#9.4 彼女の帰還
通ってきた通路が壁で塞がれ、上から梯子がガラガラと降りてきた。何事かと思えば、下から水が噴き出してきた。なんてこったい。
『は〜い、みなさま。これが最後で御座います。
そこにいますと部屋が水で一杯になってしまいますよ。梯子を登って逃げましょう。ただし、梯子を登れるのは1名様のみ。さあ、真の愛が試される時が参りました。どうしましょう。
さあ〜、頑張って』
「なんだって!」
怒りを露わにするタナベであった。ちなみにタナベが声を荒げるのは珍しい。それほど、それほどなんだろう。さあ、どうする。
「マリア君。梯子を登りたまえ」
「タナベさんは、どうするつもりですか」
「大丈夫だ。まさか死ぬようなことはないだろう。そこまではしないはずだ」
「そうです、よね」
マリアが梯子で天井まで登った。その先に出口が有るわけではない。ならば、水が部屋を満たすことはなさそうだ、とタナベは検討をつけた。
水位はどんどん上がり、タナベの首のところまでになった。小刻みに床を蹴りながら、なんとか頭を出すタナベ。だがそれも疲れてきた。思わず梯子に手を伸ばし捕まろうとして止めた。一人しか梯子に登れないとなると、触るだけでも梯子が取れてしまうかもしれない。そうなったらマリアもドボンだ。ならないかもしれないが、危険は冒せない。
水位はタナベの足の届かないところまで上げってきた。泳ぎには自信はあっても体力が続かない。マリアが心配そうに声を掛けてくるが助けを請うわけにもいかない。八方塞がりのタナベだ。いい人生だったか?
水に沈んだタナベの脇をマリアが片方の手で持ち上げる。すると梯子は、その重みに耐え切れず、あっさりと外れてしまった。その瞬間に水が急速に引き始め、ずぶ濡れの二人が床に転がった。
「タナベさーん」
「ああ、大丈夫だ。生きてるよ」
感極まったマリアがタナベに抱きつき、おいおいと泣きだしてしまう。タナベは、たまには死にそうになるのも悪くはないな、と思ったようだ。
◇◇
生き返ったエリカは梯子を指差して「ほれ」と言っている。
「馬鹿言ってるんじゃない。登るのはお前だ」
ヒロも譲る気はない。まあ、そうだろう。しかし、聞かん坊のエリカだ。「ほれ」と言って、こっちも引く気はないようだ。
そうこうしているうちに、水は胸のところまでやってきた。譲り合っている場合ではない。これでは二人とも溺れてしまう。
ヒロがエリカの手を取って梯子を握らせようとしても手を離すばかり。水はヒロの顎のところまで上がってきた。エリカは床を蹴りながらプカプカとやっている。ヒロは意を決してエリカの後ろから抱きつき、梯子に押しつてた。観念したエリカが梯子を登り顔を出す。
「どこを触っておる、無礼者め」
力尽きたヒロが梯子から離れようとした時、エリカがヒロの腕をガッツリと掴んだ。梯子はその衝撃であっさりと外れてしまった。ヒロは、俺の苦労が水の泡に、と思っただろう。その通りになった。
水は急速に引き始め、ずぶ濡れの二人が出来上がった。
◇
狭かった部屋の壁が広がり、また部屋ごと移動しているようだ。部屋の中ではドライヤーの如く風が吹き、乾燥機と化していた。
部屋の移動が止まると、壁が取り払われ視界が開けてくる。
『やったね。おめでとう。
さあ、優勝したカップルは、マリア・タナベ組です。おめでとう御座います。
みなさん、拍手を送りましょう』
マリアとタナベが立っている隣、その一段下にエリカとヒロが立っていた。その場所は表彰台になっているようだ。
ヒロは隣にタナベ達がいることに驚き、エリカは「負けた」と言って膝を付いている。競争していた事は知らなかったはずだが。タナベは優勝したことに照れている。マリアは、うーん、あまり関心がないようだ。
『優勝した方には愛のメダルと豪華な賞品が授与されます。お受け取りください』
大きな箱を入れたカートがマリアの前で止まり、箱を置いていった。
『さあ、優勝したカップルには、愛の証明、キスをして頂きましょう。どうぞ、やっちゃってください。みなさま、拍手をお願いします』
「「え!」」
マリアとタナベが顔を見合わせたが、それをするのか、おい! タナベがさっとマリアに背中を向け、その意思がないことを示す。でも。
ヒロは取り敢えず拍手をし、エリカは心のこもらない拍手を送った。
マリアとタナベがモタモタしている間に訂正のアナウンスが流れてしまう。
『えっ、しなくていいの? しないの? あら、まあ。では、みなさま。これにて、真実の愛を探すツアーを終わります。
また来てくださいね〜。では、さようなら』
ほっとしたのか、タナベがマリアに向き合う。
「マリア君。せっかくあれがいるのだから、何か言うことがあるだろう」
「そう、ですね」
マリアは表彰台を降りるとエリカの前に立ち頭を下げる。
「エリカ、ごめんなさい。あなたを酷い目に合わせて。本当にごめんなさい」
マリアに謝れて、イマイチ、ピンとこないエリカであった。エリカの返答は
明快だ。
「まだ、お土産を貰っていませんよ」
「そうでしたね」
エリカのトンチンカンな返答を受け入れるマリア。どうしたものかと考えた。
「少し待ってね」
そう言ってマリアは優勝商品の箱を持って、それをエリカに手渡す。
「取り敢えず、これで我慢してくれるかな」
いやいや、受け取ったエリカは極上の笑顔だ。
「確かに頂きました。有難う御座います」
エリカはついでに、愛のメダルも受け取った。タナベは少し残念そうである。
こうしてお土産を貰ったエリカは、やっと普通の世界に帰ることが出来たそうな。
めでたし、めでたしだ。
◇
『おい』
孫娘がプンスカしている。どうした。
『何が、めでたし、めでたしだ。どこも甘くはないではないか』
ごもっとも。
『お主の頭が、甘いだけであろう』
いえいえ、そのようなことは。
「手打ちじゃ』
それだけは、ご勘弁を。
仕方あるまい。後日談を話そう。それで良いか。
『よかろう』
しかし、ここから先は、ちと暗い話だ。泣くでないぞ。
『大丈夫だ。私は、強い』
どこかで聞いたような台詞だ。まあ、いいだろう。
それでは、タナベから行こう。こやつは暗い過去を持っている。良いか。
『続けよ』
はは〜、ただいま。




