#10.2 家族の団欒
52階でエレベーターを降りたタナベ。やはり初めての店には入りづらい。もうマリアは中で待っているだろうかと、店の入り口から覗いていると、マリアが後ろから声を掛けてきた。
「待ちましたか」
「いや、今来たところだ」
確かに今来たところだが、それが正確に伝わっていない感じがして、タナベは少し焦ったようだ。逆に嘘でも、少し待ったと言った方が良かったと後悔するタナベであった。
二人は窓際の席に案内され、椅子に座る。
ちなみにマリアがどんな格好かといえば普通だ。服は来ている。
マリアの前置きは省略するが、それよりもメニューを見るタナベの顔が強張っている。夕食にしてもいい時間だが、メニューには見慣れない文字が偉そうに並んでいる。これはコーヒーだけで終わりにしようと決めたようだ。
「明日は結婚式ですね」
結婚式とはリョウ達のことだ。そっちの話かと身構えるタナベ。返答に困り、「そうだね」と言うくらい思いつかない。
「それで」
今夜は”それで”俺を苛めるのかと、手に持ったメニューが手から離れない。
「私、新しい企画を考えたので、それのご意見をお聞きしたいと思いまして、お呼びしたんです」
仕事の方向になって安堵したタナベだが、仕事のことなら、わざわざ休みの日でなくてもいいだろうと疑問が湧いたようだ。
「それは急ぐことなのかい?」
「それは……」
タナベはまた、曖昧な言い方をしたと反省し言直す。学習効果が無いようだな。
「いや、君は休暇中だろう。俺は構わないが、折角の休みを潰して良かったのかなと」
「すみません。でも、今日でなければいけないんです。明日ですから」
タナベの脳裏に”明日”といえば結婚式、結婚式といえば明日。それで今日なのかと納得したようだ。
「いや、こっちこそ申し訳ない。君さえ良ければ、俺は何時でも構わない」
ここで、『ご注文は』と第三者の介入を許す。タナベは急いでコーヒーを探すが、それらしいのが見当たらない。というより分からない。コーヒーぐらい何処でもあるだろうと、コーヒーを頼むと、種類は何かと聞かれたようで適当に答えた。マリアもコーヒーを頼んだが、種類は違うようだ。とんでもないものが来たらどうしようと後悔するタナベであった。
その予感は的中し、マリアのコーヒーカップは見慣れたものだが、タナベのものは、やけに小さい。どう見てもコーヒーの入れ物とは思えないが、頼んでしまったものはしょうがない。観賞用に置いておくことにしたようだ。
「それで、企画の話だが、どんな内容かな」
「はい。実はある人の話なのですが、それを題材にしてストーリーを考えてみました」
「うん。それで」
「その、ある人が彗星を発見するんですが、その彗星に発見者が名前を付けられるじゃないでか」
「そうらしいね」
タナベの記憶に父親の面影が蘇ったようだ。
父親はかなり前に亡くなっていたが、その父親の趣味が天体観測だった。仕事から帰ると趣味に没頭していた姿が浮かび、そのせいなのか、親子で会話した記憶があまり無い。もともと口数の少ない人ではあったようだが。
その父親も同様に彗星を発見し、名前を付けた。
だがそれは、タナベが生まれる前の話だ。星に名前を付けるとしたら、そういう理由が多いんじゃないかと想像したようだ。
「それで、その人は奥さん、いえ、その発見当時は結婚していなかったので、お付き合いしたいた方のお名前を付けだそうです」
「うーん」
何だか父親の話をしているようで、タナベは奇妙な感じを覚えたようだ。まあ、世の中には同じようなことをする人は沢山いそうだ。
「で、その彗星なんですが、地球の近くまで来たそうで、それははっきりと見えたそうです」
「うん。それで」
「その彗星ですが、軌道を一周してまた地球に接近してくるそうで」
「うん」
「それが明日なんです」
「まあ、くるくると回っているからね」
タナベの頭の中で、星が楕円軌道で回っている様を想像したらしい。それが真円ではなく、楕円なのが妙に現実的だ。
