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第10話「【まどろみティータイム】」

 シュウたち一家が次に向かったのは、母お目当てのコーヒーカップだった。


 アトラクションの正式名称は【まどろみティータイム】。

〈安楽度〉100%で、〈幻想度〉、〈興奮度〉、〈遊楽度〉はパーセンテージなし。

 身も心も安らかな自殺、というコンセプトに振り切った、究極の安楽死アトラクションといったところか。

 致死時間は約20分。必要なチケットは1枚。


 シュウの乗った観覧車やロシアンルーレット・ドリンクもそうだったが、パンフレットのアトラクション一覧を見ても、どうやら〈安楽度〉が高めのアトラクションは、だいたいチケット一枚で利用できるようだ。



「うーん、カフェにいるみたいな香り」


 母が、大きく空気を吸い込んでそう言った。

 このアトラクションの周りは、紅茶とコーヒーの混じった良い香りで満たされている。

 確かにカフェっぽい。


「このアトラクションはねえ、カップに乗ると、カップの底からあったかい毒液が湧き出してくるんだって。足先から少しずーつ毒液に浸っていって、最終的には、半身浴ができるくらいまでカップの中に液が溜まるらしいの」


 事前にこのアトラクションをチェックしていた母が、そう説明する。


「毒液には睡眠導入作用もあって、あったかい毒液に浸かってるうちに、とろとろ眠たくなってくるんだって。それで、眠ってる間に皮膚から吸収された毒が回って、いっさい苦しい思いをせずに死ねるアトラクション――って、パンフレットに書いてあった。どう? 素敵でしょ?」

「ふーん」


 同意を求める母に対し、おとなしいアトラクションにさして興味のない妹の反応は、いまいち薄い。


「この香りって、カップの中に湧き出てくる、その毒液の香りなの?」

「そうなの! そこがまた素敵でね」


 と、妹の問いに、母ははしゃいだ声で答える。


「毒液のフレーバーは、紅茶とコーヒーから好きなほうを選べるんだって」

「へー。お母さんは、やっぱ紅茶? バリバリ紅茶党だもんね」

「もちろん! でねでね、フレーバーはその二種類だけってわけじゃないの。カップの中に付いてるボタンで、さらにフレーバーの種類を細かく選べるらしくて。だから、紅茶は紅茶でも、それが、ダージリン、アールグレイ、セイロン……って具合に細分化されてるわけ。しかも、茶葉の種類だけじゃなくて、キャラメルとか、生クリームとか、シナモンなんかのトッピングフレーバーもあって……! 

 それに、単に種類の豊富さだけじゃなくてね。下見でここを通ったときから思ってたんだけど、これ、フレーバーのクオリティがすごく高くて。私、感動しちゃった。なんでも、有名な高級紅茶メーカーがフレーバーの開発に関わってるんだって。道理でねって感じ」

「それって、お母さんがたまーに買って、大事に大事に飲んでた紅茶のメーカー?」

「そう、それ。年に一回、誕生日の日に、一缶だけね。診断書が届いた日には、まだけっこうそれが残ってたから、この一週間、毎日飲んで贅沢しちゃった」


 母と妹がそんなことを話している間に、アトラクションは次の客を乗せる準備が整ったようだった。


 カップから毒液を抜いて、死体を降ろして、液に濡れたカップの中を清掃しなければならないこのアトラクションは、一回動かすと、次の客を乗せるまでの準備に時間が掛かるのだ。

 今、ようやく清掃まで終わったようで、係員が「お乗りのお客様はどうぞー」と呼びかけている。


「それじゃ……」


 と、母は、持っていたバッグからチケットを取り出した。

 それから、「あ」と何かに気づいた顔になり、少し迷うように父のほうを見た。


「えっと……。このアトラクション、致死時間が二十分で、けっこう長くなっちゃうんだけど。……あの」

「ああ、大丈夫。二十分くらい、もちろん待ってるって。閉園まではまだ充分時間あるから、心配いらないよ」


 父は、笑顔でそう答えた。


「そう? ありがと」


 母も笑みを返し、「じゃあ、行ってくるね」と、父に背を向けつつ手を振った。

 シュウと妹にも、何度も何度も手を振った。


 シュウは手を振り返しながら、ずっと同じ笑顔を浮かべているのはつらい、と思った。

 写真撮影で、なかなかシャッターが下りないときにも似たつらさだ。


 

