#1.3 世界を支配する魔王
結婚式の当日。式場は良子(仮)が務める、あの52階建てビルの3階だ。通勤定期を持っているので交通費が浮く。だから良子(仮)は朝から上機嫌だ。おかげで寝坊をした。髪が乱れても気にしない。いや、何時もそんなに気にしていない。
今日の服装は白っぽい服だ。黒い服に対抗して白にした。そして……何? もっと服装のことを語れだと? いいだろう。
白い上着に白いスカートだ。装飾品は身に付けていうのかどうか分からない。レディーをそんなにジロジロと見るのもじゃないだろう。そうだ、靴は履いている。手にはバッグのようなものを所持している。それは武器にもなるかもしれない。中身については不明だ。腕の感じからして2〜3Kg程度。ご苦労なことだ。顔は何時も通りだ。昨日と大差ない。以上だ。完璧な報告が出来たと自負している。
さて、良子(仮)はビルの1階付近にいる。今日は外国の要人が、商談だか視察だかで警備は厳重だ。勿論、結婚式には何ら関係がない、が良子(仮)は出会う人に『ワタシハ、ニホンジンデ〜ス』と自己アピールに余念がない。どこからどう見てもそうだろう。もしかしたらそれ以上かもしれないが。
厳重な警備を掻い潜って身元がバレないように3階の式場前に到着。まあ、そう思っているのは本人だけだが、十分な達成感と軽い疲労感があるようだ。
式の受付には花子Aが座っている。さあ、勝負の時間だ。良子(仮)は入場料、いやご祝儀を花子Aに手渡す、が良子(仮)は袋から手を離そうとしない。
(まだ、お別れが済んでいない)
花子Aは、”お願いだからその手を離して。恥ずかしいよ〜” と心を乱している。良子(仮)は仲間達との思い出が走馬灯のようにクルクルと回っていた。それを見かねた大五郎Sが尻尾で良子(仮)の頭を叩く。すると、良子(仮)の元から仲間達は未練を断ち切って去っていった。
「うぎゃ」
良子(仮)の心の叫びが声となって飛び出てきた。ついでに唾のようなものも弾け飛んで花子Aを直撃、花子Aは被弾した。それでも花子Aは命を賭けて奪い取った宝を自分の胸に当て、もう、お前のものではないと、良子(仮)に知らしめた。良子(仮)は放心状態となったが、後から来た花子Cに突き飛ばされて正気を戻す。良子(仮)の完敗である。
良夫(仮)推定 24歳は良子(仮)の所業を遠くから腕組みをして見ていた。それを鼻で笑っていたが、預金残高では良子(仮)に遠く及ばない。自身の趣味に多額の投資を行っていため、カツカツである。ついでに24ではなく、この時は既に28だ。お前がサバを読んでどうする。
◇
結婚式が始まるまでは、今しばらく時間がある。そこで良子(仮)は付近を散策する。ただし、ただ歩いている訳ではない。歩いて、歩いて、元を取ろうとしている。何の元から知らんが、とにかく歩き続けた。それは仲間達との離別を悲しむかのようであった、かも。
そこに、壁際を歩く黒い猫を発見した。ビルの中を徘徊する猫だ。誰かが連れてきた猫だろうか? それは分からないが、その猫が本物かどうかも分からない。本物? 左様、”むかしむかし”と冒頭で言ったが、猫には本物とロボット猫が存在するのだよ。
そのロボット猫は本物と区別がつかないくらい、良くできている。良子(仮)の肩に乗っかっているような特殊なものがあるが、普通に『ニャー』と鳴きゴロッたりする。
唯一見分ける方法は、その目つきにある。ロボット猫の目つきは本物とは違う。どう違うかと言えば、ロボット猫特有の目つきをしている。それでは分からない? それは慣れるしかないだろう。”誰にでもわかる猫の見分け方その目つきの神秘”なんて本がそのうち世に出回るだろう。
話は逸れてしまったが、ビルの中を闊歩する猫は、この時代、特に珍しいことではないのだ。実はロボット猫には労働者を監視、査定する役割を持つものが少なくない。
今では人のいるところ猫ありと言われるほどで、特に職場などで活躍している。高い位置から人間を監視し、必要であれば適切な助言を不良従業員に対して行い、中には部長の肩書を持つお猫様までおられる。
ここまで話せば分かるであろう。良子(仮)などは当然、監視対象になっている。ということは良子(仮)にとって猫は、本物と超本物に関わらず敵である。
「お主、私の刺客か?」
良子(仮)と対峙した黒い猫は睨み合い、良子(仮)が先制攻撃を開始した。黒い猫は良子(仮)の攻撃に、その歩めを止め、次の行動を思案する。まずいことに、付近には誰もいない。
この様子を良夫(仮)が離れた場所から見ていた。この時、この場所で騒ぎを起こされては困る。だが、良夫(仮)は安心していた。何故なら良子(仮)には辰五郎Sが付いている。
”あれが何とかするだろう”と思い楽観している。そのための辰五郎Sだ。しかし、辰五郎Sが大五郎Sに変わっていることに良夫(仮)はまだ、知らない。
黒い猫は焦っている。良子(仮)に睨まれ、先制攻撃を許した。その思いに応えなければならない。その前に黒い猫は本物か、それとも超本物か、どっちなんだ。
良子(仮)は一歩下がり黒い猫に命令を下す。
「お座り」
黒い猫は猫だ。それが本物か超本物のどちらであっても、その技は有効か?
