#10.3 シューティング・スター
翌日の午後9時。タナベはマリアとの待ち合わせの16000階を訪れた。目の前には大きな城が聳え立っているが、空は真っ暗だ。下界と合わせているのだろう。おまけに誰もいないとなると、何かが出てきそうな雰囲気だ。
待ち合わせのマリアと出会い、ある建物に入る。その一室に案内されると、四方が白い壁に覆われた、やや広い空間の真ん中に椅子が2脚だけ置いてある。その椅子に座ったタナベだが、隣に座ったマリアとは1m以上離れている。
「さあ、行きましょうか」
マリアの声と共に部屋は暗くなり、急に視界が狭くなった。周囲が計器類に囲まれ、さながらスペースシャトルのコックピットにいる感じだ。振動と同時に前進するような感覚で、目の前の光景も滑走路を滑走しているように見える。そして、ぐっとGが掛かると、持ち上がるように上昇し、あっという間に宇宙空間に飛び出した。
タナベは今更ながら感心しているようだ。自分が指揮をとる”新世界構想”のリアルさを想像するだけで、それを実際に体験することはあまりない。本物の世界と区別がつかないことに、改めて感動したようだ。
タナベ達は太陽系を通過し、背後に太陽が小さく見えている。何か問題が発生したら、戻れなくなってしまう心配までしそうだ。
窓の外をキョロキョロ見ているタナベ。星の輝きが少なくなって見るべきものが無くなったとタナベは気がつく。ここまで5分と掛かっていないが、その間、マリアとは会話していない。そっとマリアの様子を伺うと前だけを見ている。ここで宇宙旅行について話でもするか、とタナベは考えたが、その知識がない。
本当は広い空間に座っているだけだが、感覚的には狭い空間に二人だけがいることになる。逆に広大な宇宙空間で二人きりしかいないことにもなる。タナベは錯覚の海を漂っているようだ。
「見えてきました」
マリアの言うその先に、白く長い尾を引いた彗星が飛んでいる。それにぐっと近づき、すれ違うと、今度はそれを追いかけるように回り込んで、さらに近づいた。近くで見る彗星は遠くから見たものと違い、かなり歪な形をしている。光の当たる場所は明るく、影の部分は真っ暗だ。もしこれを一人で見ていたら、かなり寂しいと思えるくらい、モノトーンの世界があった。
「何だか寂しい星だね。見た目は派手なんだけど」
「そうですね」
久しぶりに話し掛けたタナベはふと、思った。マリアはよく『そうですね』と言うが、それは他の人に対しても同じなのだろうかと疑問に思う。相手によって言い方を変えるのはよくあることだ。自分に対していつも肯定的に応答するのは、どういう意図があるのだろうかと考えたが、タナベには分からない。それは分からないまま、何処かにしまい込まれていくのだろう。
タナベ達は彗星と一緒に、太陽系に戻ってきた。土星の環の近くを通り、木星の脇を通る。これが現実ではないことはタナベにも分かる。それは惑星が直列に並ばない限りありえないからだ。でも演出としては悪くない。
木星を過ぎたあたりで彗星を追い越し、一気に我が地球に戻ってきた。さっきまで狭い空間だったのがスッと消え、高原のような見晴らしのいい場所に二人は立っている。そして見上げる夜空。
「これは、本当の夜空を投影しています」
「なるほど」
「そろそろ、始まると思います」
マリアが夜空を指差している。そこから一つ、流れ星が流れた。
「ほう」
タナベはそれを見ながら、何故この時間なのかを理解した。映像ではあるが、実時間で流星群を見せようといマリアの意図が分かり、今日でなくてはいけない理由も、そういうことかと納得したようだ。
「あちらが、あの衛星になります。実際には見えないので黄色く着色してみました」
確かに流れ星が現れた近くに黄色く光る点が見える。一瞬で消えてしまう流れ星と、光り続ける衛星。次第に増える流れ星は、願い事をするには機会が多くていいかもしれない。
ただ、タナベにはそれ以上の思いはないようだ。天体や夜空に興味はなく、空を見上げるのは雨の日だけだ。彗星が飛んで、衛星が頭上にあっても、タナベには何の影響もない。知らなければ全ては過ぎ去っていくだけだ。
彗星を追いかけて、その軌道をなぞっていくのは面白かったし、子供なら喜ぶだろうと思うタナベだが、もう飽きてしまったようだ。
「タナベさん」
「ん?」
退屈そうなタナベにマリアが新たな話題を提供するようだ。
「あの衛星。もう寿命なんだそうです」
