#11.2 迷子の二人
足の軽くなった良夫は、その口も軽くなったようだ。まるでダムが決壊したように話し続ける。良子が聞いていようがいまいが関係ないようだ。その良子は満腹のため目が閉じたり開いたりを繰り返し、やがて開かなくなった。それを知らずに良夫は一人で話し、一人で笑っている。壊れたラジオのようだ。
最初の目的地であるダムの上に到着。撮影のためにカメラを取り出した良夫に、良子が「ほれ」と言ってカメラの引き渡しを要求した。まあ、本来は良子の仕事だ。
良子は所構わずカメラを回し撮りまくる。迷カメラマンだ。撮影に飽きた良子がカメラを良夫に向ける。それに写らないように避けようとするのを良子が引き止めた。
良夫が照れ笑いをすると、今度は少しずれろと良夫に合図する。
「隣の人が写るから、少し右」
照れ笑いの良夫の顔が急に真顔に戻った。何故なら、この場所には二人以外、誰もいないからだ。”隣の人” とは誰なのか。もしかしたらレンズ越しにしか見えないアレなのか。そう思った良夫が隣を見ても、何も見えない。
「近づいているから、もっと右」
それを聞いた良夫が急に駆け出し、遠くからその場所を覗いている。すると良子はカメラを下げ、さっきまで良夫が立っていた場所に行き、誰かと握手をしている。
(出演ありがとう)
良子は良夫に戻るように手を振り、良夫は及び腰で戻ってくる。
「いたのか?」
「何が?」
「あ、いや、なんでも」
良夫の脳裏に、このダムの建設中で亡くなった人達の事が浮かんだようだ。そんな事故があったのかどうかは良夫は知らないが、浮かばれない霊を感じたのだろう。
◇
良夫は背中に寒いものを感じながら、次の目的地に向けて車を走らせる。だが、既にこの時、何かが始まっていたのかもしれない。快調に飛ばしていた良夫の口が重くなり、良子の瞼も重くなる。
小さな曲がり角を丁寧に曲がり、坂を上っていく。ここはもう、人里離れた山の奥。人影も無く、車の走行音だけが周りに反響して聞こえてくるだけだ。そしてとうとう…………車のエンジンが止まった。
車は惰性で走り、ハンドルは重い。良夫の気も重い。車が止まってしまう前に、何とか古びた店の前に車を止めることが出来た。ここなら後続車の邪魔にはならないだろう。
良夫は車のエンジンを掛けようとしたが、うんともすんとも言わない。車のボンネットを開けてみても、普段乗らない車のことは分からない。仕方なく修理の電話をしようとしたが、山奥だからなのか圏外だ。店の前といっても、その店は半分ほど朽ち果てている。万事休すの良夫であった。
そこで隊長のお出ましだ。隊長は車から降りると大きく背伸びをし、余裕を見せる。まだ、寝ぼけているようだ。そんな良子を見て、良夫は”自分がしっかりなければ”と自分を奮い立たせたようだ。だが、いい案が浮かばない。狼狽える良夫であった。
朽ちた店の背後に森が迫っている。その木々が風で音を立て、良夫は恐怖の闇へと誘っているように感じたらしい。
”新世界構想” のモデル地区。考えてみれば、そこが通常の場所でないことは予測できはず。それを浮かれて旅行気分で来てしまったと、後悔先に立たずの良夫だ。唯一の希望は一人ではなく良子と一緒だということだろう。だが、良子だ。何かの役に立つのか?