 やがて、母は手を振るのをやめ、係員にチケットを切ってもらった。

 そうして、柵の向こう側へと入っていった。


 大円盤の上を、数人の客たちがまばらに動き回る。

 一人、また一人と、カップを選んで乗り込んでいく。

 母も、お気に入りのカップを見つけたらしく、それに乗った。

 乗り込み口は開きっぱなしではなく、開閉式の小さな扉になっていた。

 カップの中に出てくる液が漏れないように、わずかな隙間もなくぴっちりと閉まるのだろう。

 乗り込んだそばから、係員がその扉を閉めにやってくる。


『ボタンを選んで押してくださーい』


 と、係員のアナウンスが聞こえてくる。


『ベースのフレーバーは、今押しておいてくださいねー。アトラクションが動き出すまでに押していないと、ブザーが鳴りまーす。トッピングフレーバーは、動き出してからでも押せますからねー』


 客たちが皆カップに乗り終え、係員が柵の外に出る。


 音楽が流れ出した。

 ゆったりとした明るい音楽。

 同時に、大円盤と、その上に五つある中円盤がゆっくり回転を始めた。

 小円盤は、ほかの遊園地のコーヒーカップでもよくそうなっているように、カップのデザインに合わせたソーサーを模していた。

 いくつかのカップとソーサーが、大円盤、中円盤の回転と独立してくるくる回る。


 ほどなくして、辺りにコーヒーと紅茶の香りが漂い始めた。

 キャラメルや生クリームやシナモンの香りもそこに混じって、アトラクションのそばにいるだけで、シュウは口の中が甘くなりそうだった。

 お菓子の国にいるみたいだ。

 いや。不思議の国のお茶会だろうか。


(このアトラクション、〈幻想度〉はパーセンテージなし、なんだよな)


 そのことに、シュウはふっと引っ掛かりを覚えた。


 この【まどろみティータイム】と同じく「眠りながら死ねる」タイプのアトラクション、【三日月と霧の大観覧車】は、〈幻想度〉が50%だった。霧が出てくる以外はなんの変哲もない、普通の観覧車だった、あのアトラクションが。――あの薄い霧だけで、〈幻想度〉が50%?


 どうもよくわからない。

 こっちの【まどろみティータイム】のほうが、よほど幻想的な雰囲気のあるアトラクションな気がするけれど。

 やはり、観覧車の霧には、オプションとして幻覚作用でも付いていたんだろうか? 

 自分の乗ったゴンドラは〈ハズレ〉だったから、それを体験できなかっただけで。――そうでも考えないと腑に落ちないよな、とシュウは思った。


 そんな考え事をしている間にも、母の乗るアトラクションの終わりは近づいてくる。

 遠くなり近くなりして回転するたくさんのカップ。

 母の乗ったカップが近くに来るたび、シュウたちは小さく手を振った。

 しばらくは母もそれに手を振り返していたが、そのうちに、紅茶フレーバーの液に浸かった母は目を閉じて、動かなくなった。


 それからほどなくして、音楽が止んだ。

 中円盤、大円盤の回転も止まった。


 ズゴゴゴ、と音を立てて、カップから毒液が抜けていく。


 そのあと、死神姿の従業員数人がやってきて、カップの中の客の死体を回収し始めた。


 そんな中、ただ一人だけ、自力でカップから降りた客がいた。

 このアトラクションのこの回で〈ハズレ〉を引いた客だ。

 それは、母ではなかった。

 母はちゃんと〈アタリ〉のカップに乗っていた。


「……行こうか」


 母の死体が片づけられたのを見届けて、父が言った。

 シュウと妹はうなずき、三人になった一家は、また次のアトラクションへと向かった。

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