「それで……」
マリアが言葉を止め、その先が言い辛いようだ。何が出てくるのか興味津々のタナベだ。
「うん。それで」
「それで、ほら、人工衛星って一杯飛んでいるじゃないですか」
「一杯、あるよね」
急に彗星から衛星の話に変わって、少し驚くタナベであった。
話についていけるだろうか。
「そのうちの一つが、その、彗星を発見した方の奥さんと関係があったらと思って」
「まあ、偶然、かな」
「そう、偶然なんですけど、その、あの、その彗星と衛星が出会うって、素敵だと思いませんか」
「どうして、そう思うのかな」
タナベは、彗星から衛星の話に変わった意味を理解した。タナベにとって人工衛星は、母親と関係している。これもかなり以前のことになるが、母親が人工衛星の開発に携わっていたからだ。その母親も昨年、他界している。この彗星と衛星の組み合わせは、そうそう無いだろう。それを結びつけ、タナベに話しているということは、ずばり、マリアがタナベの過去を調べたに他ならない。
タナベにとってそれは、別に隠す事柄では無いが、それをマリアが調べようとした理由が理解できない。確かに調べれば簡単に手に入る情報だが、彗星を発見し、その妻との間に生まれた子供がタナベであることまでは、通常では分からないはずだ。名字が同じというだけでは説明できないだろう。しかし、この点については追求するつもは、タナベには無いようだ。タナベの家族について調べる方法は、いくらでもありそうだと思い、それよりも、マリアが言っていることが自分の事であるのかどうか、それを確認したいだけのようだ。
「あの、その、その、すみません」
「いや、その、こっちも責めるような言い方をしてすまない。だけど」
「はい、わかってます」
「確認だけど、その彗星は、何ていう名前かな」
「それは…」
「エリーだね」
「はい」
「ふー」
これで、タナベの家族についてマリアが知っている事がはっきりした。
「何で君が、そんなことに興味を持ったのかが分からない」
「それは……」
「ああ、いいんだ。別に責めいている訳じゃないから」
「すみません」
「ああ、いいんだよ。だけど、それって、他人にとって面白いかな」
「すみません」
得意の曖昧な表現をしてしまうタナベで。何故、そんな事をしたんだと責めいているように取られても、仕方ないだろう。
「いや、また間違えた。面白いじゃなくて、興味があるかなってことで、第三者が楽しめるかどうか、という話で」
「はい、私は、この話を知って大変興味が持てました。それで、それを体験出来たら、もっとすごいんじゃないかと思ったんです。いけなかったでしょうか」
何故そこに興味を持ったのか不思議でならないタナベ。しかしそこを追求するつもりはないと決めていたな。
「いや、そう思えたんなら、いいかもしれない。けれど、もう時間が、ね」
「はい。実はもう出来ているんです」
「え! 出来てるの?」
「はい、それで宜しければ明日、それをお見せしたいのですが」
「まさか、それをするために休暇を取ったの?」
「はい、そうです。どうしても実現したくて」
「はあ、そんなものか」
「すみません」
「いや、いいんだ。まあ、見るだけなら、いいよ。せっかくだから」
「有り難う御座います」
すっきりはしないが、マリアの努力を無下にはしないのがタナベだ。しかし、すっきりしない訳がもう一つ、タナベにはあった。傍目から見たら、マリアの言うことにはロマンの香りくらいはあるだろう。しかし、仕事と趣味の父親、仕事に没頭した母親との間に、家族団欒の記憶がタナベには無い。あったかもしれないが、思い出せないようだ。そんな、殺伐とまではいかないが、普通の家族の風景が皆無な者達のことを装飾してしまうのでは無いかと、タナベの心に影を落としていたようだ。
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