有効のようだ。黒い猫は怖気づき、”お座り”をした。良子(仮)には気迫があった。”私はただで、ここにいるんじゃない”。そんな気迫が伝わったのだろう。
良子(仮)は、この場の支配権を握った。それによって、この場の空気が淀む。不穏な空気だ。黒い猫は、良子(仮)に支配され、その恐怖が身体中を駆け巡った。大五郎Sもビビっている。迂闊に手を出せば何をされるか分かったものではない。
良子(仮)は不敵な笑みを浮かべ、黒い猫を見下ろす。そして、ゆっくりとしゃがむと、主従関係をはっきりさせるべく、左手を黒い猫の前に突き出した。
「お手」
その声は強くも弱くもない。絶対君主のみが発せられる重い一言だ。黒い猫は下を向き、目が落ち着かない。体も少し震えているようだ。
良子(仮)は微動だにしない。それは、”これ以上待たせると、私は何をするか自分でも分からない” という意思表示だ。
黒い猫の額に、想像上の汗が滲む。それが床にポタポタと落ちていく様を、黒い猫は、その丸い目で追っていた。もはや、これまで。
まず、丸い目を良子(仮)の突き出した手に向け、続けて頭をゆっくり、震えながら上げた。そして、右手をチョコンと良子(仮)に当てる。
良子(仮)はニンマリとする。その隙を見て黒い猫は、自身の手を引き戻し、思っ切り。
パシーン、ドスコーイ。
黒い猫の猫パンチが炸裂した。クリティカルヒットだ。黒い猫は自由を奪われない。猫から自由を奪ったら、それはただの猫だ。自由に生き、自由を愛し、自由に死す。これが黒い猫の主義主張だ。黒い猫は不敵な笑いを良子(仮)に向ける。そこには、マヌケ顔の、決して支配できないことを知った良子(仮)が……いない。
「ほほー、それがお主の返答か」
良子(仮)は微動だにしない。そこには、王の中の王、この世界を支配する絶対者が君臨していた。贖うことは許されない。運命は既に決裁済みである。
黒い猫は一生分の後悔を味合う。苦くて不味い、今にも吐きそうだ。そして取り返しのつかない過ちがスパイスとなった。運命から逃れるなど、到底不可能。黒い猫の思考回路は破綻し、猫パンチを無意味に繰り出した。
その全てを受け取った良子(仮)は、ガッツリと黒い猫の手を握って離さない。黒い猫は、その丸い目から空想上の涙を浮かべ、良子(仮)の顔色を伺った。そこには慈愛の一欠片もない無慈悲な魔王がいたようだ。
(私の完全勝利だ)
良子(仮)が心の中で勝利宣言した時、その気の緩みを黒い猫は見逃さなかった。黒い猫は掴まれた手で、逆に良子(仮)の手を握り返す。良子(仮)の口が”ホ”と言うような形になった時だ。
「君を見つけた」
良子(仮)の耳には、そう聞こえた。多分、空耳だろう。この直後のことは、離れた場所から見ていた良夫(仮)の位置から語ろう。
良子(仮)と固く手を握り合った黒い猫は、壁と同化するように、その姿が薄れ、良子(仮)共々、忽然と消えた。良夫(仮)の位置からだと、そう見えた。肝心の良夫(仮)は見ていない。これでは、ストーカー失格である。
良子(仮)と黒い猫は、この世界から消えた。猫はともかく良子(仮)が消えたのだから、この話もここで終わりだ。
めでたし、めでたし。
◇
『何だと! 私を愚弄するつもりか』
孫娘が怒り狂っておる。
しかしだ。主人公がいなくなっては、続けようがないではないか。
『腹を切って詫びよー』
はは〜、それだけはご勘弁を。
ジャン・ジャジャン・ジャン。
おお、お前の母が戻ったようだ。
『左様か。だが、この顛末、どう始末するつもりじゃ』
はは〜、ネタを仕入れて参りまする。
『私を謀るでないぞ。その時は、良いな』
はは〜、肝に銘じまする。