#2.2 天空の魔王城
良子(仮)の視界の中に、黒い猫が悠長に歩いていた。
「まあ、猫さん」
(あの野郎)
「あれは僕のペットで、”クロ”っていうんだ。おいで〜」
リョウの呼び掛けにクロは無反応である。猫とはそういうものだ。しかし、良子(仮)の気配に気づき、良子(仮)の足元に馳せ参じる。勿論、リョウは自分が呼んだから来たものと思っている勘違い野郎だ。
「これはね、本物の猫じゃないんだ。超本物の猫ささ」
「超本物ささ?」
「あ、魔法で動く? 魔法でできた? 魔物? 魔猫のことだよ」
「あら、本物そっくりですね。でも名前がクロなんて、勇ましいですね」
「できた時……生まれた時からの名前なんだ。だからクロって呼ばないと来てくれないんだよ」
「まあ、そんなんですか」
(気に入らん。私のセンスが不可と言っている)
「お座り、大黒屋」
「アハハ、大黒屋か。それもいいかもね。でもクロだよ」
良子(仮)は右肩をピクッと動かし大五郎Sに命令を下した。
(はよ、改名の手続きをせぬか)
大五郎Sは命令に従い、クロの改名手続を申請した。だが、クロは拒んだ。俺はクロだ。他の何ものでもない。俺の創造主が付けた適当な名前でも、俺はずっとクロで通してきた。今更変えられるか。それは俺の人生を奪うのと同じことだ。その覚悟はあるのか?
(ある! お前は私のものだ。我に従え)
大五郎Sを通して良子(仮)の思念がクロに届く。その瞬間、クロの人生は奪われ、蹂躙された。
「おお、クロがお座りをしたー」
リョウは驚愕の事実を目の当たりにした。しかしそれを受け入れる度量は無い。
「いいえ、大黒屋ですよ」
「アハハ、そんな。なあ、クロ」
大黒屋はリョウのことなぞ眼中に無い。何故ならば、クロという名の猫は、もはやこの世に存在しないからだ。
「クロ? クロやーい」
大黒屋はビクともしない。何故ならば、クロという名の猫は、思い出の中にしか存在しないからだ。焦ったリョウは部屋の隅まで走りクロを呼び続けた。当然、ビクともしない。焦ったリョウはチート技を仕掛ける。クロの大好きだった、ある食べ物で釣る。
それを見た大黒屋が理性を失いつつある。
「わかっておるな」
(そんなことより、はよ、メシ)
大黒屋の理性が恐怖によって塗り替えられていく。もはや命には代えられぬ。
「お〜、そんな。クロではないのか」
諦めたリョウが良子(仮)の元に馳せ参じる。
「すごいな〜君は。そんな才能があったなんて」
「大した事ではありませんよ」
「さすがは僕の花嫁さんだ。クロの名前を変えるなんて。素晴らしい。それで、君の名前は、えーと」
「当ててみては如何ですか」
「え? うん。知っているささ。知っているとも。君の名は……エリカだ」
「なぬ」
(母の名ではないか。こやつ、どこから極秘情報を入手したのだ)
「え?」
(仕方あるまい。メシのためだ。ここは調子を合わせておこう)
「良く覚えていてくれましたね」
「勿論ささ」
良子(仮)は諸般の都合により、エリカとなった。真っ当な人生を送れ。
大黒屋がエリカの足元でご褒美をねだっている。嘆願していると言ってもいい。超本物のくせに、本物のように食べるのか。食べた後はどうなるんだ?
