄ちゃん?」

 明らかに不審な瞳をして言った。結愛が同行することは言ってなかったので当然といえ

た。

「悪い、彼女も連れて来た」

「どうして、その人がいるの?」

「どうしても必要なんだ、今日の話に」

 真奈美は結愛に嫉妬の瞳を向ける。こんな顔をする子じゃないのに、と横で隼人は胸を

痛くした。

「どうぞ」

 ぶっきらぼうに真奈美は2人を中に通した。

 通されたリビングは白を基調にした清潔感のあふれる一室だった。こんな部屋で過ごせ

ば、毎日は優雅に清らかに彩られることだろう。真奈美を見ていれば分かる、彼女は本当

に優しくて笑顔のかわいい子だ。それでいて、根っからの妹気質で隼人にはこれでもかと

甘えてくる。一緒に遊んだ時は必ず隼人の側にぴったりと着いてくる。言葉より態度で示

す、それがまたかわいかった。

 そんな純粋な子が自分のような人間に恋心を持ってくれたことは戸惑いもある。

 そんな子をこうさせてしまったことに自分を責めたい気が湧いてきた。

「よかったら、どうぞ」

 リビングのソファに座っていると、真奈美が3人分の紅茶を用意してきた。

 父親の進士真人の帰宅時間を狙ってきたが、まだ帰って来てはいなかった。母親の進士

奈津も買物の買い忘れがあったと家を出ているらしい。

 定まらない空気が流れる、誰も一言も発しない。真奈美はこちらにたまに視線を向ける

だけで、あとは部屋のどこかしらに瞳を向けていた。おそらく、ここに結愛がいなければ

彼女はいくらでも隼人に話し掛けていたことだろう。

 隼人と結愛も何も話そうとはしなかった。これからの話で真奈美や進士家、そして自分

たちがどうなってしまうのか頭の中で巡らせていた。


 先に帰宅したのは真人だった。隼人が来ることは聞いていたが、結愛の存在には少なか

らず驚いた様子だった。

「おじゃましています」

 それに対して、結愛は冷静にそう言った。

 真人は荷物と背広だけを別の部屋へ置いて、リビングへ戻ってくる。

 その間に真奈美が彼の分の紅茶を入れてきた。

「今日はどうしたんだね」

 真人が開口すると、話は始まった。

 結愛は厚くなった封筒を取り出すと、それを真人の方へ差し出した。

「昨日のです。やっぱり、お返しします」

 真奈美から手渡された300万円の入った封筒だった。それが真人によって用意されて

いたものだとこちらが理解してるのを進士側にも伝わった。

 そうか、と真人は息をつく。

「あなたがこれを受け取ってくれれば、とてもスムーズに話は進んだんだけれどね。まぁ、

人の心はそんなに簡単に動くものではないということだね。特に、あなたのように若い子

なら尚更だ」

 小父さん、と隼人が言う。

「どうして、こんなことを」

 そう言うと、真人は隼人を見ながら口を開く。

「そうだね、隼人くんにも申し訳ないことをした。ただ、私も単なる一人の娘の父親だ。

この子のために、真奈美のために出来ることがあるならいくらでもしてあげたい。たとえ

邪道と思われても、それが親の本音なんだよ」

 いつか君も親になれば分かる、というような口調だった。

 真奈美は誰にも視線を合わせず、見慣れてるはずの部屋のどこかしこを視界に入れてい

た。

 真人は封筒を受け取り、結愛へ口を開く。

「君にも申し訳ないことをした。当人の気持ちを無視した行動を許して欲しい。君には理

解できないかもしれないが、きっと君の親がご健在なら理解してもらえると思う。そして、

君が子を持つ親になったとしたら。まぁ、初対面の人間にこんなことを言われても受け入

れられないだろうけれどね」

 その言葉に、結愛は眼光を鋭くさせる。

「・・・・・・初対面じゃありません」

 落ち着いた言葉に、隼人も身を引き締まらせる。

 真人は結愛の言葉に疑問符が点る。

「どこかで会ったことが?」

「ずいぶん前に」

 余計に真人は迷う、迷えど答えは浮かんでこない。

 結愛が決定的な言葉を口にする。

「福治美月、という名前を知りませんか」

 その名前に進士真人の体がピタリと止まった。

「私の本当の名前です」

 真人に瞬間的に様々な思いが巡らされているのであろうことは汲み取れた。置き物のよ

うに動きを停止したまま、時間は流れていく。

 真奈美は父親の明らかな動揺に不信感を抱く。だが、そんなことすら聞けない空気がこ

の一室を取り囲んでいた。