「ほう」
「それで、彗星の通過を待って軌道を変えるそうですよ」
「どこに行くんだろうね」
「なんか、墓場軌道と言うらしいです。それで半永久的に地球を周回するそうですよ」
「さすがはマリア君だ。詳しいんだね」
「いいえ。私の友人に、あの衛星を打ち上げた会社の人がいまして、その方から聞いたんです。でも……」
「ん?」
「素敵ではないですか。お二人に関係するものが、こうして61年振りに再会するなんて」
「どうかな〜。あれは確かに親父が発見したけど、向こうには関係ないし、あっちも、お袋がどこまで関わっていたか分からないしね。仕事の事は何も言わない人だったし」
タナベはそう言ってから後悔する。何もここで家の事情を持ち出さなくてもいいだろう。それでせっかくのマリアの好意を否定してどうするよと、文字通り、後悔先に立たずだ。
タナベが取り繕うと焦っていると、マリアが「あっ」と声を上げた。何が起こったのか分からないタナベはマリアと夜空を交互に見るが、誰かに連絡を取ろうと離れるマリアと、流れ星以外、タナベには分からない。困ったタナベが夜空を見上げると、何となく黄色く光る衛星が動いているように見えた。
「タナベさん!」
「ん?」
戻ってきたマリアが、何やら興奮しているようだ。
「衛星に、人工衛星に彗星の一部がぶつかったそうですよ。すごい確率ですよ」
そう言われてもピンとこないタナベ。近くを飛んでいるのだから、当たることもあるんじゃないかと考えた。
「まあ、当たるときは当たるんじゃないの」
「いえいえ。当たるなんて、相当な確率ですよ。有り得ないくらい。奇跡ですよ」
「奇跡ね〜」
タナベは、関係は無いと思いながら、親父は一体何がしたかったんだろうと思う。お袋に挨拶がしたかったのか、それとも恨んで、この野郎とぶっ飛ばしたのか。そう思いながら、それは見ているこっちの問題だと思い直したようだ。
タナベは思い出す。
親父は、夜遅く帰るお袋によく怒鳴っていて、とても仲が良かったとは言えない。それでも、お袋の名前を付ける位だから、それなりの感情はあったはずだ。もしかしたら、天体観測と言いながらお袋の帰りを待っていたのか? ああ、それは無いな。顔を合わせれば険悪だったからな。子供の俺は、飛んだとばっちりを受けたもんだ。こんなものを俺に見せて、どうしたいんだ、俺の親は。
思い出に耽るタナベの手元に、マリアが小さな写真立てを差し出した。
「これは?」
「先ほどの友人から預かったものです。倉庫を整理してたら出てきたそうで、渡してほしいと言っていました」
タナベはそれを見るが暗くて見えない。そこでマリアがペンライトで光を当てた。そこにはタナベの両親がにこやかに立っている写真が見える。それを見たタナベは涙腺がウルウルするのを感じたが、ハッと思い直したようだ。確かに仲の良さそうな二人だが、母親がそれを会社に放置したと思うと、結局は、仲は良くなかったんだろうと思い、ウルウルを引っ込める。”ああ、しょうがない”と複雑な気持ちに揺れるタナベであった。
そんなタナベの様子を見ていたマリアは”素敵ですよね”という言葉を止め、何も言わずに夜空を見上げた。
暫く黙りの後、やっとタナベは、一言、言い出すようだ。
「今夜は、ありがとう。楽しかった」
「それは、良かったです。私も嬉しいです」
タナベはこのまま沈黙が続くのはまずいと思い、思いついたを事を口にする。
「このプロジェクトも終われば、俺も用済みだ。後は君達に任せよう」
「まだ、頑張ってもらわないと、困りますよ」
「そうか? 俺も後は、あの星のように逸話が残るといいなあ」
「そんなこと、言わないでください」
「ああ」
タナベがマリアを見ると、マリアは下を向いていた。その意味が分からないタナベは、そのまま夜空の流れ星を目で追っている。
「ほら、流れ星が綺麗だ。何か、お願い事をしようじゃないか」
「そうですね」
二人はそのまま、夜空を見上げていた。
それから、どのくらいの時間が経ったのだろうか。気がつけば、二人は手を繋いでいるではないか。
◇
『ほっほー』
孫娘が猫のように笑っている。どうした。
『二人は、その後、どうなったのだ』
さあ、二人の話はこれで終わりだ。今も達者で暮らしているだろう。
『ほっほー』
何だ、何だというのだ。
『お主、実は知っておるな。白状せよ』
知らぬ、何も知らぬ。
『ほっほー。まあ、良かろう』
はは〜、ありがたき幸せ。