エリカはリョウに手を伸ばし、例の物の引き渡し要求した。最初は何の事なのか分からなかったリョウは大黒屋の怨念を感知し、ようやく理解したようだ。例の物をエリカに手渡す。
エリカは鬼でも魔王でもない。その名を名乗った以上。それ相応の振る舞いが要求される。従って、自分に擦り寄る者には慈悲深い。
良子(仮)の母、エリカは良子(仮)とは比べようがない程、偉大で素晴らしい。俺の口から言えるのは、その言葉だけだ。
超本物の大黒屋や大五郎Sは電気仕掛けだ。奴らの食料といえば電気。電気といえばエレクトロニクス。略してエレといえばエレキギター。青春だ。
エリカはリョウから受け取った携帯バッテリーを大黒屋に食べさせる。大黒屋は急速充電方式、あっという間に満腹になった。大黒屋はその場で、コテっと倒れた。これは充電完了の合図だ。充電不足になった場合もコテっと倒れる。間際らしい仕様だ。
エリカは自分に従属する者には慈悲深い。気持ちと良さそうに横になっている大黒屋の腹の辺りを摩ってやる。まさに腹の探り合いだ。
大黒屋は、”よせやい”と無邪気に手で払おうとした。しかしその行為は、エリカにとって拒否の狼煙である。エリカはガッツリと大黒屋の手を拈あげた。
大黒屋が”はっ”、リョウも”はっ”というように口を開けた。
◇
部屋の様子が一変した。今まで豪華絢爛なVIPルームが、豪華絢爛な食堂室に変わってしまった。エリカも”はっ”とし、大黒屋の手を離す。すると元の豪華絢爛なVIPルームに戻った。
エリカはもう一度、大黒屋の手を拈あげる。すると豪華絢爛な食堂室に変わった。
(新世界なら当然だ。驚くような事では無い)
エリカは大黒屋の手を拈あげたまま、抱きかかえ立ち上がる。
「さあ、お食事にしましょう」
大黒屋とリョウの心に ”ホ” の字が宿った。どうやら大黒屋の手は、何かのスイッチになっているようだ。不便な仕様だ。
◇◇
豪華絢爛な食堂室によくある、長いテーブルの一番端に陣取ったエリカは、食事が運ばれてくるのを、今か今かと待ちわびていた。おっと、大黒屋は既に放り投げられている。何も変化はなかったようだ。
その斜め向かいに座っているリョウが何やら話しているようだ。しかし待機中のエリカの耳には入らぬ。時折、”2〜3日”だか、”暫く”などの単語が聞こえてくるだけだ。さして重要でもないだろう。
エリカの前にやっと前菜が運ばれてきた。当然、目を輝かせたのは言うまでもない。それらをペロリと平らげた後、やっとメインの登場だ。その間もリョウは何やら話しているようだ。無視しよう。
「太刀魚のムニエルで御座います」
(ムニムニだと?)
目の前に置かれた皿を見て、エリカの目は死んだ。エリカは魚料理が全く食べられない。本当か? 本当だ。
理由を幾つかあげよう。
エリカの前世は人魚である。魚を食べるというのは自身を食らうこと。
それはいかん。
エリカの前世は小魚であった。より大きな魚に食われた記憶が蘇る。
それはいかん。
エリカは幼い頃、釣りをして釣り上げた魚に手を噛まれたことがある。
己に刃向かう恐ろしい敵だ。
エリカが幼い頃、魚屋に並ぶ魚に睨まれたことがある。恐怖のどん底に突き落とされた。
そして俺も魚料理が全く食べられない。
「おう! どうしましょう」
エリカが大げさに打ちしがれる。
今まで無視していたリョウがオロオロし始めた。
「どうしたんだ? エリカさん」
「今日は、お魚を食べてはいけない日なのです。バチあたりです」
「なんだって!」
(こんなの食えるか。はよ、下げぬか)
「それは済まないことをした。代わりのものを出させよう」
代わりに肉料理が運ばれてきた。エリカはご満悦だ。さあ、食え。
エリカが目を輝かせている最中、何やら大きなスクリーンが登場した。スクリーンには大魔王と思しき人物が、これまた何やらがなり立てている。それにひれ伏すのがリョウだ。どうやらヘタレのようだ。しかしエリカは食べるのに忙しい。夢中になっていると言ってもいいかもしれん。
取り敢えず大魔王のことも無視しよう。不愉快な会話をここで披露しても仕方あるまい。大人はいつでも、誇れる背中を孫に見せたいものだ。