 やがて、真人はゆっくりと視線を結愛へ向けた。

「・・・・・・そうか、君があの時の・・・・・・」

「・・・・・・大きくなった、あの頃の面影は全くない・・・・・・」

 当然だがね、と真人は口角を上げる。

 教えてください、と結愛は言う。

「私には当時の記憶が断片的にしかありません。だから、あの頃に何があったのか。どう

して、私はこうなったのか。あなたなら何か知ってるはずです」

 真人は口篭る、何かをためらうように。

「断片的、とはどの程度に憶えてるのかな」

 そう言うと、結愛は隼人にもした火事の一件を話しはじめた。真人は瞳を閉じて聞き入

れ、真奈美は動揺を隠せなかった。

 そうか、と真人は大きく息をついて言った。

「そこまで知ってるのなら、君には全てを知る権利がある」


 真奈美、と真人は緩やかな顔で言う。

「自分の部屋に行きなさい」

 そう言うと、真奈美は真人を見つめる。何かに怯えたような表情で金縛りにあったよう

に座っている。

 真奈美、と真人がもう一度言っても彼女は動けなかった。

「俺が連れていきます」

 そう言い、隼人が立ち上がった。

 真奈美、と隼人が言うと子犬のような瞳が彼に向けられた。隼人がコクリと頷くと、真

奈美はようやく重い腰を上げた。

 真奈美の肩を抱き、隼人は部屋まで彼女を運ぶ。緊張感から解放されたのか、部屋に入

ると真奈美はペタンとその場に崩れる。

 お兄ちゃん、とまた子犬の瞳が向けられる。

「お父さん・・・・・・何をしたの?」

 細い声を出す真奈美を抱きしめ、頭を撫でる。気分が高揚した時の真奈美の宥め方、最

も特効性のある方法。

「大丈夫だから」

 何度も言ってあげた。彼女の気が落ち着くまで何度も。


 リビングへ戻ると、張り詰めた空気が流れている。真人と結愛はお互いを見ることなく、

隼人の帰りを待っていた。

「真奈美は?」

 真人の言葉に、隼人は

「大丈夫です」

と伝えた。

 隼人がソファに腰掛けると、「さて」と真人が開口した。

「最初に言っておくと、聞かない方がいいかもしれない。全てを知った後、君がどうなっ

てしまうか分からない。もしかしたら・・・・・・私に危害をくわえる事もあるだろう」

 真人の言葉に、隼人も身を構えた。真人が話す真実にはそれほどの重みがある、という

ことになる。

「構いません、覚悟はしてきました」

 結愛は涼しげな顔で言った。それでも、きっとその裏では心臓を必要以上に揺り動かせ

ているはずだ。押し潰されてしまうかもしれない思いを何とか隠している。

 分かった、と真人は言を続けた。

「今から20年前の話になる。当時、私は父親が経営していた進士の会社に入社して駆け

出しの頃だった。まだろくに仕事も出来ないというのに社長の息子ということで周りから

はいやに丁寧に扱われていたよ。自分が望んだわけじゃない扱われ方に仕事における充実

感は損なわれていた」

 きっと隼人くんもそのうち経験するよ、と言った。

「そんな毎日だったが、一つだけ生きがいを会社で感じることができたんだ。私は会社の

受付をしていた女性に恋をした。言ってしまうと、今の妻になる。私はさりげなく彼女に

近づいていき、交流をもつようにした。ただ、彼女の笑顔はその意味を思い描くには悩ま

された。私が社長の息子だということでの営業的なものだとも思えたからね。だから、人

づてに彼女の気持ちを探ってもらった。結果は最高だった。私はすぐに彼女を誘った」

 だが思いもよらない展開が待っていた、と真人は息をついた。

「一緒に食事をしたのだが、そこで決定的なことを言われたんだ。彼女には家族があった

んだ。夫だけでなく、小さな娘までいた。私は大きな溜め息をついた。終わった、と諦め

たんだ。彼女の笑顔は営業もので、受付という立場から仕方なく食事へ来たのだろうと」

 隼人も結愛も真人の話を真剣に聞いていた。それ以外の雑音など意識に入らず、ただ真

人の言葉から様々な想像を繰り返していく。

「しかし、私はその日に女性と一夜を共にした。彼女の方から誘ってきて、私も拒むこと

をしなかった。幸せだった、毎日の喧騒の中にこんな幸福な世界があったんだと感動した」

「異変は次の日に起こった。受付にいる彼女が口元に傷を負っていた。理由を考えるのは

難しくない、彼女の夫がやったことなのだろうとすぐに分かった。話をしたくてまた食事

