#10.1 それぞれの始点
月日は流れ、あれから半年が過ぎた。
彼の国のリョウとココナは、めでたく結婚することになった。これも世論の力が働いたおかげだ。今回は良い方向に流れたが、危うく国が割れるところだ。うまく収まって良かったと、タナベ達は思ったことだろう。
タナベが率いる部署では、特に変わりはない。例の”新世界構想”の完成に向けて邁進中だ。エリカこと良子(仮)、ヒロこと良夫(仮)も通常通り。そうそう、大五郎Sは水没したことで、あれ以来お休み中だ。復帰にはまだ時間が掛かるだろう。実際のところ放置されていると言った方が正確だ。
マリアこと花子Bはリョウ達の結婚式に日に合わせるように休暇を取った。だが、別に結婚式がどうのということではなく、ただ休暇を取っているに過ぎない。平和そのものの日常が繰り返されているだけだ。
タナベは自分の机に両肘をついて悩んでいた。勿論、仕事のことだ。冒険団の活躍と自らの体験を考査し、”新世界構想”を少し見直す必要があったからだ。
”あれでは死んでしまう”とタナベは自らの体験を振り返り考える。そこで、原点に立ち返り、”新世界構想” のモデルとなった地区の再考査をしようと思った。それには現地に行く必要があったが、この時期、そんな暇を持てあます者はいない。
だが正確には一人いる。良子(仮)だ。しかし彼女に一人で行って来い、と指示する程、タナベは愚かではない。一人で行かせたら戻ってこない可能性が高い。いや、確実だ。だいたい、毎日会社まで通勤していること自体が奇跡だ。しかし、他に手の空いている者はいない。そこで、良子(仮)の扱いに慣れているであろう、良夫(仮)を呼んだ。
「えー、俺ですか?」
良子(仮)の同行を頼んだ時の良夫(仮)の返答だ。他の者には背中を向けているが、そう言いながら顔は嬉しそうだ。
「頼むよ」
「俺も忙しんですけどね。よりによって”あれ”ですか」
良夫(仮)の言い方と、その表情のギャップに笑いを堪えるタナベ。
「そうだ。”あれ”だ」
「まあ、部長の指示なら仕方ありませんよね、《《仕事》》ですからね」
「まあ、宜しく頼む」
「はあ、行ってきます」
良夫(仮)の快諾を受け、タナベは良子(仮)も呼び出し、指示を説明する。その間、良夫(仮)は ”俺は仕事だから仕方ないんだ”と他所を見ているが、誰も気が付いていない。これを一人芝居というのか。
「良かろう、共を許す」
良子(仮)は良夫(仮)に許可を与えた。良夫(仮)は絶対に良子(仮)が拒否しないと思っていたが、仮に拒否されていたら、多分、泣きながら何処かに走って行っただろう。
これが良子(仮)ではなく、同性の同僚なら喧嘩になるところだ。それが良子(仮)なら許される理由をまだ、良夫(仮)は理解していないだろう。その魔法の言葉を、すんなりと受け入れているだけだ。
良子(仮)と良夫(仮)が出張するのは明日。果たして良夫(仮)は今夜、ぐっすりと眠る事が出来るのだろうか。
◇
タナベがほっと一息つくと、一通のメールが舞い込んできた。その差出人を見て少し驚いたが、ただ、それだけだ。マリアから話がしたいので仕事が終わったら52階のレストランに来て欲しいとある。タナベはうーんと、少しだけ悩んだようだ。それは毎日来ているこのビルでも52階は行った事がない。高い場所のレストランは値段も高いのだろうと思っていたからだ。金持ちの行くところは俺には関係ないと行く気すらなかった。
それが呼び出されたからには、行かねばならない。部下からの相談事を断るほどタナベは野暮ではない。行くからには、それなりの覚悟(金銭面で)が必要だと、覚悟する心の準備に取り掛かる。
これが良夫(仮)なら、いろんな期待や妄想をしたことだろう。しかしタナベには、そんな感情は、とうの昔に捨ててしまっていた。まして親子程の年の差だ。仕事以外、自分に用があるとは思えない。その仕事の事とは何だろうかと、あれこれと考えたが、もしかしたら、リョウ達の結婚式も近いので、その愚痴でも聞かされるのかもしれないと考えが広がり、取集がつかない。まあ、なるようになれと開き直るタナベであった。
◇