その良子の元に、白いウサギが挨拶に来たようだ。良子の前でチョロチョロしている。良子はしゃがんで手を叩く。「おいで〜」と良夫に対する声とは全く違う、慈悲深い声でそのウサギを呼びつけた。そのウサギは一旦、良子に従うと見えたが、そっぽを向いて森へと逃げて行く。
「待たんかー、こらー」
隊長は去る者は追いかける。ウサギだから食べるつもりか? 良子がウサギを追いかけて、そのまま森の中へ。それを見た良夫も良子を追いかけて森の中へ。
さあ、探検隊の真価が問われることになったようだ。
◇
ウサギを追いかけていた良子は、あっという間にウサギを見失ったようだ。そこに良夫が追いつき、ウサギに未練タラタラの良子を誘導して、来た道を戻る。だが、探検隊は戻っているつもりでも、森は二人を離してはくれないようだ。通ってきた道、そんなものがあったのだろうか、と森は嘯く。
森という割には小動物や昆虫などは見当たらない。ただ草木が生えているだけだ。そこは出来たばかりの植物園のように静まりかえっている。この森で、動くものといえば二人以外にない。
(うっさー)
良子の心の声が聞こえてきそうだ。良子は周りを見渡し、一体自分に何をくれるのか品定めをしている。森と話はついたのだろうか。
良夫は良子が不安にならないように気を張っている。根拠はないが、直ぐにこの森から出られるような予感があったようだ。森に入って直ぐなのだから出られないはずはないと、やや楽観している。動かない森が自分達を襲ってくることはない。そう信じて森を進む。勿論、良子の前を歩き安全を確認していた。
そうこうしているうちに二人は森の深淵に飲み込まれるように迷い続ける。出口もなければ入り口もない。こういう時はカラ元気が必要だ。不安という恐怖に立ち向かうには勇気がいる。その勇気を心の何処かから引っ張り出すのが元気だ。嘘でもいい。大丈夫、元気だよと嘯いてみよう。そうすれば森だって悪い気は起こさないだろう。
森の魔力だろうか。いつの間にか良夫が良子の前を歩きながら手を繋いでいる。お互い、時に違和感はないようだ。元気が必要だと言っているのに二人は黙ったまま、黙々と歩いている。
森に差し込む光は弱い。少しでも日が傾けば闇が一足先にやってくる。光を失うことは希望を失うことに等しい。良夫は少しでも早くこの窮地を脱したいと歩を進めるが、それに付いてくる良子が大人しくしてくれていることに安堵もしている。もしここで良子が狂ったように泣き叫んでいたら良夫にはどうすることも出来なかっただろう。今の良夫にとって良子の存在は大きい。守るべき対象で守りきる責任がある。どこからそんなものが湧いてきたのかは知らないが、良夫は使命感に突き動かされていたようだ。
そんな良夫の心を挫くように陽は傾き、森に深い影が忍び込んできた。歩き疲れた二人は大きな木に背中を預けて座り込む。良夫が暗くなりかけた空を仰ぎ見ると、隣の隊長から非常食の供給を受けた。その飴を開封しようとして、ふと気になる。
「自分の分はあるのか?」
隊長は首を振り、いいからお前だけ食べろと手をくねくねさせた。隊長は我が身より隊員を気遣う。だが自分も空腹だ。涙を飲んでやせ我慢する。
「馬鹿か」
良夫は考える。このまま返しても受け取らないだろう。そこは自然に。良夫は自分の靴を脱ぎ、靴の踵で飴を割り、半分ほど取り出して隊長に渡した。
「ありがとう」
隊長からそんな言葉を戴くとは思ってもいなかった良夫は……本気で惚れたかもしれない。勘違いかもしれないが。
◇◇
飴を舐めた二人はそのままウトウトし、疲れていたのだろう、そのまま寝てしまった。二人が目覚めた時は既に周りは真っ暗だった。ちなみに月日は10月。幸いなことに日は暮れても、寒くも暑くもない。夜空は月も無く真っ暗だ。その代わり鮮やかな星空が広がっている。滅多に夜空を見上げることのない良夫にとって、今日はよく空を見上げている。それもまんざら悪くはないなと思っていると、流れ星がひとつ、またひとつ。
良子が急に立ち上げり、その流れ星を指差している。
(星が私を呼んでいる)
それを見た良夫も立ち上がり、取り敢えずその方向に進んで見ようと思った。何か目印に向かえば何処かに出るだろう、という考えだ。良夫は「行こう」と言って良子の手を引っ張る。それに事前の了解はもはや必要ないようだ。良子は「ほ」と言っただけで、黙って良夫に引っ張られる。
仲良し探検隊は真っ直ぐ森を歩き続け、暫くして念願の、森の脱出に成功する。目の前の開けた光景に安堵する良夫。だが、ここがどこかは分からない。おまけに目の前は坂になって、遠くが見渡せない。少なくとも森に入った場所ではないことは確かだ。
二人はそのまま手を繋いだまま坂を登り、その頂点に立った。そこから、たった一つの地上の星、家の明かりが見える。二人は、その光に引き寄せられるように歩いた。そこに人がいると思うだけで良夫の心は弾んだようだ。良子は自分の手を引っ張る良夫の手が”おい、こら、痛いぞ”と思っていたが声には出さなかった。それは疲れていたせいかもしれない。
◇◇