に誘ったが、彼女は何も言わずに食べることだけを続けた。そして、その日も一夜を共に

したんだ。彼女の方から誘ってきて、私は当然にそれを拒んだ。それでも彼女は譲らなく、

体を重ねたが初めての時にくらべれば幸福感は大してなかった」

「その日の夜中、隣で眠りにつく彼女から言葉を投げ掛けられた。今の夫と別れたい、と

泣き出したんだ。夫とは衝突が絶えずに日々逃げ出したくてたまらなかったらしい。そん

な中で私と知り合い、彼女の決意は固まった。今の生活から抜け、あなたと新しいスター

トを切りたい、と。私は大きく悩んだ。が、奥底にある思いは陰らなかった。私も彼女と

一緒になりたかった。自分の立場だとか、そんなものは関係なく」

 立て続けに話し、真人は息をつく。

 話は最も重要な部分へ足を踏み入れていく。

「夜のうちに彼女は家に帰り、私は彼女を送ったまま車で外に待機していた。夜中に差し

掛かったあたりだったと思う。彼女がこっそりと自宅を抜けて来て、私に向かい頷いた」

 それが合図だった、と真人は言う。

「合図って・・・・・・一体、何の?」

 真人は言葉に少しためらう。隼人と結愛に目を配らせた。

「・・・・・・私は持っていたライターで紙を燃やし、それを彼女の家に捨てた」

 隼人と結愛の瞳が開く。それがどういうことか、話の流れから充分に推測できた。

「分かってるよ、君たちの言いたいことは」

 それでも、と真人は話を続ける。

「それでも、私は彼女との生活を望んだ。燃え盛る炎を眺めながら、これは罪ではない、

これは彼女を救うためだ、と何度も自分に言い聞かせた」

「その時だった。燃えゆく家の中から逃げようとすると、彼女が立ち止まった。どうした

んだと思ったら、先にある階段に子供がいるのが見えたんだ。子供は、お母さん、と炎に

包まれていく中で言っていた。彼女は涙を流しながら立ち竦んでいた。私は動けない彼女

を連れて外へと逃れた」

 結愛の瞳から涙が流れていた。もう、彼女は理解をしていた。

「火は次から次にと移っていき、私たちはそれを家の外から眺めていた。すると、彼女は

導かれるように燃えている自宅の方へ歩き出したんだ。必死に止めに入った私を振り払い、

彼女は家の中へ進んでいった。まさか心中するつもりではないか、と思ったが、彼女は再

び外へと出て来た。体を黒くしながら、同じように黒くなっている子供を抱えていた」

「・・・・・・それって」

 遮るように言った結愛へ向かって、真人は言う。

「あぁ、君のことだよ」

 結愛の話と真人の話が繋がった。

「彼女は娘である君を見殺しにすることが出来なかった。気を失っている君に、ごめんね、

と何度も言っていた」

 結愛の涙は止まることなく止めることもなく流れていた。

「私たちはそのまま車を走らせた。出来るだけ遠くへ、という思いで走り続けた先はとあ

る施設だった。私と彼女が新しいスタートを切る上で、子供は共にいてはならなかったん

だ。私の家柄のことや何より前の夫との関係のあるものは一切を切り離したかった。だか

ら、君を捨てることを選択したんだ」

「でも・・・・・・福治美月が目を覚ましてから全てを話してしまえば」

「確かにそうだ。だが、そこは大丈夫だった。子供は車で移動している時に一度目を覚ま

したんだ。その時、君に障害の兆候があることは分かった。君は何も覚えていなかった。

火事はおろか母親のことも、何もかも」

「じゃあ、彼女が全て覚えていたら」

「そうだな・・・・・・そのまま、駆け落ちでもしたんじゃないかな」


 進士真人の話は終わった。

 そして、結愛に深く頭を下げる。

「本当に申し訳ないことをした」

 結愛の涙は止まっていなかった。同時に、込み上げてくる怒りをグッと抑えていた。殺

してやりたい、自分を捨てた人間を、と思っていた。

 母親とその愛人によって、福治美月の人生はなくなった。捨てられた施設で育てられ、

老夫婦のもとで福岡結愛としての人生が始まった。こんな悪夢のような出来事がなければ、

何事もなく毎日を過ごし、きっと隼人と今でも手を取り合っていたことだろう。

 それを壊された、許せない、そう込み上げる。バロメーターが上がっていき、沸点を振

り切ろうとした時にインターホンが鳴った。

 誰だと思ったが、鍵が自然に開けられた時点でそれが誰であるかは分かった。近づいて

くる足音に、結愛は金縛りにあうように身動きが取れなくなっていた。

「ごめんなさいね、遅くなっちゃって」

