スイート・ポケット
良子(仮)は成績優秀・有能な社員である、と自分では思っています。本当は、何をやっても”出来る子”だけど、それ故、やり甲斐が無く、”人生はつまらないもの”と思っているようです。
駅を降りた彼女はニヤリとします。”勝った”。心の中で彼女はガッツポーズをしたようです。
降水確率80%。
彼女はそれを信じて今日は傘を持ってきました。でもそれが100%だっとしても自分が信じなければ彼女は傘を持ちません。彼女は天気予報と勝負をしているのです。それで”勝った”と、有頂天になっていたようです。
彼女は傘を広げ、少し周囲を見渡します。傘を持っていない人はいないか。そんな人を探します。しかし彼女と違って、皆さん傘をお持ちのようです。彼女の有頂天が5%程度、下がったようです。
彼女はスマホを取り出し、雨雲を確認します。どうやら真っ赤な表示がこちらに迫って来ているようです。駅から自宅まで歩いて10分。
(今から急いで歩けば間に合う。私の完全勝利は確定した)
彼女の頭脳がそう答えを導きました。
彼女は余裕でゆっくりと歩き始めます。何故、急がないのでしょうか。それは完全勝利が確定しているからのようです。
(確定した未来は必ず訪れる。今更慌てる必要などない)
彼女の未来がそう囁きました。
自宅のマンションまであと3分。傘を回す程の余裕があるようです。
「今日は、何時もより早く回っておりま〜す」
心の中で呟くはずが、つい声に出してしまったようです。彼女の有頂天が5%上がって、満点になりました。
自宅のマンションまであと2分。
雨が強く降ってきました。いえいえ、とんでもなく強いです。土砂降りです。バケツをひっくり返したどころではありません。お風呂の底が抜けたような感じです。
彼女は傘を持ったまま動けなくなりました。少しでも動けば濡れてしまうからです。
彼女は戦います。己と、己の信じた未来に縋って運命に贖います。しかし既に全身ずぶ濡れです。こうなっては、ここに立ち止まっている意味がありません。しかし彼女は動きません。負けを認める気は全く無いようです。
彼女は起死回生を図ります。ポケットから飴を取り出すと、それを憎い敵に向かって投げ飛ばしました。するとどうでしょう。雨が止みました。彼女は勝利投手のように、その手を高く上げ、勝ち誇ります。彼女の幸福度は満点になり、更に上がり続けているようです。
それでは、何故雨が止んだのでしょうか? それは、数時間前の出来事で説明できるでしょう。
彼女の職場では、激おこの部長が彼女を呼びつけます。
「あの件はどうなりましたか?」
口調は優しいですが激おこです。それを微塵も顔に出しません。大人です。
「それはですね――、――、――、――なんです。キャ」
”あの件”とは何の事なのか分かりません。彼女は言い訳をしました。いくら成績優秀・有能な彼女でも、出来る事と出来無い事があります。その数少ない”出来る事”をすっかり忘れていたようです。
「キャ、……ですか」
激おこ部長は頭を抱えてしまいます。優秀な部下を持ったことの試練なのか、はたまた自分の指導力不足なのか。激おこ部長の前に彼女が人生最大の壁となって立ちはだかります。
激おこ部長は決心します。
今日こそはガツーンと言おう。それが彼女のためだ。俺は鬼になるんだ。何としても彼女を一人前に育てなくては。それが俺の役目、俺が生を受けた意味なんだ。ありがとう神様。俺、わかったよ。
激おこ部長は開眼しました。頭をゆっくりと上げ、彼女に挑みます。
彼女はその心の隙を見逃しません。黙って激おこ部長の口に飴を突っ込みます。
「何を。……う〜ん。これ美味しいね。いけるよ。そうじゃなくて、君!」
彼女は既に、そこにはいません。
「しょうがないな〜」
彼女は逃亡に成功しました。彼女は成績優秀・有能な社員である、と自分では思っています。
激おこ部長は怒りを鎮めます。賄賂を受け取った以上、彼女の行いを問うことが出来ません。また明日頑張ろう、と誓いを立てました。
◇
降水確率40%。
「片腹痛し」
彼女は心の呟きを声に出してしまいます。一人暮らしなので、気にしないようにしましょう。
彼女は傘を持たずに出勤します。自信に溢れているようです。
会社の最寄駅に到着。雨が降っています。彼女は空模様を見つめます。サインは決まったようです。彼女の自信は揺らぎません。
セットポジションから両手を大きく振りかぶって、投げましたー、飴です。飴を投げましたー。
「うりゃー」
気合も十分のようです。
……雨が止んだようです。
◇
降水確率0%。
茹るような天気が続きます。局地的に雨は降っているようですが、各地で取水制限が始まりました。
どこそこのダムが、そろそろヤバイでー、というニュースを自宅のテレビで見ていた彼女は、ふ〜んと他人事のように聞いていました。
そこへ、給水制限を知らせるお触れが届きます。彼女はゴクリと唾を飲み込みます。
(えらいこっちゃ)
彼女は飴を一粒、舐め始めます。そして、それが溶けて無くなってしまうと、また一粒、舐め始めます。彼女は真剣です。こんな彼女は見たことがありません。何がしたいのでしょうか?
彼女は三粒目に挑みます。するとどうでしょう、雨が降ってきました。
彼女は傘を持ってベランダに躍り出ます。そして傘を差して、眼下を見渡しました。
「民衆よ。この雨を降らせたのは、この私だー。感謝せよー」
ここで雨が降ってもダメなんですけどね。
彼女の雨女度は満点になり、更に止まる所を知らないようです。