 母親の進士奈津が帰って来た。

 おそらく、真人と隼人を視界に入れてから結愛の存在に気づいたことだろう。奈津は結

愛を見つめたまま、固まったようになっていた。

「・・・・・・美月?・・・・・・」

 結愛の体にも電流に似た衝撃が走っていた。体中の熱を奪っていくように流れ、どうに

もならない胸騒ぎに襲われ、やがて霧が晴れるように確かな形を表した。

「・・・・・・お母さん・・・・・・」

 結愛の瞳からまた溢れんばかりの涙が感情とともに込み上げた。


          ☆


 春、その日は雲一つない快晴に恵まれた。この空を通して全ての世界の人たちが海斗と

安佐華恵を祝福しているようだった。もちろん、ここに集まった仲間たちも。

 教会の扉が開かれると、主役の2人が笑顔で出て来る。まるで、今ここに生まれたばか

りのように無垢な顔をしている。そうだ、あの2人はここからまた新しいスタートを切る

んだ。

 そんな彼らの顔を見ながらふと思う。自分にはあんな顔が出来るだろうか、またあんな

風に笑えるだろうか。隣にいる結愛を見てみると、彼女はこの場を無邪気に楽しんでいる

ようだった。それでいい、君はそうしていてくれ。

「おい、隼人」

 海斗に呼び掛けられた。この日の主役は髪型も服装も、見たことのないほどスマートに

決め込んでいた。結婚式の前にその姿を見た時には「気持ち悪ぃな、お前」と言ってやっ

た。

「何をボーッとしてんだよ、めでたい席だぞ」

「違うって。ほら、あんまり華恵さんが素敵だから見とれてたんだよ」

 冗談で言ったのに、隣の結愛に腕をつねられた。痛がっていると、仲間からアハハとバ

カみたいに笑われた。それが嬉しかった。こんなバカみたいな関係、どこまでも続けてい

きたいと思った。

 でも、と結愛が言う。

「華恵さん、ホントに綺麗ですよ」

「ありがとう、結愛さん」

 そうだ、と華恵は持っていたブーケを結愛に手渡した。手渡された結愛はキョトンとし

ている。

「次は結愛さんだから」

 そう言われると、結愛は少し恥ずかしがった。

 それを利用するように、海斗や啓史から隼人は冷やかされる。

「ったく、何で次がお前なんだよ」

 笑いながら啓史が言った。

「しょうがないだろ。お前が中々親の許しをもらえないんだから」

 痛いところを海斗が突いた。

「あぁあ、甘やかされて育てられたのが裏目に出たな」

 そう息をつく啓史に、佳穂は「大丈夫だから」と優しく届ける。


 この関係も今までと同じようにはいかなくなるだろう。

 3人は次期社長という元で、それぞれの家の会社に入っていく。いくつもの大小さまざ

まな壁が待ち構えている。時には投げ出したくなることもあるだろう。ただ、全てが嫌に

なることはない。何かにめげる時には隣を見てみればいい。その人のために頑張れる、ず

っとこの先。

「ねぇ、ちょっと抜けない?」

 海斗と華恵が出席者につかまってる間、少し輪から外れることにした。

 教会は小高いところにあり、普段過ごしている街並みを見渡せる。特にこの日は見晴ら

しもよく、降り注ぐ陽光に身体を温められた。

「隼人、聞いてもいい?」

「んっ」

「今までに何人と付き合った?」

 どうしたの、と隼人が言う。

 一応、と結愛が答える。

「さぁ、2人か3人じゃないかな」

 わざと分かりにくくしてみた。

 へぇ、と結愛はなんとなく答えていた。

「俺もさ、やっぱ美月に会えるまでは純愛貫き通そうとも思ったんだよ。でもさ、俺もそ

んな大した人間じゃなかったってこと」

 ふぅん、と結愛はまたなんとなく答えていた。

「俺も聞いていい?」

「んっ」

「何人と付き合ったか」

 あぁ、と結愛が言う。

 嘘なしね、と隼人が言う。

「1人か2人」

 結愛も隼人と同じように答えた。

「お前もか」

「仕方ないだろ、私は隼人の記憶がなくなってたんだから」

 じゃあ、と隼人は切り出す。

「俺との記憶があったら?」

 結愛は考え込み、嘘のない瞳で隼人に言った。

「待つ。私はきっと貫き通すと思う」

 嬉しかった。心内が暖まる感覚があった。

「嘘なしだからな」

「あぁ・・・・・・そうすると思う」

 陽光が直射で強く身体に当たった。眩しくて一度瞳を閉じた。

 なぁ、と結愛が言った。

「これで・・・・・・よかったんだよな」

 隼人が顔を向けると、彼女の視線が向いていた。


 あの日、2人で進士の家に行った日、全ての紐が解けた。

 進士奈津と結愛は抱き合って泣き、20年ぶりにお互いの存在を確かめた。

「・・・・・・ごめんね、美月・・・・・・」

 奈津は何度もそう言っていた。

 娘を捨てたことを後悔し、胸に刻み、痛みとともに生きてきた。どこでもいい、どこか

で生きていてくれれば。そして、出来たらまた会えることがあれば。

 そう願いながら、進士真人との新しい生活を送ってきた。報いを背負い、それを独りで

抱え込み。

 結愛は奈津を許した。たくさん悩んで、そう決めた。

「それでも、私のお母さんだから」

 結愛はそう言った。たった一人だけの血のつながった肉親、だから。これまで憧れ続け

てきた本物の家族、だから許した。

 無論、それで全てが無くなるわけではない。これからもお互いに嫌なものを抱えながら

付き合っていかなくてはならない。

 そんな思いを携えながら、2人は定期的に会っている。あの頃の、20年前の関係に近

づくには時間が掛かるだろう。

「いつか、お母さんって自然に言えたらいいな」

 結愛はそう言って、フフッと笑みを見せる。


 真奈美と打ち解けるにも時間が掛かりそうだ。

 結愛と真奈美は義理の姉妹ということになる、正直笑えた。こんなに似ていない姉妹、

義理といえどそうはいない。

 しかも、2人で隼人を取り合っていたんだ。姉は妹の目の前で恋先にキスまでしていた。

妹は姉に大金を渡して別れさせようとしていた。冷静に思い起こしてみると、ずいぶんと

おかしな話になった。

 ただ、両者にとっても受け入れないといけない事実だ。真奈美もある程度は納得してく

れている。彼女もあの日、結愛が自分の母親と抱き合いながら泣いていたのを瞳にしてい

た。隼人には部屋にいるように言われたが、泣き声が耳に入ってどうにもできずに部屋を

出ていた。

 涙の理由は、後に隼人からの説明で聞いた。最初は信じられない空想の世界のようにし

か思えなかった。嘘と言ってくれた方がよっぽどよかった。でも、彼女以外の人間がそれ

を現実のものと受け止めていた。だから、彼女も徐々に受け入れようとしていた。

 隼人のことも同じように結愛へと譲るようだ。今はまだ気持ちの整理がつかないから無

理だが、徐々になら。真奈美が隼人に想いを寄せるよりも前から成立していた両想いなら、

と。

「あの子、私といるとどうしても眉間に皺が寄るんだよね」

 どうもお互いに顔を合わせると変にぎこちなくなってしまうらしい。


「あぁ・・・・・・これでよかったんだよ」

 真っすぐな陽光を受け、隼人は無垢になるように笑って見せた。ここから新しいスター

トを切れるように、伊崎隼人と福岡結愛の。

「うん、それならよかった」

 結愛も隼人と同じように笑って見せた。

 彼女には今回の一件で2つの選択肢があった。今まで通りの生活を続けるか進士家の人

間としての生活を始めるか。

 進士真人と奈津は結愛が望むなら一緒に暮らしていきたい、と伝えた。戸籍上はいろい

ろと問題があるから厳しいが同じ屋根の下で生活をするなら、と。今以上の豊かな暮らし

は確証されているし、何より唯一の肉親と家族として彼女が憧れてきた生活が叶う。

 だが、結愛は進士の申し出を断った。

「私には爺ちゃん婆ちゃんがいるから」

 彼女は福岡宗一郎と節子との生活を続けることを選んだ。これまで、決して高くない年

収で豊かではない生活の中でここまで育ててもらった恩があった。その恩を返してあげた

い、少しずつでも親孝行してあげたい。

「なぁ、隼人」

「んっ」

「もう、何も心配しなくていいんだよな」

 あぁ、と隼人は言う。

 隼人と真奈美の結婚はなくなったが、問題は特になかった。隼人と結愛が結ばれること

で、進士家と伊崎家の新たな繋がりにもなる。ややこしくならないように、と伊崎の家族

には結愛のことを打ち明けた。福治家と伊崎家には親交があったので、両親も納得してく

れた。

「もう、心配なんてしなくていい」

「そうか」

 結愛が笑みを見せると、隼人も続けた。

 隼人は結愛の手に手のひらを重ね、キスをする。注ぎ込む陽光の温度が2人の未来を暗

示してくれているように思えた。



本作は今回で最終話となります。

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